第194話 道の先の坑道
低い山の裾に、その坑道はあった。
街道からわきへ入って、半日ほど歩いた先だ。ヴィオラさんの隊商は街道の宿場に残してきた。ヴィオラさんは「宝があるなら見てくるといいわ。わたしは荷を見てる」と言って御者台で杯を傾けていた。商人は穴の中まで宝を掘りには来ないらしい。
だから山へ入るのは、俺とフィオナさんの二人だけだった。
坑道の入り口は、思っていたより大きかった。岩を大きくえぐった口が、山の腹にぽっかりと開いている。だが人の気配はない。掘り尽くされて捨てられた坑道だと、宿場の男は言っていた。今ではもう、誰も本気で掘りには来ないと。
入り口のそばに、一人だけ人がいた。
年老いた男だった。腰の曲がった、痩せた男だ。入り口の脇の岩に腰かけて、掘り出したばかりらしい石ころを日にかざして眺めている。
「……よそ者かい」
男は俺たちを見てしわがれた声で言った。
「見物なら、やめときな。この山はもう、空っぽだ。めぼしい鉱石はとうの昔に掘り尽くされた。今さら潜っても、出るのは屑石ばかりさ」
「でもあなたは掘ってるんですね」
俺が言うと、男は自嘲するように笑った。
「……年寄りの、悪あがきだよ。この山の奥にまだとんでもない鉱脈が眠ってるって噂があってな。若い頃からずっと信じてる。だが奥は崩れちまって、もう誰も入れやしない。おれはこうして、入り口のそばの屑石をつついて、昔の夢を撫でてるだけさ」
男は手の中の石を俺に差し出した。
「あんた、目利きらしいな。さっき宿場で聞いたよ。よそ者に、ひと目で品を見抜く男がいるって。──どうだい。この石、値打ちがあるかい」
俺はその石を受け取って視た。
灰色の、ありふれた石だ。ずしりと重い。表面はざらついている。
「……これは、鉄の石ですね。純度は、そこそこです。連合の北の坑道で採れるものと、たちが似てます。屑石じゃありません。ちゃんと使える鉄が採れます」
「なんだって?」
「ただ、この石だけ見ると、それほど上等じゃありません。よくある鉄の石です。──でも」
俺はその石の割れ口をもう一度視た。
割れ口の奥に、細い筋が走っている。灰色の地にうっすらと、別の色の筋が混じっている。青みがかった、光を弾く筋だ。
「この筋。これは、鉄じゃありません。もっと重くて、もっと硬い金属です。連合でもそう出回らないものです。──この石が山の奥から転がってきたものなら、奥には、この筋の金属の鉱脈があります。それも、たぶん、かなり大きい」
男の手が震えた。
「……ほ、本当か。本当に、そう見えるのか」
「はい。石は嘘をつきません」
男はしばらく声も出せずにいた。それからくしゃりと顔を歪めた。泣いているような、笑っているような顔だった。
「……六十年だ。六十年、この山を信じてきた。誰もが夢物語だと笑った。おれの親父も、その親父も、この山の奥に宝があると信じて、掘って、死んでいった。……本当に、あったのか」
「あると思います。ただ──」
俺は坑道の奥へ目をやった。
暗い穴の奥から、ひやりとした空気が流れてくる。俺はその空気を視た。
嫌な感じがした。
この坑道は生きていた頃はきっと立派なものだったろう。だが今は違う。長いあいだ人の手が入らず岩も坑木もゆっくりと傷んでいる。放っておかれた品と同じだ。手を離れた坑道は少しずつ崩れていく。俺の目にはその傷みがはっきりと視えた。
「フィオナさん。この坑道、奥は危ないです」
俺は言った。
「入り口から少し行ったところで、天井の岩がゆるんでます。踏み込めば崩れます。それと、その先。よどんだ空気が溜まってます。目には見えませんが、あれは毒の気です。吸えば頭がくらんで動けなくなります。灯りを近づければ燃えることもあります」
「へえ」フィオナさんは坑道の口をのぞきこんだ。「見ただけで分かるのか、そんなの」
「はい。……だから今は入らないほうがいいです。奥の鉱脈まで行くには、崩れた岩をどける道と、毒の気を抜く手立てがいります。それには、この山を知り尽くした人の助けがいります。俺たちだけじゃ、無理です」
俺は心からそう思った。
鉱脈がどこにあるかは、視えた。だがそこまでの道は視えない。どこが崩れやすくて、どこに毒が溜まって、どう掘り進めばいいのか。それは、この山と長く付き合ってきた者にしか分からない。俺の目は、宝と危険は見抜ける。だが道は作れない。道を知る者が、いる。
「無茶をすれば、死にます」俺は続けた。「この六十年、誰も奥へ行けなかったのは、行こうとした人が、みんな崩れや毒でやられたからだと思います」
老いた男はこくりとうなずいた。
「……その通りだ。おれの親父も、崩れに巻かれて死んだ。奥は、鬼がすんでるって言われてる。だが鬼じゃない。あんたの言う通り、崩れと、毒の気だ。……あの奥に、道をつけられる者がいれば」
男は遠い目をした。
「昔は、いたんだ。この山の道を、掌みたいに知ってる探索者が。だがもうずいぶん会っていない。門の街のほうにいるって話は、聞くがね」
門の街。──また、その名だ。
まっとうな商いをする女将。山の道を知る探索者。この土地のまともな者たちは、みんなその街に集まっているらしい。
「あんたたち、門の街へ行くのかい」
「はい」
「なら、いいことを教えてやろう」男は坑道の奥を指さした。「この鉱脈の話、門の街じゃ、誰も本気にしちゃいない。夢物語だと笑われてる。だがあんたの目が本物なら──いつか、この山を、もう一度掘れるかもしれん。そのときは、このじいさんのことも、思い出しておくれ」
俺はうなずいた。
石を男に返す。男はそれを宝物のように両手で包んだ。六十年の夢が、その手の中にあった。
帰り道、フィオナさんが山を振り返って言った。
「なあレイ。あの山、本当に宝があるのか」
「あります。大きいです。……でも今の俺たちじゃ、掘れません」
「道を知る奴がいる、って言ってたな」
「はい。門の街に、いるかもしれません」
フィオナさんは槍を担ぎ直した。
「じゃあ、その門の街ってのに、ますます行かなきゃならないな」
俺はもう一度山を振り返った。
低い山の腹に、暗い坑道の口が、ぽっかりと開いていた。その奥に、六十年、誰も届かなかった宝が眠っている。俺の目は、それを視た。だが視えただけだ。あの宝に手を届かせるには、まだ足りないものが、たくさんあった。
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