第195話 大きな影
街道に戻って、俺たちはまた門の街を目指した。
坑道の山を離れて二日。ヴィオラさんの帆かけ荷馬車は、相変わらず土ぼこりを上げて進んでいく。行き交う旅人も少しずつ増えてきた。門の街が近いのだろう。
その日の昼過ぎだった。
前を歩いていたフィオナさんが、足を止めた。
「……なんだ、あれ」
街道の先。地平の際に、土ぼこりの帯が立ちのぼっていた。ふつうの隊商の土ぼこりではない。もっと大きい。もっと長い。まるで山が動いているようだった。
やがて、それが見えてきた。
荷馬車の列だった。
だが、その数が尋常ではなかった。十や二十ではない。五十、いや、百を超えているかもしれない。荷馬車が街道いっぱいにどこまでも連なっている。一台一台がヴィオラさんの荷馬車よりずっと大きい。頑丈な鉄の輪をはめた車輪。分厚い幌。そのどれもが隙なく荷を積んでいる。
列の脇には揃いの装備の護衛が隊列を組んで歩いていた。数えきれない。みな同じ形の胸当てを着け、同じ形の得物を持っている。私兵だ。それも連合のどのギルドよりも統率のとれた私兵だった。
そして、その荷馬車の幌には、みな同じ紋が描かれていた。
金の輪。
その輪の中に、山がひとつ鎮座している。
金糸で織られたその紋が荷馬車の一台一台に、旗のように掲げられている。百を超える金の輪が、街道をゆっくりと進んでいく。
俺はその紋から目を離せなかった。
「──脇へ寄るわよ」
ヴィオラさんの声がいつになく硬かった。手綱を引いて自分の荷馬車の列を街道の端へ寄せていく。
「レイ、フィオナ。道を空けて。あの隊商と張り合おうなんて思わないこと。──かすりもしないから」
俺たちは荷馬車を端に寄せて、その列が通り過ぎるのを待った。
金の輪の隊商は、俺たちを一顧だにしなかった。
御者も、護衛も、誰ひとりこちらを見ない。道の端に寄った俺たちなど、そこに石ころが転がっているのと同じだった。彼らはただ前だけを見て、粛々と進んでいく。土ぼこりが俺たちの上に降りかかった。それでも列は途切れなかった。荷馬車。護衛。また荷馬車。金の輪。金の輪。金の輪。
積まれた荷は、ありとあらゆるものだった。穀物の袋。塩の樽。布の梱。鉱石の詰まった木箱。武具の束。この土地で採れるもの、作られるもの。そのすべてが金の輪の荷馬車に吸い上げられ、どこかへ運ばれていく。まるで大きな川のようだった。この土地じゅうの富が一つの流れになって、遠くの見えない海へ注いでいる。
半刻ほど、かかっただろうか。
列の最後尾が通り過ぎてようやく街道が静かになった。土ぼこりがゆっくりと地に落ちていく。
フィオナさんがぽかんと口を開けていた。
「……なんだったんだ、今の。あんな数の荷馬車、見たことないぞ。バルロ商会の隊商だって、あんなにでかくなかった」
「バルロ商会?」ヴィオラさんが鼻で笑った。「あんなもの、村の露店みたいなものよ。あれと比べるだけ、失礼だわ」
ヴィオラさんは遠ざかる土ぼこりを見つめていた。その目に、いつもの商人の余裕はなかった。畏れに近いものがそこにあった。
「盟よ」
「盟?」
「この土地ぜんぶを裾野にしている大きな商いの盟。──連合を出たとき、話したでしょう。ずっと遠くに、途方もなく大きな影がある、って。あれが、その影。金の輪は、盟の紋。あの紋を掲げた荷馬車が、この土地じゅうを我が物顔で行き来しているの」
ヴィオラさんは金の輪の消えた方角を指さした。
「盟主の名は、アロイス・ヴァルダー」
初めて聞く名だった。だが、その名を口にするヴィオラさんの声には重みがあった。
「わたしも、噂でしか知らないわ。会ったことなんてあるはずもない。連合ぜんぶを一つの街としか見ていない男。街どころか、一つの店くらいにしか思っていないかもしれない。あの人にとっては、この土地の秤も、薬も、鉱石も、ぜんぶが金の輪の中のもの。──さっきの隊商はそのほんの一部。荷を運ぶ足の、そのまた一本にすぎないのよ」
俺はその話を聞きながらまだ金の輪の残像を見ていた。
あの紋。金の輪の中の、山。
輪の中に山を囲うということは、この土地の山も、鉱石も、ぜんぶ自分のものだと、そう言っているように思えた。門の街も。坑道も。あの六十年、山を信じてきた老人の夢も。ぜんぶ、あの金の輪の中に、飲み込まれているのかもしれない。
俺は通り過ぎた荷馬車の荷を、ほんの一瞬だけ視た。
……いや、視ようとした。
だが、あまりに数が多くて、あまりに速くて、俺の目は追いつかなかった。ただ、通り過ぎるその一瞬に、何かが、胸に引っかかった。うまく言えない。あれだけの荷を、あれだけの速さで運んで、その一つ一つの品を、本当に、誰かがちゃんと見ているのだろうか。──だがそれが何かは、分からなかった。列は行ってしまった。引っかかりだけが、胸に残った。
「レイ」
フィオナさんが俺の顔をのぞきこんだ。
「なんか、こわい顔してるぞ」
「……そうですか」
「あんな金ぴかの隊商が、なんだってんだ。数が多いだけだろ。あたしは、でかい奴が偉いとは思わないぞ。でかくたって、弱い奴は弱い」
フィオナさんは槍を担ぎ直した。まるで、あの金の輪の隊商など、なんでもないというように。
俺は少しだけ気が楽になった。
その通りだ。大きいことと、正しいことは、違う。バルロ商会も、大きかった。だが、正しくはなかった。だから瓦解した。……この盟が、どういう商いをしているのかは、まだ分からない。だが、大きいというだけで、恐れる必要はない。俺にできることを、やるだけだ。この土地に、まっとうな品と、まっとうな値を。一つずつ。
そう思っても、胸の引っかかりは消えなかった。
金の輪の中の、山。
その紋は、俺がこれから向かう門の街のずっと先まで、影を落としているような気がした。
あの金の輪に比べれば、俺の帆はあまりに小さい。しるしの帳面も、連合公認の証しも、この土地ではただの紙切れだ。それでも、やることは変わらない。大きさで勝てないなら、大きさで勝とうとしなければいい。俺は俺のやり方で、この土地に信用を一つずつ積む。それしか、できない。
「……行きましょう」
俺たちは荷馬車を街道の真ん中へ戻した。
金の輪の隊商が去った街道を、俺たちの小さな帆が、また門の街へ向かって進みはじめた。あの途方もなく大きな影の、待つほうへ。
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