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第145話 崩落の前に

 月の銀の鉱脈を追って、俺たちは坑道の深いところへ下りていた。


 下りるほどに、道は険しくなった。古い民が掘り進めた跡は、地の底へ近づくほど荒れていた。急いで掘ったのだろう。支えの木組みは細く、岩肌にはあちこちに古いヒビが走っていた。


 俺の仕事はここでも一つだ。視ること。


 どの岩がもろいか。どの床が抜けるか。どこに毒の気がたまっているか。前を行くトーロが俺の言葉を頼りに道を選ぶ。フィオナはいつでも動けるように、すぐ後ろについていた。


「レイ。この先、二股だ。どっちへ行く」


 トーロが足を止めた。


 俺は二股の奥を、それぞれ視た。


 右の道。天井の岩に、幾筋もの古いヒビ。そのヒビが奥へ行くほど深くなっている。岩と岩の噛み合わせがゆるみかけていた。


「右はだめです。天井がもう限界に近い。振動一つで落ちてくる。──左へ」


 トーロは何も言わず左へ折れた。


 半年前なら、こんな深いところまで、誰も潜れなかった。


 どこが崩れるか分からない。どこに毒がたまっているか分からない。分からないまま踏み込めば、命がいくつあっても足りない。だから古い坑道の深いところは、どこの街でも手つかずのまま放られてきた。宝があると分かっていても、そこへ行けば死ぬからだ。


 けれど俺の目があれば、話は変わる。


 崩れる岩を、崩れる前に視る。毒を、吸う前に視る。危ないところを一つずつ避けていけば、これまで誰も入れなかった深みへも、生きて下りられる。俺は戦えない。魔物と斬り結ぶこともできない。それでもこの目が一つあるだけで、地の底の宝に手が届く。トーロは、そう言って笑っていた。


  ◇


 左の道を進むと、じきに広い間へ出た。


 壁に月の銀の筋が太く光っている。掘るには格好の場所だった。トーロが「ここなら掘れる」とつるはしを構えた。


 その瞬間、俺の背がぞくりとした。


 間の天井を俺は見上げた。


 太い岩の梁が、天井を支えている。その梁の真ん中に黒い筋が一本走っていた。古いヒビだ。長い年月をかけてじわじわと育ってきたヒビ。それがいま、限界まで来ていた。梁が自分の重みに耐えかねている。


「──出て。いますぐ」


 俺は低く鋭く言った。


「この間、崩れます。天井を支えてる梁が、もう保たない。つるはしの一打ちどころか、大きな声一つで落ちる。──全員、来た道を戻って。走らず、静かに、急いで」


 トーロは何も聞き返さなかった。


 つるはしを下ろし、皆に手で退避をうながした。半年、俺と潜ってきた男だ。俺が「出ろ」と言えば、理由を問う前に体が動く。フィオナが若い二人の背をそっと押し、俺たちは来た道を戻った。


 間を出て、細い通路を十歩ほど進んだ、そのときだった。


 背後で、地の底がうなった。


 鈍い、重い音。腹に響く震え。振り返ると、いましがたまでいた間が、土煙のなかに消えていくところだった。天井の梁が折れ、岩が幾つも降ってくる。俺たちが立っていた場所は、いま、岩の山の下になっていた。


 若い二人の顔から、血の気が引いていた。


 俺の背にも遅れて冷たい汗がにじんだ。ほんの十歩。梁が保つのがあと少し早ければ、俺たちはあの土煙のなかにいた。危ないと視えても、間に合わなければ意味がない。視るのと、逃げ切るのは、別のことだ。それを、いまのいままで忘れかけていた。


  ◇


 だがまだ終わりではなかった。


 土煙が、通路のほうへ流れてくる。その煙のなかに白い気がまじっていた。崩れた岩の下から古い毒の気が押し出されたのだ。匂いはない。色も薄い。けれど視えた。


「口をふさいで。息を止めて。──もっと下がる」


 俺は皆を、さらに奥へ押し戻した。


 布で口を覆い、毒の気の届かないところまで退く。しばらく皆で息をひそめた。土煙が薄れて白い気が地の底へ沈んでいくのを、俺はじっと視ていた。


 やがて気が晴れた。


「……もう、大丈夫です。抜けました」


 皆が詰めていた息を吐いた。


 トーロが壁に背をあずけてずるずると座り込んだ。


「……あそこで掘ってたら、皆、生き埋めだった。あんたが『出ろ』と言わなけりゃ、いまごろ岩の下だ。──毒まで漏れて。二重に、殺されるところだった」


「視えたから、言っただけです」


 俺はいつもの返事をした。


 俺は岩一つ持ち上げていない。剣も振っていない。ただ天井を見上げて、危ないと言った。それだけだ。それだけのことで、四人の命が、岩の下敷きにならずにすんだ。坑道の深くでは、腕っぷしより、地味な目のほうが、よほど人を生かす。


  ◇


 地上に戻ると、日はもう傾いていた。


 誰も欠けていなかった。四人とも、無事だった。荷は軽い。今日は月の銀を、ひとかけらも掘れなかった。それでいい。宝は逃げない。命は、一度失えば戻らない。それでも皆が生きて帰った。それがいちばんの収穫だった。


 その晩、ギルドでミレイユが言った。


「レイ。この頃、よその街から、坑道のことで問い合わせが来るのよ」


 ミレイユが机に何通かの文を並べた。


「グラナのギルドは、危ない坑道でもけが人一人出さずに宝を掘る。どうやっているのか、教えてほしい、と。──連合じゅうから、そんな声が来てるの」


「教えるも何も。危ないところを、危ないと言ってるだけなんですけど」


「その『だけ』が、できないのよ」


 ミレイユが苦笑した。


「よその坑道じゃ、毎年、何人も死んでる。落盤で。毒で。誰もそれを前もって視られないから。──あなたが一人いるだけで、この街の坑道は、連合でいちばん安全な坑道になった。それは、宝が出ること以上の値打ちよ」


 俺にはやっぱり、ぴんと来なかった。


 危ない坑道を、危なくなくする。俺のやっていることは、それだけだ。けれどその「それだけ」が、どこの街にもなかったらしい。街を出るときは荷運びの下働きにも数えられなかった俺の目が、いまは、連合じゅうの坑道の話にまで届いている。


 ミレイユは最後に一通の文を、俺のほうへ滑らせた。


「それと、もう一つ。ガロさんが、あの青白い金属で、試しに小刀を打ったの。──それが、とんでもない代物だったそうよ。明日、見てほしいって」


 月の銀の、小刀。


 あの古い民が、地の底に眠らせたまま去った金属。それが、はじめて人の手で、形になる。


 どんな刃になったのか。俺は少しだけ、明日が楽しみになった。

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