第141話 前衛の信頼
次に潜る前の朝。俺はフィオナの剣を視せてもらった。
潜るたびに俺はそうしていた。前衛の得物は、前衛の命だ。視ておいて損はない。
刃を灯りにかざす。根もとを指でなぞる。鍔の継ぎ目を確かめた。
「フィオナさん。この剣、鍔の近くに細いヒビが入ってます」
俺が言うと、フィオナの顔がこわばった。
「ヒビ?」
「岩クモの殻を突いたときでしょうね。あの硬さです。刃のほうは無事だけど、鍔の付け根が、ほんの少しだけ。──いまは折れません。でも、次にあの硬い殻を本気で突いたら、そこから刃が飛ぶかもしれない」
フィオナは剣を見つめて黙り込んだ。
それからガロの鍛冶場へ走った。
ガロは剣を一目見てすぐにうなずいた。レイの言うとおりだ、と。半日かけて、鍔の付け根を打ち直してくれた。フィオナは新しくなった剣を握り、軽く振って満足げに笑った。
「危なかった。あんたが視てなけりゃ、潜った先で折れてたよ」
俺は首を振った。
「視るのが、俺の役目です」
◇
その日、俺たちは月の銀の階層を、前より深く下りた。
古い石の間を抜け、さらに奥の坂を下る。空気が重くなり、灯りの届く先が狭くなった。古い民が掘り進んだ、その跡をたどっていく。
壁の月の銀は、深く下りるほど太く光った。
地の底へ近づくほど、鉱脈は豊かになる。それだけ宝は深いところに眠っている。けれど深いところには、その宝を守るように危険もまた濃くなる。崩れかけた天井。底の見えない縦穴。俺は一歩ごとに足もとと頭の上を視た。皆は、俺が「進め」と言うところだけを進んだ。
深いところには、深い魔物がいた。
通路の先に、影が動いた。一匹ではない。低い姿勢でこちらをうかがう獣が、三匹。犬ほどの大きさで、毛のないぬめる肌をしていた。
「気をつけて。三匹います」
俺は皆を止めた。
獣を深く視る。動きの癖。息づかい。どこに力が溜まっているか。第二の目がそれを教えてくれた。
「あいつら、群れで狩る。一匹がおとりで前に出て、残り二匹が横と後ろに回る。──正面の一匹に釣られちゃだめだ。本当に危ないのは、左右から来るほうです」
フィオナが剣を構えた。
「左右、ね。任せて」
獣が動いた。
正面の一匹が低く吠えて飛びかかってくる。おとりだ。フィオナはそれに剣を向けなかった。代わりに半身を開いて左へ跳んだ。
まさにそこへ、横手の闇から二匹目が躍り出た。
フィオナの剣が待っていたように振り下ろされた。獣の首がひと太刀で断たれる。返す刃で後ろから来た三匹目の喉も裂いた。残ったおとりの一匹は、トーロの槍が仕留めた。
あっという間だった。
三匹の獣が、通路に倒れていた。
トーロが、ふっと息を吐いた。
「……毎度のことだが、見てて気味が悪いくらいだ。あんたが先に喋って、フィオナが先に動く。まるで、二人で一人みたいだな」
言われてみれば、そうかもしれなかった。俺が口を開く前に、フィオナの体はもう次へ動いている。俺の声とフィオナの剣。べつべつの二つが、いつのまにか、ひと続きの動きになっていた。
「……見えてたみたいに動くね、あんた」
フィオナが息を弾ませて言った。
「見えてたのは、俺じゃありません。フィオナさんです。俺は、横と後ろが危ないって言っただけだ。それを信じて正面を捨てられたのは、フィオナさんの胆力です」
俺は正直にそう言った。
俺の言葉だけでは、獣は倒せない。俺が「左右だ」と言っても、目の前で吠える獣を捨てて跳ぶのは、よほどの度胸がいる。フィオナはそれをやった。俺の声を自分の目より信じてくれた。
それは、簡単なことじゃない。
目の前の牙を捨てて、見えない横へ跳ぶ。一瞬でも俺の声を疑えばフィオナは正面の獣に噛みつかれていた。信じきる、というのは、命を賭けるのと同じことだ。半年前に出会ったころのフィオナなら、たぶん、できなかった。自分の腕だけを頼りに正面から斬り結んでいただろう。フィオナは、変わった。強くなった。誰かを信じられる強さを、身につけていた。
◇
獣の素材を、手早く検めた。
毛のない肌は薄いが丈夫だ。なめせば、上等な水よけになる。牙には、わずかに毒がある。抜いて薬種屋に回せば値がつく。捨てるところは、ほとんどなかった。
ひと息つくと、フィオナが言った。
「なあ、レイ」
「はい」
「あたし、最初は剣の腕だけが取り柄だと思ってた。前に出て斬る。それだけが、あたしの役目だって。──でも、あんたと潜るようになって、分かったんだ。あたしの剣は、あんたの目があって、はじめて活きる」
フィオナの声はめずらしく静かだった。
「あんたが『そこ』って言う。あたしが、そこを突く。あんたが『止まれ』って言う。あたしは、足を止める。──命を、預けてるんだよ。あんたの目に。半年前は、誰かに命を預けるなんて、考えたこともなかった」
俺はなんと答えていいか分からなかった。
命を預けるというのは、たぶんとても重い言葉だ。フィオナがそれをまっすぐ俺に言った。けれど俺にはその重さの底までは、うまく届かなかった。俺はただ、視たまま伝えているだけだからだ。
「……俺も、フィオナさんの剣に、命を預けてます」
俺は思ったままを言った。
「俺は戦えません。横と後ろが危ないって分かっても、俺じゃその獣を止められない。フィオナさんが前にいてくれるから、俺は安心して視ていられる。──おあいこです。たぶん」
フィオナがぽかんと俺を見た。
それから噴き出した。
「おあいこ、か。──うん。そうだね。おあいこだ」
なぜ笑われたのか、俺には分からなかった。
俺はただ本当のことを言ったつもりだった。フィオナの剣がなければ、俺は坑道で何もできない。それは、たしかなことだった。けれどフィオナは、しばらく機嫌よさそうに笑っていた。女の人の笑いどころは、品の真贋よりよほど分かりにくい。
◇
その日の探索を終えて、地上へ戻った。
荷はいつもより重かった。獣の皮。毒の牙。月の銀のかけら。ギルドの蔵が、また少し賑やかになる。
ギルドの戸をくぐると、主任が待ち構えていた。
その手に一通の文。帆の紋が押してあった。ダンスクの紋だ。
「レイさん。ヴィオラさんから、文です。──連合で、妙な動きがあるそうで。あんたの名を、また大きな商人たちが口にし始めた、と。一度、会って話したいと」
俺は文を受け取った。
坑道の奥では、視るべきものははっきりしている。危ないか、安全か。本物か、偽物か。けれど坑道の外では、いつも、俺の知らないところで、俺の名が転がっていく。
今度は、どんな大ごとになっているんだろう。
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