第147話 街が大きくなる
グラナの朝は、半年前より、ずっとにぎやかになっていた。
通りに、新しい建物が増えていた。空き地だったところに、家が建つ。古い家に、二階が継ぎ足される。木を組む音。槌の音。荷を運ぶ声。朝から街のあちこちで、人が動いていた。
俺はその通りをギルドへ向かって歩いていた。
半年前は、こうではなかった。
俺がこの街へ来たころ、グラナは連合の隅の名もない小さな街だった。通りは静か、店はまばら、日が落ちればもう人影もなかった。ギルドの台所はいつも火の車で、ミレイユは文の山と向き合ってはため息をついていた。あのころのグラナを知っている者からすれば、いまのこのにぎわいはまるで別の街のように見えるだろう。
人が集まってくる。品が集まってくる。噂を聞きつけた職人や商人がよその街から居を移してくる。街が大きくなるというのは、こういうことらしい。にぎわいの真ん中で、俺はあいかわらず品を視ている。
通りの角で、大工の親方に呼び止められた。
「レイさん。ちょうどいいところに。この梁、見てくれねえか」
新しく建てる家の太い梁が地面に何本も並べてあった。
俺は端から順に視ていった。どれもまっすぐで、良い木だ。節も少ない。けれど三本目の梁で、目がとまった。表はきれいだった。傷もない。だが芯の近くに、うっすらと黒い筋が通っていた。
「……この梁、だめですね。中に水が回ってます。表はなんともないのに、芯だけ湿ってる。これを屋根の重みがかかるところに使うと、何年かしてたわみます」
「うへえ。言われなきゃ、気づかねえや」
親方はその梁を脇へよけた。
「助かるよ。あんたが街にいてくれると、家がめったに傾かねえ。よその街じゃ、建てて三年で床が斜めになる家もあるってのにな」
俺は残りの梁も視て、良いものだけを親方に返した。
半年前は、こんなふうに呼び止められることもなかった。いまは通りを歩くだけで、あちこちから声がかかる。梁を。酒を。革を。薬を。街が大きくなるほど、視るものが増えていく。俺のやることは何も変わらないのに、その周りだけが、どんどんふくらんでいった。
◇
ギルドに着くと、ミレイユが受付にいた。
机の上に、いつもより多くの文が積まれていた。品の依頼。坑道の問い合わせ。提携の申し出。この頃はどれも山のように届く。ミレイユはその一通ずつに根気よく目を通していた。
俺の顔を見ると、ミレイユは一通の文を手にとった。
「レイ。ちょっと、これを聞いてほしいの」
声がいつもより硬かった。
「キランで、連合の有力者たちが集まる会があるの。大商人。諸都市の長。名のある人たちが、卓を囲む。──その会に、グラナも呼ばれた。代表を寄越してほしい、って」
「それは……いいこと、なんですよね」
「いいことよ。半年前なら、考えられなかった。グラナが、連合の大商人と同じ卓に呼ばれるなんて」
ミレイユはそう言って、けれどその文をすぐには置かなかった。
指先が文の端を、かるく折っていた。
「代表は、わたしが行くことになる。ギルド長だもの。あの卓に着いて、名のある人たちを相手にグラナの立場を話す。──そういう役目なの」
俺はミレイユの顔を見た。
いつもの頼れる受付の顔だった。けれどその目のふちに、うっすらと疲れがにじんでいた。夜が浅いときの、あの色だ。品と同じで、無理をしている人は、視ていると、なんとなく分かる。
「ミレイユさん。この頃、眠れてないでしょう」
ミレイユがはっと顔を上げた。
「……どうして、それを」
「なんとなく、です。顔に出てます。品と、同じで」
ミレイユは少しのあいだ黙っていた。
それから小さく息を吐いた。肩の力が、すっと抜けるように。
「……眠れてないわ。この街が大きくなるのは、うれしいの。ほんとうよ。でも大きくなるほど、決めなきゃいけないことが増える。間違えたらこの街のみんなに迷惑がかかる。──その重さが、夜になるとのしかかってくる」
はじめて聞く、弱音だった。
台所が火の車のときも、商会に押されていたときも、ミレイユは弱音を吐かなかった。抱えて、抱えて、一人で背負ってきた。その人がいま俺の前で、少しだけ荷を下ろしていた。
◇
「じゃあ、俺も行きます。キラン」
俺は言った。
「代表はミレイユさんでいい。俺は品を視る係として、後ろにいます。会で目利きが要るなら、視ます。要らないなら、隅で待ってます。──一人で背負うより、二人のほうが、楽でしょう」
ミレイユが俺の顔を見た。
それからふっと笑った。目のふちの疲れが、少しだけやわらいでいた。
「……ずるいわね、あなたは。そういうことを、なんでもない顔で言うんだから」
俺には何がずるいのか、よく分からなかった。
ただミレイユが一人で重いものを背負っているなら、半分持てばいい。それだけのことだ。重い荷を二人で運ぶのと、何も変わらない。持てる者が、持てばいい。
ミレイユは机の文をそっとそろえ直した。その手つきに、さっきまでのこわばりは、もうなかった。
「そうと決まれば、支度をしなきゃ。あなたも、いちばん傷んでない服を出しておいて。連合の卓に、油じみのついた上着で座るわけにはいかないでしょう」
「……善処します」
◇
その日の夕方、俺は街を歩いた。
新しく建った家。増えた店。行き交う人の多さ。半年前、荷運びの下働きにも数えてもらえなかった俺が、いまはこの街の真ん中にいる。そして火の車の台所と向き合っていたミレイユが、いまは連合の大商人と同じ卓に呼ばれている。
街が大きくなった。
俺がこの街に来た日、ミレイユは「うちは小さなギルドだけど」と言って頭を下げて俺を雇ってくれた。あのときの小さなギルドは、もうどこにもない。人が増え、荷が増え、名が広がった。けれどその大きさが、ミレイユの肩にそのままのしかかっている。街が大きくなるというのは、うれしいことばかりでもないらしい。
三日後、俺たちはキランへ発つ。
連合の名のある人たちが、卓を囲む会。そこで何が話されるのか、俺には見当もつかなかった。ただミレイユが一人で気を張らずにすむように、俺は隅で、静かに品を視ていよう。そう思っていた。
その会が、俺の名を、連合のもっと大きな盤の上へ押し上げることになるとは、このときの俺はまだ知らずにいた。
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