第181話 新天地の話
ヴィオラさんが、また隊商を連れてグラナに現れた。
北の鉱石を捌く話は、あれから早かった。連合じゅうの鍛冶が、グラナの鉄を欲しがった。ヴィオラの帆は、掘るそばから鉄を運び出していく。坑道はいよいよ忙しく、街はまた大きくなった。
思えば、遠くまで来たものだ。俺が流れ着いたころ、グラナは連合のはずれの小さな街だった。ギルドはその日の仕事にも困っていた。それがいまや、連合じゅうから鉄と目利きを求められる街になった。新しい家が建つ。よその街から、職人が移り住んでくる。うれしいことだ。うれしいのに、ときどき俺は落ち着かなくなる。俺の名だけが知らないところで、どんどん大きくなっていく。その大きさに、いつか俺自身が追いつけなくなる気がして。
その帆が今日は妙な客を一人乗せてきた。
日に焼けた痩せた男だった。旅装はぼろぼろだ。連合の言葉をたどたどしく話す。連合の外れの、そのまた外れ。交易路のいちばん先から来たのだという。
男は一振りの短刀を差し出した。
「これを……買ったんだ。旅の路銀のほとんどをはたいて。名のある鍛冶の作だと言われて。だが」
男の声が震えた。
「三日で刃こぼれした。木を切っただけで。おれはだまされた。だが向こうには、それを裁く組合も、保証の判もない。だまされ損だ。──あんたが、どんな品も見抜くと聞いた。頼む。これは本物だったのか。教えてくれ」
俺は短刀を受け取った。
視るまでもなかった。
鋼が粗い。何度も熱を入れ直した跡がある。銘は、あとから打たれたものだ。名のある鍛冶の作をまねただけの品。刃を叩けば、鈍い音しか返らない。
「……ダメですね、これ」
俺は静かに言った。
「銘は偽物です。鋼も、安物を打ち直したもの。三日で刃こぼれしたのは当たり前です。むしろ三日もったのが上等なくらいで」
男はうなだれた。分かっていたのだろう。ただ、誰かに確かめてほしかったのだ。この理不尽を視てくれる目に。
男は、ぽつぽつと故郷の話をした。
交易路のずっと先。いくつも山を越えた土地。街はあるが、掟がない。強い者が弱い者から巻き上げる。品物は本物か偽物か、買うまで分からない。薬だと言われて買った粉が、ただの土だったこともある。病の子に飲ませる前に気づけたのは、運がよかっただけだと。──だまされて、泣き寝入りして、それが当たり前の土地。誰もそれをおかしいと言わない。言っても、聞く耳を持つ者がいない。
ヴィオラさんが腕を組んで言った。
「これが、交易路の先の景色よ。組合もない。保証もない。徽章も、しるしの帳面も、何もない。売り手が本物だと言えば、それが本物になる。買い手は、だまされてから気づく。──連合が百年かけて作った信用の仕組みが、あの土地にはまだ、何一つないの」
ヴィオラの目が光った。商人の目だった。
「言い換えれば、まっさらな土地よ。これからいくらでも根を張れる。──ねえ検品係さん。あなたがグラナでやったことを、もう一度あの土地で一からやったら。どうなると思う?」
俺には話が大きすぎた。
だがヴィオラさんはふいに声をひそめた。
「ただし、あの土地は無主の地じゃない。噂があるの。交易路のもっと先に、途方もなく大きな商いの盟があると。連合ぜんぶを、ひとつの街くらいにしか見ない規模だと。バルロ商会なんて、その盟から見れば、村の露店みたいなものらしいわ」
連合ぜんぶを、ひとつの街くらいに。
俺にはうまく思い描けなかった。バルロ商会だって、あのころは天より大きなものに思えた。それを村の露店みたいに見る相手。そんなものが、この世にあるのか。
「眉唾かもしれない」ヴィオラさんは肩をすくめた。「でも、火のないところに煙は立たない。あの土地の粗悪品も、無法も、その盟の裾野で起きていることなのかもしれない。──いずれにしても、連合の中には、もうあなたの相手はいないわ。組合は、あなたが変えてしまった。次があるとすれば、それは連合の、外」
連合の、外。
その言葉が妙に胸に残った。俺はずっと目の前の品を視てきただけだ。連合とか外とか、そんな大きな話は、俺には縁のないものだと思っていた。だが考えてみれば、グラナだって、はじめは俺に縁のない街だった。追い出されて、たまたま流れ着いた。そこでダメな品をダメだと言い続けたら、いつのまにか街が変わっていた。──同じことを、もっと広い土地で。俺には、まるで思い描けなかった。ただ、あの短刀の粗い鋼の手ざわりだけが、いつまでも指に残っていた。
◇
その晩、ミレイユさんがまた、あの古い地図を広げた。
白い空白。誰も描き足せなかった土地。そこに、痩せた男の来た道と、ヴィオラの噂の盟がおぼろに重なった。
「行くんですか」ミレイユさんが静かに聞いた。
「分かりません」俺は正直に言った。「でも、あの人の短刀を視て、思ったんです。あの土地には、ダメな品をダメだと言う人が、一人もいない。……なんだか、放っておけない気がして」
ミレイユさんは地図を見つめたまま、何も言わなかった。
その横顔が少しだけこわばっていた。うれしくない知らせを聞いたときの顔だった。だが俺には、なぜミレイユさんがそんな顔をするのか、うまく分からなかった。街の心配だろうか。俺が抜ければ、坑道も検めも回らなくなる。そういうことかもしれない。
フィオナさんが槍の手入れの手を止めた。
「行くなら、あたしも行く。三回目だぞ、これ言うの」
「まだ、行くとは」
「言う前に、言っとくんだよ」
フィオナさんはそっぽを向いた。だが、その口の端は、少しだけ笑っていた。
俺は、白い地図を見つめた。
連合の外。誰も知らない土地。組合も、保証も、しるしの帳面もない場所。そしてその奥に、途方もなく大きな何かが静かに横たわっている。
追放されたときは、行く先なんて選べなかった。ただ流れ着いた先がグラナだった。だがいまは、自分の足で次の土地を選ぼうとしている。──おかしなものだ。鑑定しかできない俺の目が、また見たこともない場所へ向かおうとしていた。
あの痩せた男の、すがるような目。組合も保証もない土地で、だまされ損をして、それでも本当のことを知りたいと願う目。──あれは、どこかで見た目だった。
そうだ。追放されたばかりの、俺自身の目だ。
旅の話は、もう噂話ではなくなっていた。
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