第142話 気づく大商人
ヴィオラ・ダンスクがグラナへ来たのは、文が届いて三日あとのことだった。
帆に、ダンスクの紋。隊商の荷車が数台、ギルドの前に並んだ。半年前なら街じゅうが身構えたことだろう。横取りの大商人が来た、と。けれど今は違った。荷を運んでくれる商人として、皆がふつうに迎えた。
ヴィオラは相変わらず堂々としていた。上等な旅装。まっすぐな背すじ。それでいて以前のような値踏みする目つきは、もうしなかった。
「久しぶりね、検品係さん」
ヴィオラが笑った。
「ご無沙汰してます」
俺は頭を下げた。
ミレイユが二人を奥へ通す。茶が出る。ヴィオラは一口飲むと、さっそく本題に入った。
「文にも書いたけれど。連合で、あなたの名がまた上がっているのよ」
「俺の名が」
「ええ。しかも今度はけなす声じゃない。──あなたの目に、値をつけたがっている声よ」
俺には、まだ話が見えなかった。
◇
「先だって、連合の大商人が幾人か寄合を持ったの」
ヴィオラが茶碗を置いた。
「信用の話よ。バルロ商会が抜けてから、連合の品の信用はずっと宙に浮いたままだった。誰の目を頼りにすればいいのか。誰の折り紙をつければ、品を安心して売り買いできるのか。──その話のなかで、あなたの名が出た」
「誰が、そんな話を」
「わたくしよ」
ヴィオラはあっさり言った。
「隠すことでもないから正直に言うわ。わたくしの隊商は、この半年、グラナの検めを通った品を運んできた。外れが一つもなかった。傷んだ革も、混ぜ物の塩も、一度も混じらなかった。どの街へ運んでも文句が出ない。だから高く売れる。買うほうも安心して大金を出す。──これは情でも義理でもない。実利の話よ」
俺は、なんと言っていいか分からなかった。
「そんな、たいそうな話じゃ。俺はただ、傷んだ品を傷んでると言ってるだけで」
「そう。ただ、それだけ」
ヴィオラが目を細めた。
「でもね、検品係さん。連合じゅうを探して、その『ただそれだけ』が、ほかの誰にできるの?」
俺は黙った。
ヴィオラの言葉は、いつも刃みたいにまっすぐだった。半年前は、その刃がこちらへ向いていた。いまは、なぜか俺の側から物を言ってくれている。それが少し、くすぐったかった。
◇
ヴィオラは荷のなかから小さな包みを取り出した。
「寄合にいた一人が、あなたに試してほしいと。南の油の都の大きな商人よ。香油を扱っている」
包みを解くと、硝子の小瓶が三つ並んでいた。琥珀色の香油が、とろりと満ちている。
「三つのうち一つだけが本物の上物。あとの二つは、それらしく作った紛い物だと。──言い当てられたら、あなたと組む。それが、あちらの申し出よ」
試すような話だった。
けれど俺は、こういうのは嫌いじゃない。品を前にすれば、やることは一つだ。視るだけ。
三つの小瓶を灯りにかざした。とろみ。澄み。底に沈んだ濁り。栓を抜いて匂いをかぐ。
すぐに分かった。
「これです。真ん中のが本物」
俺は迷わず言った。
「右のは、上物の香油に安い油を混ぜてある。とろみは似てるけど、底のほうにわずかな濁りが沈んでる。時がたてば分かれます。左のは──そもそも香りが作り物だ。花から搾ったんじゃない。それらしい匂いを後から足してる。鼻の奥に、つんと嫌なものが残ります」
ヴィオラが目を見開いた。
「……真ん中で、間違いない?」
「間違いありません。ほかの二つは、ダメですね、これ」
ヴィオラが、ふっと肩の力を抜いて笑った。
「三つとも、あちらが封をして寄越したものよ。中身はあちらしか知らない。──これで決まりね」
俺には、何が決まったのか、よく分からなかった。
ただの香油が三つ。真ん中が本物で、あとは混ぜ物と作り物。それだけのことだ。けれどヴィオラの言い方だと、この三つの小瓶が、遠い南の都の大きな商人の気持ちを一つ動かすらしい。あの目は本物だ、と。品を運ぶだけでは伝わらない何かが、封をした小瓶越しに伝わるのだという。品は、どこまで行っても品でしかない。それを見分ける俺の目に、なぜ人がそこまでの値をつけたがるのか。俺にはやはり、そこがいちばん分からなかった。
◇
ミレイユが、話をまとめにかかった。
「油の都の商人とは、順を追って話をさせてください。グラナはどの街とも同じように向き合います。早い者勝ちにも、高く積んだ者勝ちにもしません。──レイの目は、一つしかありませんから」
毅然とした声だった。
ヴィオラが感心したように目を細めた。
「相変わらず隙のない切り回しね、ギルド長さん。囲い込ませず、安売りもさせず、順番だけを守らせる。──それがいちばん、あなたがたの値を吊り上げるのよ」
「そんなつもりは、ありません」
ミレイユが澄まして返す。
ヴィオラが声をたてて笑った。二人のやり取りを、俺は横で聞いていた。俺の目のことを話しているはずなのに、俺の出る幕はどこにもなかった。視るのは俺の役目。それをどう連合と結ぶかは、ミレイユの役目だ。役割が違う。
◇
帰りぎわ、ヴィオラは荷車に乗り込む前に、ふと足を止めた。
「半年前のわたくしなら、あなたの目を、どうにか自分のものにしようとしたでしょうね」
ヴィオラが言った。
「札束を積むか、うまい言葉で釣るか。とにかく囲い込もうとした。──それが、いちばん損な手だといまは分かる。あなたの目は、あなたのものだから活きる。わたくしは、あなたが視た品を運ぶ。それでいい。足はわたくしが、目はあなたがたが。そのほうが、よほど儲かるのよ」
俺は、そういうヴィオラを少しまぶしく思った。
半年前、この人は横取りに来た商人だった。けれど何度かの取引で、囲い込むより手を組むほうが得だと、自分で学んだ。誰かに諭されたからじゃない。損と得を、自分の頭で数え直した。──そういえば、あの会頭は、最後まで、それができなかった。
ヴィオラは荷車の縁に手をかけ、思い出したように振り返った。
「ああ、そうだ。一つだけ、いいことばかりじゃない話を」
その声が、少しだけ低くなった。
「あなたの名が連合で大きくなるほど、それを面白く思わない人たちがいる。──組合の、古い方々よ。とくに、いちばん奥に座っている、あの静かな長老。あの手の人はね、検品係さん。表で笑って、裏で盤を動かすの。気をつけなさい」
俺は首をかしげた。
組合の長老。あの、白い長衣の老人か。検めのとき、一度だけ向き合った。争うつもりはない、と俺は言った。あの人は静かにうなずいただけだった。
あの人が、俺を面白く思わない。
なぜだろう。俺には、まだ、よく分からなかった。
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