第173話 育てる目利き
翌日から、中身づくりが始まった。
本部の一室を借りた。テオさん。セレネさん。それに何人かの徽章持ち。改革の骨に肉をつける。まず取りかかったのは、いちばん難しいところだった。
外れを見抜く目を、どうやって各地の徽章持ちに教えるか。
「レイさん」テオさんが切り出した。「あなたの視方を、教えられる形にしたい。手を貸してもらえますか」
俺は少し困った。
「教える、と言われても。……俺のは、なんというか、こう。視れば分かる、としか」
うまく言えなかった。ダメな品はダメだと分かる。それは呼吸と同じで、順番に習ったものじゃない。だからどう教えればいいのか、俺にも分からなかった。
だがセレネさんは、あきらめなかった。
「大丈夫です。前にも、やりました。憶えてますか」
言われて、思い出した。
連合の空白を埋めようとしたころだ。ヴィオラさんと組んで、少ない品目で試した。俺の視方を"しるし"にして、隊商の者に覚えてもらう。重さ。艶。芯の色。一つずつ言葉に置き換えていく。あのときも、俺は「教えられない」と思っていた。けれどしるしにすれば、伝わった。小さな成功だった。
「あれを、組合ぜんたいの規模でやるんです」
セレネさんが言った。
その日集められた徽章持ちは五人だった。若い銀の徽章。年かさの金の徽章。守旧派だった者も、混じっていた。みんな、外れを見抜く目に半信半疑だった。徽章の等級は読める。だが外れは、これまで見ないことにしてきた。
台に薬種が並べられた。干した薬草の束。どれも同じに見えた。
まず徽章持ちが検めた。等級はみな上と読んだ。乾き具合も束ね方も申し分ない、と。
次に俺が視た。
……二束、ダメだ。
「この二つ。中がやられてます。表の葉は青いんですけど、束の内側が、湿気で蒸れてる。香りが、くたびれてる」
徽章持ちたちが束を鼻に近づけた。分からないという顔だった。表の葉は確かに青い。
そこでセレネさんが動いた。
「しるしにしましょう。──まず重さ。蒸れた束は、湿気を吸って、少し重い。持ち比べてください」
五人が束を持ち比べた。
「……あ」若い銀の徽章が声を上げた。「こっちが、ほんの少し、重い」
「次に色。表の葉じゃなく、束をほどいて、内側の茎の切り口を見てください。生きた薬草は、切り口が白い。蒸れたものは、うっすら茶色くなってます」
束がほどかれる。切り口をみんなが覗き込んだ。
「本当だ……内側だけ、色が違う」
「最後に香り。レイさんの言う"くたびれた香り"は、青くささが抜けて、かびの匂いがまじってきた香りです。一度覚えれば、分かります」
五人が順に香りをかいだ。
一人、また一人と、顔つきが変わっていく。見えなかったものが、見えはじめている。しるしを手がかりに、外れをたどれるようになっていく。
見えた、という顔だった。徽章を持って長い者ほど、その驚きは大きいようだった。等級を読む腕には覚えがある。なのに、すぐ目の前の蒸れを、これまで一度も見てこなかった。見ようとしなかっただけだ。しるしを一つ渡されただけで、品の見え方が変わる。そういう顔だった。
俺はそれを不思議な気持ちで見ていた。
俺には香りがくたびれてるとしか言えない。重さも色も、言われてみればそのとおりだ。だが俺はそこを一つずつ確かめて視ているわけじゃない。ぜんぶ一度にダメだと分かる。だけどセレネさんがそれを一つずつのしるしにほどいてくれると、俺以外の人にもたどれるようになる。
年かさの金の徽章の男が、蒸れた束を手に、ぽつりと言った。
「……七十年、薬種を検めてきた。等級は、目をつぶってでも読める。だが蒸れは見ようとしてこなかった。上等かどうかしか、見ていなかった」
その声には悔いがあった。
「見ようとすれば、見える。しるしさえ、あれば」
テオさんが、それを書きとめた。重さ。切り口の色。香り。品ごとに、しるしを綴っていく。薬種のしるし。穀物のしるし。織物のしるし。一冊の帳面が、少しずつ埋まっていった。
これが、育てる目利きだった。
俺の目そのものは、写せない。だが俺が視ているもののしるしは、写せる。それを各地の徽章持ちが学ぶ。一人の目に頼らず、外れを見逃さない。ベッケンの懸念への、本当の答えだった。
俺は一人の変わり者だった。
徽章もなく、ただ品を視るだけの。街を一つ追われた検品係。それがいつのまにか、連合じゅうの品を守る仕組みの、種になろうとしている。
でも大きくなるのは、俺じゃない。
スケールが大きくなる。人はそう言うかもしれない。だが俺のしていることは、前と何も変わらない。ダメな品をダメだと言う。それだけだ。変わったのは、その一言を受け取る人の数だけだった。連合が広いぶん、届く先が広い。ただ、それだけのことだった。
しるしを覚えた徽章持ちが各地で外れをはじく。その一人ずつがそれぞれの街で、客を裏切らない品を回していく。俺の目が連合を覆うわけじゃない。信用が広がっていくだけだ。人から人へ。街から街へ。──それは剣で国を広げるのとは、まるで違うやり方だった。
剣なら、勝った者の色に染まる。信用は違う。染めるのでなく、預けるものだ。品を信じてもらう。その信を一つずつ積む。積んだぶんしか広がらない。だから壊れにくい。俺はそんな理屈をうまく言葉にできないけれど、たぶんそういうことなのだと思った。
ふと、グラナのことを思った。
あの街でも同じことをしてきた。七割は、みんなが自分の目で視る。残りの三割を、俺とセレネさんが視る。ドニやルカが、育てた目利きの仕事を守っている。小さなギルドで根を張ったやり方が、いま連合の規模で試されようとしていた。
ミレイユさんが聞いたら、なんて言うだろう。あの人はいつも、街が大きくなるのを喜びながら、少しだけ怖がっていた。大きくなるほど、目が届かなくなる。だから、しるしなのだ。目の届かないところでも外れをはじける仕組み。ミレイユさんの心配に、これは一つの答えになるかもしれなかった。
だがしるしの帳面をいくら作っても、それだけでは足りなかった。
連合は、広い。しるしを、各地の徽章持ちへ届けなければならない。人を回し、帳面を運び、教えて歩く。それには、連合じゅうに張った足がいる。
その足を持つ人に、心当たりがあった。
半年前、俺たちから客を横取りしようとした、あの大商人だった。
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