第180話 三人の距離
本部からグラナへの帰り道は、三人連れだった。
俺と、フィオナさん。それにセレネさん。
セレネさんは、組合の改革の橋渡し役になった。グラナのギルドを、いちど見ておきたいという。しるしの帳面も、外れを弾く帳面も、もとはあの小さなギルドで始まったものだ。連合じゅうに広める仕組みの、いわば手本。それを自分の目で確かめたいのだと言った。
道理だと思う。俺は、そう受け取った。
だがフィオナさんは、なぜだか道中ずっと機嫌が斜めだった。
その晩、街道沿いの宿で火を囲んだ。フィオナさんが串の肉を焼いている。セレネさんは少し離れて帳面を開いていた。二人のあいだに、妙な距離があった。
「セレネさんてさ」フィオナさんが火をつつきながら言った。「本部のえらい令嬢だろ。なんでわざわざ、田舎のギルドなんか見に来んの」
「手本を見にいくのに、身分は関わりないでしょう」セレネさんは帳面から顔を上げない。「それとも、来られると困ることでも?」
「別に。困りゃしないよ。ただ──」
フィオナさんがちらりと俺を見た。
「……ただ、なんでもない」
俺には、二人が何を言い合っているのかよく分からなかった。ギルドを見に来るのに、何か問題があるんだろうか。フィオナさんは前から、知らない人が街に入るのを警戒していた。冒険者だから用心深いんだろう。そう思うことにした。
セレネさんが先に休むと、フィオナさんは火を見つめたままぽつりと言った。
「あんたさ。連合公認になって、えらくなって。……どっか、行っちまうのかな、と思って」
「行くって、どこにですか」
「知らないよ。でも、あんたはもう、この街だけの検品係じゃないだろ。連合じゅうが、あんたの目を欲しがってる」
フィオナさんは膝を抱えた。
「あたしは、槍を振ることしかできない。あんたが遠くへ行くなら、あたしは──」
言いかけて、フィオナさんは首を振った。
「いや。行くなら、あたしも行く。前に言ったろ。あんたは視る人、あたしは守る人。おあいこだ。……どこへ行こうと、それは変わらない」
まっすぐな目だった。フィオナさんは、いつもまっすぐだ。
「ありがとうございます」俺は言った。「フィオナさんがいてくれると、心強いです」
フィオナさんはしばらく黙って、それから盛大にため息をついた。
「……そういうとこだよ、あんたの」
何が、そういうとこなんだろう。俺には分からなかった。
◇
グラナに着くと、ミレイユさんが門で待っていた。
連合公認の知らせは先に届いていたらしい。街のみんなが、俺を迎えてくれた。ガロが鍛冶の手を止めて出てくる。ドニが店先で手を振る。子どもたちが、連合公認ってなんだと、はしゃいで俺の周りを回った。俺にもよく分からないのでうまく答えられなかった。
ミレイユさんは俺の顔を見てほっとしたように笑った。
だがその笑みが、セレネさんの姿に気づいて少しだけ止まった。
「……セレネさん。ようこそ、グラナへ」
「お邪魔します。ギルドの仕組みを、見せていただきに」
二人が笑顔で向かい合った。にこやかだった。にこやかなのに、なぜか、火花のようなものが散った気がした。俺は錯覚だと思うことにした。女の人どうしのあいさつとは、こういうものなのかもしれない。
その晩、ギルドの一室で四人で遅い食事をとった。
ミレイユさんが、連合公認の祝いだと、少しいい酒を出してくれた。フィオナさんとセレネさんは、テーブルの端と端に座った。真ん中に、また妙な距離があった。
ミレイユさんが俺に酒を注ぎながら言った。
「あなたが連合公認になって、わたし、うれしいんです。ほんとうに。……でも、少しだけ、こわい」
「こわい、ですか」
「あなたが大きくなりすぎて、いつかこの街に収まりきらなくなるんじゃないかって。──グラナは、あなたの帰る場所であってほしいんです。ずっと」
その声は静かだった。相棒として。街を預かる者として。あるいは、それだけではない何かとして。だが俺には街を心配しているのだと聞こえた。
「グラナは、俺の帰る場所です」俺は言った。「それは変わりません。どこへ行っても」
ミレイユさんは少し目を伏せた。うれしそうで、でもどこか物足りなさそうだった。なぜだろう。俺は本当のことを言ったつもりだった。
そのとき俺はふと、テーブルの隅の酒瓶が気になった。
「……ミレイユさん。この瓶、栓が甘いです。もう気が抜けかけてる。こっちの、封のかたいほうを開けたほうが」
三人が、いっせいに俺を見た。
あきれたような、笑うような、ため息のような。三人の視線が、まったく同じ色をしていた。この瞬間だけ、三人の距離がぴたりとそろった気がした。
「……ほんと」フィオナさんが言った。
「品のことは」セレネさんが続けた。
「封を切らずに、分かるのに」ミレイユさんが締めた。
三人が顔を見合わせて同時にため息をついた。
俺にはやっぱり、何がおかしいのか分からなかった。
夜が更けて、みんなが休んだあと。俺は井戸端で水を飲んでいた。セレネさんが、そこへ来た。手首の銀の腕輪が、月の光に鈍く光っている。
「グラナは、いい街ですね」セレネさんが言った。「人があなたを見る目が、あたたかい。……本部とは、違う」
「セレネさんは、本部に戻るんですか」
「ええ。改革は、始まったばかりだから。わたしがいないと、回らない」
セレネさんは夜空を見上げた。
「あなたはこの街にいて。わたしは本部にいて。……同じ道を歩いているつもりで、気づくと、ずいぶん離れた場所にいる。おかしいですね。同じものを目指しているのに」
その声が少しだけ寂しげだった。
俺はなんと答えていいか分からなかった。改革の道と、検品の道。俺たちの立つ場所は、離れていく一方かもしれない。だが同じものを目指している。それなら、離れていても、いいんじゃないだろうか。──そう言おうとして、うまく言葉にならなかった。
「……いえ」セレネさんは、ふっと笑った。「なんでもありません。おやすみなさい」
銀の腕輪が遠ざかっていった。
俺は一人、井戸端に残った。
フィオナさんの、まっすぐな目。ミレイユさんの、静かな声。セレネさんの、寂しげな横顔。三人とも、俺の知らないところで何かを抱えているようだった。だが、それが何なのか俺には視えない。
品なら、封を切らずに分かる。傷んだ酒も、死んだ種も、産地の偽りも。──なのに、いちばん近くにいる三人の心は、どうしても視えなかった。
鑑定しかできない、というのは、たぶん、こういうことなんだろう。
俺は少し情けない気持ちで夜空を見上げた。
その空の、ずっと北のほうに、まだ見ぬ土地が広がっていることを。旅の話が、もうすぐ本気で持ち上がることを。──このときの俺は、まだ知らなかった。
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