第172話 内側から変える
決は静かに採られた。
金の徽章。銀の徽章。銅の徽章。評議員が一人ずつ白い小石を皿に置いていく。組合の古いやり方だ。賛成なら右の皿。反対なら左の皿。二つの皿がどちらへ傾くかで決まる。
俺は隅の席でそれを見ていた。
広間は静まりかえっていた。小石が皿に触れる、こつん、こつんという小さな音だけが響く。誰もが息を詰めて、その一つずつを数えていた。組合の行く末が、白い小石の数で決まろうとしている。
右の皿に小石が増えていく。テオさん。セレネさん。ロデリック理事。連合の名代たち。そしてベッケンが右の皿へ石を置いた。連合一と謳われた老大家の一票が、改革の側に乗った。
左の皿は軽かった。
モーザーたち残党が渋い顔で石を置く。だが、もう数にならない。天秤ははっきりと右へ傾いた。二十年傾いたままだった皿が、逆の側へ沈んだ。
ロデリックが天秤を見た。それから静かに口を開いた。
「──決した。組合は変わる」
広間がどよめいた。
安堵の息をつく者。天を仰ぐ者。まだ信じられぬという顔で天秤を見つめる者。連合の名代ザネッティが、ひとつ深くうなずいた。組合は自ら古い嘘を暴き、そして自らを直すと決めた。連合は、それを見届けた。潰せという声は、もう本部の外にも聞こえなくなっていた。
長い歴史で一度もなかったことが、いま起きた。組合が、自分の判を作り直すと決めた。徽章は残す。そこに外れを見抜く目を組み合わせる。ゆうべ夜通し組んだ骨が、組合の新しい背骨になる。
俺はまだ、うまく飲み込めなかった。俺がやってきたのは、ただの検品だ。それが、こんなに大きなものを動かした。実感が追いつかない。
だが、決まったのは骨だけだった。
徽章と目利きをどう組み合わせるか。誰が、どこで、どうやって回すのか。中身はこれからだった。骨に肉をつける役目が、その場で決められていく。
本部の側はテオさんが束ねる。銅の徽章の中堅が改革の実務を担う。異存は出なかった。テオさんの筋の通し方は、この評議でみんなが見ていた。昨日の追い出しの悪あがきを静かにいなしたのも、この人だった。見たくないものに蓋をする。その病を正面から言葉にできる人だ。改革の実務を束ねるのに、これ以上の顔はいなかった。
そして、もう一人。
「セレネ・ロデリック」
理事が娘の名を呼んだ。
父としてでなく、理事として。声はあくまで平らだった。
「銀の徽章を持ち、徽章なき目利きの隣で誰より長く品を視てきた者だ。徽章の側と目利きの側。その二つをつなぐ橋渡しを命じる。──異存のある者は」
誰も、声を上げなかった。
セレネさんが立った。そして頭を下げた。背すじはまっすぐだった。
「謹んで、お受けします」
その姿を見て、俺はふと、初めて会った日のことを思い出した。
あれは、グラナのギルドでのことだ。扉が乱暴に開いて、若い女が入ってきた。仕立てのいい外套。塵ひとつない革靴。腰に、銀の徽章。組合の査察役として、その人はまっすぐ俺を指した。
「無資格の者が、銭を取って鑑定を僭称している」
そう言って、俺を裁きに来た。獲物を見つけた、という顔だった。
あのころのセレネさんは、徽章こそが本物の証だと信じていた。徽章を持たない俺のことを、まがい物だと決めつけていた。組合の格式がいちばん正しいと思っていた。
その人が、いま、組合の格式を作り直す側に立っている。
徽章を持つ令嬢が、徽章の外にあるものを、組合の中へ引き入れようとしている。俺を裁きに来た人が、俺の視方を組合の背骨に組み込む役目を引き受けた。
ずいぶん遠くまで来たものだと思った。いや。遠くまで来たのは、俺じゃない。セレネさんのほうだった。
◇
評議が終わると、広間の熱がゆっくり引いていった。
俺は回廊の窓辺で、セレネさんと二人になった。窓の外には、あの天秤の像が立っている。本部の中庭。夕方の光が石の皿を赤く染めていた。
セレネさんは、しばらく黙って像を見ていた。
「わたし、あなたを裁きに来たんです。最初に」
ふいに、そう言った。
「無資格の目利きだと。組合の格式を汚す者だと。──いま思うと、恥ずかしい」
「でも、セレネさんは僕を裁かなかった」
俺が言うと、セレネさんは小さく笑った。
「裁けなかったんです。あなたの視るものが本物だったから。悔しくて、認めたくなくて。それで、ずっとそばで見てました。……気づいたら、こんなところまで来てた」
セレネさんは徽章に指を触れた。銀の天秤の紋章。
「この徽章が、ずっと誇りでした。母の形見の腕輪と同じくらい。──でも、誇りだけじゃ品は視えない。それを、あなたが教えてくれた。だからわたしは、この徽章にちゃんと中身を持たせたい。格式の飾りじゃなくて、品を視る証に。……内側から変えたいんです」
その横顔は静かだった。
俺は、なんと言っていいか分からなかった。
セレネさんの言うことは、たぶん、すごく大事なことだった。徽章に中身を持たせる。それはきっと、俺一人ではできない。徽章を持つ人が内側からやるしかない。セレネさんにしか、できないことだった。
だが、それは楽な道ではないはずだ。徽章を持つ者のなかには、モーザーのように格式を手放したくない者がまだいる。その真ん中に立って、内側から変える。同じ徽章を持つ令嬢だからこそ、向けられる風当たりもあるだろう。それでもセレネさんは、その役目を自分から引き受けた。
「セレネさんが橋渡しなら、心強いです」
俺は、それだけ言った。本当に、そう思ったのだ。
セレネさんは、少しのあいだ俺の顔を見ていた。それから、ふっと肩の力を抜いて笑った。
「……あなたは、そういう人ですよね」
なにか、あきれたような。けれど、いやではなさそうな笑い方だった。俺には、その意味がよく分からなかった。心強いと正直に言っただけなのに。
回廊の柱の陰で、フィオナさんがこっちを見ていた。
護衛のはずが、なぜか少しふくれっつらだった。「……なにが心強い、だ」と、小さくつぶやくのが聞こえた。俺には、やっぱり分からなかった。二人とも、どうしたんだろう。
窓の外で、天秤の像が夕日を受けていた。
骨は決まった。徽章と目利きを組み合わせる。だが、それを連合じゅうに広げなければ、絵に描いた餅で終わる。各地の徽章持ちに、外れを見抜く目をどう教えるか。
それが、次の壁だった。
俺の視方を、みんなが学べる形に。──セレネさんのあの言葉が、いよいよ本当の中身を問われようとしていた。
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