第156話 証拠は品にある
セレネとテオがグラナの検品場を訪ねてきたのは、雨あがりの朝だった。
二人とも旅装のままだった。四日の道を休みなく駆けてきたらしい。セレネの顔には疲れと、隠しきれない張りつめたものがあった。本部を離れてグラナへ来るのが、どれほど危ういか。俺にもそれは分かった。
「ひさしぶりね、レイ」
セレネがそう言った。半年ぶりに近い。だが昔のように突っかかる気配はもうなかった。この人もこの半年で、遠くまで来たのだと思った。
ミレイユが二人を迎え入れ、フィオナが表で見張りに立った。検品場の奥に俺たちは集まった。
テオが抱えてきた革の袋をそっと台に置いた。
◇
袋から出てきたのは、古い帳面と、一反の絹だった。
帳面には産地の欄を墨で消された格づけが、ずらりと並んでいた。南の名産。上等。組合の判。そして荷を運び込んだ者の名。
「ガリアーニ商会」
セレネがその名を口にした。
「連合の北の外れの、古い商家。北の安物を南の名産と偽って組合に持ち込んできた。組合はそれに二十年、上等の判を押し続けた。産地の欄だけを墨で消して。──帳面は、それを語っているわ」
俺は昨日の絹と玉を思い出した。婦人の絹。宝飾商の玉。どちらも南の名産と偽られ、本物の組合の判を押されていた。あれは、たまたまじゃなかった。二十年の型の、いちばん新しい端くれだったのだ。
「でも帳面だけじゃ足りないの」
セレネが苦い顔で言った。
「墨はあとから塗り足せる。名も、書き換えられる。『古い書き損じだ』と言い張られれば、それまで。帳面は、言い逃れができてしまう。──だから動かぬ証しがいる。品そのものに二十年の嘘が刻まれた、たった一つの証しが」
テオが台の絹を指した。
「これは、組合の蔵のいちばん奥にあった一反だ。二十年前、ガリアーニ商会が最初に持ち込んだ、南の名産と称する絹。組合が見本として納めてきた品だ。──レイ。頼む。この絹が、本当は何なのか。どこから来て、どうやってあの判を押されたのか。それを、視てくれないか」
俺はその絹を手にとった。
まず、いつものように視た。南の絹じゃない。北の糸だ。昨日の婦人の絹と同じ作りだった。産地を偽った、まやかしの品。ここまではいつもどおりだ。表を視ればすぐに分かる。
だがテオが求めているのは、その先だった。
この絹の、来し方。どこで織られ、誰の手を経て、いつあの判を押されたのか。品の昔を、奥まで視ること。ふだんは、そこで目を止める。頭の芯がきしむし、品の昔をあばくのは、俺の仕事じゃない。そう思ってきた。
俺はセレネとテオを見た。二人とも、まっすぐに俺を見ていた。
「……分かりました」
俺はそう言った。
偽りの品が目の前にある。ならば俺は視えたとおりに言う。それだけだ。暴くのは俺の仕事じゃない。でもこの絹が何であるかを言うのは、俺の仕事だ。
俺は絹の奥へ、目を沈めた。
◇
視えた。
北の日の当たらぬ機屋。冷たい水にさらした、安い糸。それが一反の絹に織り上げられる。染めは南のやり方をまねてある。糸の値を何倍にも見せるための、うわべの手だ。
その絹が北の外れの商家の蔵へ運ばれる。ガリアーニ商会。荷札が南の名産と書き換えられる。
そして組合へ。
二十年前の、評議の間。若い査定役の手がその絹をあらためる。北の糸だとその手は気づいている。気づいたうえで、絹を置く。ためらいがあった。長い、長いためらい。それから判が押される。南の名産、上等。産地の欄に、墨がひかれる。
絹の奥に、その一部始終が、うっすらと焼きついていた。
視終えたとき、頭の芯が、ずんと重かった。
額の裏がじわりと熱い。視界の端がにじんで、絹の緑が二重に揺れた。俺はよろけて台に手をついた。息があがっていた。品の昔をここまで深く視たのは、久しぶりだった。やたらに視るものじゃない。視るほどに、身が削れる。
「レイ! 大丈夫?」
フィオナがいつのまにか戸口から駆け寄っていた。俺は手で、大丈夫だと示した。
◇
息を整えて、俺は口を開いた。
「……この絹は北の機屋で織られています。二十年前。安い糸を、南の絹に似せて染めたものです。それを、ガリアーニ商会が、南の名産と荷札を書き換えて、組合に持ち込んだ」
セレネが息をのんだ。
「組合で、この絹を検めた査定役は、北の糸だと気づいていました。気づいたうえで、判を押した。──ためらいは、ありました。長い、ためらいが。でも押した。南の名産、上等と。産地の欄には、墨をひいて」
部屋が静まりかえった。
俺に言えるのは、そこまでだった。査定役が誰かは、絹には刻まれていない。人の名は、品には残らない。俺に視えるのは、絹が経てきた道だけだ。北で織られ、商会を経て、判を押された。その道だけ。
だがその先は俺の仕事じゃなかった。
テオが帳面をめくった。二十年前の頁を開き、その絹の格づけを指した。産地の消された、南の名産の絹。荷を運んだのは、ガリアーニ商会。そして格づけを押した査定役の名。
「──この絹の道と、帳面がぴたりと重なる。品が語る道と、帳面の記しが、同じ一点を指している」
テオの声は、震えていた。
セレネが銀の徽章に手をあてた。
「わたしが証すわ。この絹を北の糸だと見抜くのは、銀の徽章ならたやすいこと。査定役がそれを南の名産と格づけたなら、見落としではありえない。知っていて、押したのよ。──レイの視た『ためらい』が、その何よりの証し。見抜けなかったんじゃない。見て見ぬふりをしたの」
主任が低い声で続けた。
「ガリアーニ商会の荷なら、おれも商会で何度か扱いました。北の外れから、南の名産と称する荷が来る。判があるから、誰も中を確かめない。──あの流れは、たしかにありました。おれが、この目で見てきた」
四つの証しが一つの形になった。
品が語る、絹の来し方。帳面が語る、二十年の型。銀の徽章が証す、格づけの嘘。寝返り組が知る、荷の流れ。どれか一つなら、言い逃れができた。だが四つが同じ一点を指したとき、それはもう動かせなかった。
組合が、二十年、偽りに判を貸してきた。その証しが、いま、この検品場の台の上に立っていた。
セレネが絹をそっと布に包んだ。
「これで、証しは立った。──あとは、これを、どこへ突きつけるか」
その手がわずかに震えていた。この証しを評議会へ持ち込めば組合のいちばん古い名が、揺らぐ。それがどれほど恐ろしいことか、この人がいちばんよく分かっていた。
「その前に、会わなければならない人がいるの」
セレネは静かに言った。
「わたしの、父に」
俺は絹を視ただけだ。北の糸だ。南の名産じゃない。二十年前にためらいながら判を押された。ただそれだけを言った。
だがその「それだけ」が、いま、組合のいちばん深い底で、二十年眠ってきた古い嘘を、ついに掘り起こしていた。
あとは、この人たちの番だった。
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