第193話 帆と信用
門の街を目指して、俺たちはまた街道を行く。
ヴィオラさんの荷馬車は十を超える。帆をかけた大きな車が土ぼこりを上げて連なっていく。その一台の御者台に俺は乗せてもらっていた。フィオナさんは退屈だと言って先頭の馬のわきを歩いている。
ヴィオラさんは朝からずっと機嫌がよかった。
「いい土地よ、ここは」
手綱をあやつりながら、ヴィオラさんは言った。
「安い。とにかく何もかもが安い。連合の三分の一、下手をすれば五分の一。それでいて品はいくらでも積める。──こんな草刈り場、そうそうないわ」
ヴィオラさんは足もとの麻袋を一つ、爪先で軽く叩いた。ゆうべの宿場で買い込んだものだ。中身は香辛料だった。赤い粉。乾いた木の実。すりつぶした根。連合ではそれなりの値がつく品ばかりだ。
「見なさいよ。この赤い粉、連合で売れば十倍になる。仕入れ値がただみたいなものだから多少まけて売っても丸ごと儲けよ」
俺はその赤い粉の袋を一つ、手に取って視た。
……いつもの癖だ。品があれば、つい視てしまう。
「……これ、混ぜ物が入ってます」
「あら」
「半分は本物の香辛料です。でも残りの半分は赤く染めたおがくずと、粉にした乾いた土です。かさを増やすために混ぜてあります。舌の上ではごまかせても、湯に溶けば下に土が沈みます」
ヴィオラさんは、ちらとこちらを見た。それからなんでもないことのように笑った。
「──知ってるわ。この土地の品は、たいてい混ぜ物入りよ。だから安いの。承知のうえで買ってるわ」
「承知のうえ、ですか」
「連合に持って帰れば、誰も混ぜ物になんて気づかない。この土地の香辛料だって触れ込みで、そのまま棚に並べればいい。半分本物なら、においも色も立派なものよ。買った人は満足するし、こっちは大儲け。誰も損をしない、いい商いでしょう」
俺は袋を膝の上に置いたまま、しばらく黙っていた。
誰も損をしない。ヴィオラさんはそう言った。だがそうだろうか。
「……ヴィオラさん」
「なによ、その顔」
「それを連合で売ったら、買った人は混ぜ物入りの香辛料を、本物の値で買うことになります」
「気づかなければ、損した気もしないでしょう」
「気づかなくても、混ぜ物は混ぜ物です」
ヴィオラさんはふっと息を吐いた。手綱を握る手はゆるめないまま、まっすぐ前を見ている。
「あなたのそういうところ、変わらないわね」
俺は、うまく言えなかった。頭の中にあるものを、言葉にするのが下手なのだ。だがこれだけは、放っておけなかった。
「……この土地は、みんなが少しずつ、だましだまされて回ってます。狂った秤も、土の薬も、混ぜ物の香辛料も。誰かが少しごまかして、誰かが少しだまされる。それが当たり前になってる。──俺は、その混ぜ物を、連合まで運ぶ帆にはなりたくないんです」
言ってしまってから、少し言いすぎたかもしれないと思った。ヴィオラさんの帆で、俺はここまで運んでもらった。その帆を悪く言うようなことを、口にしてしまった。
だがヴィオラさんは怒らなかった。むしろどこか面白がるような目をしていた。
「──あなた、覚えてる? わたしが昔、何をした人か」
「連合の、空白のことですか」
「そう。商会が抜けた穴を、力ずくで掠め取ろうとした。安く買い叩いて、高く売りつけて。信用なんてどうでもいい、儲かればいい、ってね。──それで、痛い目を見た。まんまと自滅したのは、掠め取ったわたしのほうだった」
ヴィオラさんは少し遠くを見るような顔をした。
「あのとき学んだのよ。掠め取るより、届けるほうが儲かる。だます帆より、信じられる帆のほうが、長く走れる。……あなたたちに、そう教わったの」
俺は少し驚いた。ヴィオラさんの口から、そんな言葉が出るとは思わなかった。
「じゃあ──」
「でもね、レイ」ヴィオラさんは俺の言葉をさえぎった。「それは連合の話。掟があって、役所があって、だました奴が罰される土地の話よ。ここは違う。ここじゃ正直者から先に潰れる。まっとうにやろうとすれば、あの用心棒くずれに巻き上げられて終わり。──この土地で信用なんて、絵に描いた餅よ」
その通りだった。俺は昨日から嫌というほど、それを見てきた。まっとうな杏を作る行商人が、まっとうだからこそ潰れかけていた。
だが。
「……グラナも、最初はそうでした」
俺は言った。
「買い叩かれて、粗悪品をつかまされて、じり貧で。まっとうにやろうとしても、誰も報いてくれなかった。連合の端の、忘れられた街でした。──でも変わりました。一つずつ、まっとうな品にまっとうな値がつくようにしていったら、いつの間にか、だまされない街になってました」
ヴィオラさんは答えなかった。ただ、手綱をあやつる横顔が、少し考えているように見えた。
商会の会頭のことを、俺はふと思い出した。あの人は最後まで学ばなかった。信用を軽んじて、体面と目先の儲けにしがみついて、それで瓦解した。ヴィオラさんは、違う道を選んだ人だ。だからたぶん、分かってくれる。
「この土地でもできると思うんです」俺は続けた。「時間はかかると思います。でも混ぜ物を運ぶんじゃなくて──まっとうな品を、まっとうな値で運ぶ帆に、ヴィオラさんの荷馬車がなったら。それは、この土地でいちばん、値打ちのある帆になります」
しばらく、車輪の音だけが続いた。
やがてヴィオラさんは肩をすくめた。
「……理屈は分かるわ。分かるけど、すぐには頷けない。わたしは商人よ。目の前の儲けを、そう簡単には捨てられない」
「はい」
「でも──覚えておく。この麻袋の香辛料は、連合で売らないでおくわ。とりあえず、ね」
ヴィオラさんは、足もとの麻袋を、御者台の後ろへ蹴りやった。
それが、この人なりの答えなのだと思った。すぐには変わらない。だが聞く耳は持っている。会頭とは、そこが違う。
「その代わり」ヴィオラさんは、にやりと笑った。「この先に、もっと大きな儲け話があるのよ。香辛料なんて、けちなものじゃない。──この土地の、本当の宝の話」
「本当の宝?」
「山よ。この街道の先に、古い坑道があるらしいの。掘り尽くされたと言われてるけど、その奥に、とんでもない鉱脈が眠ってるって噂。……あなたの目で、それを確かめてみたくない?」
俺はその言葉に顔を上げた。
街道の先。土ぼこりの向こうに、低い山の影が、うっすらと横たわっていた。
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