第176話 居場所
朝のギルドは、いつもの忙しさだった。
軒先に荷が並ぶ。今日は木材だった。家のはりに使う、太い角材。それを検めてほしいと、大工の親方が持ち込んできた。
まず俺が、一本ずつ視た。
……この一本。ダメだ。表はきれいだが芯が腐りかけてる。はりに使えば、何年かでたわむ。
「親方。この角材、芯がやられてます。ほかのはいいですけど、これ一本は替えたほうが」
親方が目を丸くした。表からは、まるで分からなかったらしい。
外れはいつも表からは分からない。だから厄介なのだ。芯の腐り。産地の偽り。死んだ種。表だけ見て買えば、あとで泣くのは使う者だ。俺はそれをただダメだと言う。それだけのことだった。
そこへ、主任が帳面を広げた。
「何本のうち何本が外れか。書いておく。どこの誰が納めた木か。次から、同じ蔵の木は念入りに検める」
弾き帳だった。外れを、一つ残らず書き留める。商会で三十年、主任が続けてきたやり方だ。
最後に、青年が銀の徽章をかざした。良い角材に、正式な裏づけの証を記す。徽章持ちの、組合が認めた保証だった。
俺が外れを見つけ、主任が書き留め、青年が裏づける。三人で、一つの流れになっていた。
誰かがえらいわけじゃない。俺の目も、主任の帳面も、青年の徽章も、どれか一つ欠けたら品は守れない。三つそろって、はじめて客を裏切らずにすむ。当たり前のことを当たり前にやる。それだけの流れが、この街には根づいていた。
これは、組合が新しく始めようとしている仕組みとそっくり同じだった。
いや逆だ。組合が、グラナのやり方をまねようとしている。俺たちが小さなギルドで続けてきたことが、連合じゅうの仕組みになろうとしている。その真ん中に、この二人がいた。
改革が連合じゅうで要るものは、ぜんぶこの小さなギルドにもうそろっていた。しるしを綴る手。外れを書き留める帳面。品を裏づける徽章。大したものは、何もない。ただまじめに続けてきただけだった。
元バルロ商会の、主任と青年。
主任は白髪まじりの岩のような男だ。徽章は持たない。商会で長く検品を仕切ってきた。抜き取りではじいた外れの品を、六年、一つ残らず帳面に書き留めてきた。会頭は一度も開かなかった帳面だ。その男が、いまグラナの実務をひとりで回している。
青年のほうは銀の徽章を持っている。商会で検め蔵を任され、抜き取りだけでは全部を守れないと、誰より苦しんだ男だ。だからこそ全部を視る目のもとへ来た。
二人とも、沈む商会を出て、グラナへ流れてきた。
青年は前に一度こぼしたことがある。商会の検め蔵で、たった一人で山ほどの荷を任されていたと。全部は視きれない。抜き取りで済ませるしかない。外れが客に渡るたび、胸が痛んだ。けれど、どうにもできなかった。──その苦しさがこの男を、全部を視る目のもとへ来させた。
その二人に、本部から文が届いたのは、その日の昼だった。
テオさんの名だった。改革の実務を担う人手を、連合じゅうで探している。とりわけ銀の徽章を持ち、しるしの目利きを分かった者を。──青年に、来てほしい、と。
青年は文を手にしたまま、しばらく動かなかった。
「行ってこい」
主任がぽつりと言った。
「お前の徽章と、お前の苦労は、ここだけに置いておくには惜しい。連合じゅうに、抜き取りで潰れかけてる検め蔵が、いくつもある。昔のお前みたいなのが。──お前が行けば、そいつらが救われる」
青年はうつむいた。
「でも俺は。グラナで、やっと……」
やっと居場所を見つけた。そう言いたいのだろう。
商会にいたころ、青年は一人だった。抱えきれない荷を抜き取りで済ませるしかなくて、それが苦しくて。ここへ来て、全部を視る目がとなりにあって、はじめてまっすぐ裏づけるべきものだけを裏づければよくなった。楽になった。グラナは、青年にとって、そういう場所だった。
その居場所を離れるのは、こわい。
俺にはその気持ちが少し分かる気がした。
「居場所ってのはな」
主任が言った。
「一つとはかぎらねえ。俺だって商会が居場所だと思ってた。三十年な。だがあそこは腐って沈んだ。……居場所ってのは、根を張るところと、種を運ぶところと、両方あっていい。俺はここに根を張る。お前は、種を運べ」
青年が顔を上げた。
主任は机の上の弾き帳をとんと叩いた。
「この帳面のやり方を、連合じゅうに広めてこい。外れを一つ残らず書き留める。それだけのことが、どれだけ品を守るか。俺が三十年かけて分かったことを、お前が連合じゅうに広めるんだ。──それがお前の居場所だよ」
青年の目が、うるんだ。
それから、深く頭を下げた。
俺はそれを黙って見ていた。
商会は、ひどいところだった。人を値踏みでこき使い、外れの品を平気で客に押しつけた。会頭は、最後まで自分の非を認めなかった。だから瓦解した。
だけどその商会にも、こういう人たちがいた。腐った蔵のなかで、たった一人、外れを書き留め続けた男。抜き取りに苦しんで、全部を視たいと願った男。──ぜんぶがクズだったわけじゃない。
むしろいちばん真面目だった人たちが、いちばん、あの場所で苦しんでいた。
その人たちがいま、居場所を見つけている。根を張る場所と、種を運ぶ場所を。追い出された俺が、グラナを見つけたように。
俺も、行く先なんて選べずにこの街へ流れ着いた。名も知られず、雇ってもらえるだけでありがたかった。それがいつのまにか帰る場所になっていた。居場所は、探して見つかるものじゃないのかもしれない。気づいたら、そこにあるものなのだ。
青年が本部へ発つのは三日後と決まった。
主任はいつもどおり、机で帳面をつけていた。だがその太い指がときどき止まった。長く一緒に働いた相棒が旅立つのだ。寂しくないはずが、なかった。それでも主任は行けと言った。惜しむより、送り出すことを選んだ。それがこの人の情の示し方だった。
その晩、主任がふと、窓の外を見た。
「……居場所を見つけられん者も、いるだろうな」
誰のこととは、言わなかった。
だが俺はその言葉がしばらく胸に残った。根を張れた者がいる。種を運ぶ者がいる。──だがどこにも根を下ろせないまま、流れていく者も、いるはずだった。
あれだけ騒がしく突っかかってきて、いつのまにか消えていった者たち。いま、どこで、何を思っているのか。
俺にはまだ分からなかった。
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