第151話 古い帳面の影
キランから戻って幾日かが過ぎた。
グラナの検品場は、あいかわらず品であふれていた。俺は積まれた荷を一つずつ視ていく。連合の会がどうとか、徽章がどうとか、そういう話はこの場所に関わりない。傷んだ品を「ダメですね」と言う。良い品を通す。俺のやることは、それだけだ。
この日も朝から荷が絶えなかった。塩の樽。干した果実。革のたば。よその街から届いた酒瓶。どれも視れば良し悪しがすぐに分かる。良いものは通し、傷んだものはよける。半年、毎日くり返してきた仕事だ。手が勝手に動く。
昼を過ぎたころ、一人の婦人が検品場を訪ねてきた。
遠い街から幾日もかけて来たらしい。旅装は埃にまみれ、その手は大事そうに布の包みを抱えていた。
俺の前まで来ると、婦人は深く頭を下げた。グラナの目利きは、金や力になびかず視えたとおりを言ってくれる。そういう噂を遠い街で聞いたのだという。だから幾日も歩いてここまで来た。ほかの誰に視てもらっても、本当のことは言ってもらえない気がした、と。
「グラナの目利きさまに、どうしても、視ていただきたいものがあるのです」
包みを開くと、一反の絹が出てきた。
俺はその絹を受け取った。
上等な絹に見えた。艶がある。手ざわりもなめらかだ。端に組合の保証の判がしっかりと押されていた。南の名産。上等。──そう記されていた。
だが視ていくと違和感があった。
糸が違う。南の絹の糸ではない。北の別の蚕の糸だ。それを南の絹に似せて艶が出るように織ってある。染めも南のやり方をまねているが、芯の色がわずかに硬い。
南の絹は、日ざしの強い土地で育った蚕の糸で織る。だから光を含んだような、やわらかい艶が出る。この絹の艶はそれとは違った。表だけを磨いて出したうわべの光だ。手にかけて幾月かで、その艶は死ぬ。糸のほつれも、じきに出るだろう。この婦人が気づいたのは、たぶんその最初のほころびだ。
これは、南の名産ではない。
「……この絹、産地が札と違います。南の名産と書いてありますが、糸は北のものです。悪い品ではない。でも南の絹の値打ちは、ありません。あなたは北の絹に、南の絹の値を払わされたんです」
婦人の顔から血の気が引いた。
娘の嫁入りにと、なけなしの銭をはたいたのだという。組合の保証があるから間違いないと思ったのだという。婦人の声は震えていた。俺はかける言葉を持たなかった。品の真贋は視えても、人の落胆までは直せない。
「……それでも本当のことを知れて、よかった」
婦人は涙をこらえてそう言った。だまされたまま娘に持たせるところだった、と。その言葉がかえって胸に刺さった。俺はこの婦人の銭を取り戻してやることはできない。ただ、まやかしをまやかしと言っただけだ。それでも礼を言われると、いたたまれなかった。
◇
俺はもう一度、その絹を視た。
視ようと思えば、もっと奥まで視えた。この絹が、どこの蚕から、どんな手を経てこの判を押されるに至ったか。その来し方の影が、絹の奥にうっすらと揺れていた。
けれど俺はそこで目を止めた。
そこまで視ると、頭の芯がきしむ。それに、品の昔をあばくのは俺の仕事じゃない。俺はいま目の前にある品が、本物か偽物か。それを言うだけだ。この絹は、南の名産ではない。それでじゅうぶんだった。
そばで見ていた主任が低い声で言った。
「レイさん。……おれ、これに見覚えがあります」
主任は絹の判をじっと見ていた。元商会で荷を扱ってきた男だ。品を見る目は俺とは違うが、長年の勘がある。
「商会にいたころ、こういう品を何度か通しました。組合公認の南の名産。判があるから、疑いもしなかった。──でもいま思えば、あのなかにも、北物が、混じっていたのかもしれない。組合の判さえあれば、誰も中身を確かめなかったんです」
主任は苦い顔をした。
「組合の判は、重いんです。あれが押してあれば、どんな目利きも口をつぐむ。判に逆らうのは、組合に逆らうこと。──だからみんな、見て見ぬふりをした。おれも、そのひとりでした」
俺はうなずいた。組合の判は連合でいちばん重い判だった。その判さえあれば、品は疑われず、値がつき、売れた。裏を返せば、その判は、まやかしを隠すいちばん厚い布にもなる。
俺は絹の判を、あらためて視た。
押された判に、まやかしはない。本物の組合の判だ。偽物の判を押したのではない。本物の判が、偽物の品に押されている。──それは、判を押した者が偽りを知っていて、通したということだった。
◇
その晩、本部から一通の文が届いた。
差出人はセレネだった。
文には、こう書かれていた。組合の古い蔵に、産地の記しの消された帳面がある。商会に泣かされた人、組合の品で損をした人。その人たちの声を集めてほしい。二十年、組合が見て見ぬふりをしてきた嘘の輪郭をつかみたい、と。
俺は昼の婦人の絹を思い出した。
南の名産と偽られた、北の絹。組合の判を押された、まやかし。あの婦人ひとりの話ではないのだ。同じことが、二十年、連合のあちこちで繰り返されてきたのかもしれない。組合の権威が、その偽りに、判を押し続けてきた。
半年前なら、こんな話は遠い雲の上のことだった。俺はただの検品係で、組合の判の重さも、その裏に隠れたものも知らずにいた。いまは違う。目の前の一反の絹が、その古い嘘のいちばん端をつまんで、俺の手のなかに置かれている。
俺にはまだ、そのすべては視えない。
俺に視えるのは、目の前の一反の絹だけだ。これは北物だ。南の名産じゃない。それだけだ。誰が、いつ、なぜ、この判を押したのか。人の昔は、品とちがって割ってみることができない。──暴くのは、俺の仕事じゃない。
でもと俺は思った。
偽りの品が目の前に出されたら。俺は視えたとおりに言う。それだけは、変わらない。
この一反の絹が北物だと言った、たったその一言が。組合の底に、二十年埋もれてきた古い嘘を、静かに掘り起こしはじめていた。
婦人の絹は、大きな氷山のほんの一角だった。
その氷山の下に、何が沈んでいるのか。組合の、いちばん古くて、いちばん暗いところに。俺にはまだ視えない。ただ、視えたものを視えたと言う。そのたびに、埋もれた何かが、少しずつ表へせり上がってくる。──そんな気配が、静かに近づいていた。
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