第140話 階層の宝
三日のあいだ毒の霧の出る穴を見張った。
霧は日に日に薄くなっていった。古い壁のヒビから漏れていたものがようやく尽きかけたらしい。四日目の朝、俺は穴に近づき、しゃがんで空気を確かめた。
もう白い気は視えなかった。
「抜けました。もう漏れてない。──でも、念のため、布で口をふさいで進みましょう」
トーロがうなずいた。フィオナが剣の柄を握り直した。
俺たちは奥へと進んだ。
◇
毒の霧の先は、長い下り坂だった。
磨かれた石の段が、闇の奥へと続いている。人の手で、ていねいに刻まれた段だった。一段ずつ下りるたびに、あの青白い光が少しずつ近くなった。
やがて、坂が尽きた。
目の前が、ひらけた。
広い、石の間だった。
坑道の掘り跡ではない。天井を支える石の柱がいくつも立っている。壁には、消えかけた絵が刻まれていた。人の姿。槌をふるう姿。何かを掘り出す姿。ここで、誰かが働いていた。ずっと昔に。
絵のなかの人々は皆うつむいて槌をふるっていた。
どの顔もすり減ってもう見分けがつかない。それでも、その背中には年月の重みがあった。何百年も前に、ここで誰かが汗を流していた。そう思うと、足の裏がすこしだけすくんだ。古い場所には、古いものが眠っている。良いものも、悪いものも。
そして奥の壁。
そこに、光るものがあった。
壁の岩肌に青白い筋が走っていた。幾筋も。幾筋も。松明の火を受けて、その筋がほのかに照り返す。鉱脈だ。見たこともない、青白い鉱脈だった。
「……なんだ、これ」
フィオナが息をのんだ。
俺は鉱脈に近づいた。
手を伸ばしてその照りに触れる。まずは、いつもの見分けだ。硬さ。重さ。混じりもの。指でなぞり、爪を立て、灯りにかざす。
「上等な金属の鉱脈です。──軽くて、たぶん、ものすごく硬い。混じりも少ない。こんなにきれいな筋、見たことがない。亀の沢の青い石とは、まるで別の品です」
それだけでも大変な見つけものだった。
けれど俺の目はその奥へ吸い寄せられていった。
壁の絵。古い段。誰かが掘り去った跡。この場所が、いつ誰の手で開かれたのか。──視たい、と思ってしまった。いけない、と頭の隅で声がした。けれど引っかかりが強すぎた。
俺は鉱脈の奥へと深く目を凝らした。
◇
頭の芯が、ずんと重くなった。
来歴を視るときのあの感覚だ。品の上っ面ではなく、その来し方そのものへ目を下ろす。額の裏がじわりと熱くなる。視界の端がにじむ。
それでも、視えてきた。
遠い昔。とても遠い昔。ここで、人々が働いていた。いまの連合の言葉とは違う言葉を話す古い民だった。彼らはこの青白い金属を掘り出していた。月の銀、と呼んでいた。軽く、硬く、錆びない。彼らの宝だった。
彼らは深く掘った。
この間はほんの入り口にすぎなかった。鉱脈は、ここから地の底へ何層も続いている。亀の沢など比べものにならない。掘り尽くすのに何代もかかるほどの、大きな鉱脈だった。
けれどある日。
地の底から、毒の霧が噴いた。
古い民は何人も倒れた。掘りすぎて、地の奥の毒に当ててしまったのだ。彼らはこの鉱脈を捨てた。重い石の扉を閉ざし、二度と開かぬよう、入り口に古い文字を刻んで、去っていった。
──そこで、視界がぷつりと切れた。
俺はよろけた。
膝に手をつき、荒い息を吐く。頭の奥がずきずきと痛んだ。額に冷たい汗がにじんでいる。来歴を深く視たときはいつもこうだった。視るほどに、身が削れる。やたらに視るものじゃない。
「レイ! 大丈夫か!」
フィオナが駆け寄って肩を支えてくれた。
「……平気です。ちょっと、深く視すぎただけ」
俺は息を整えながら言った。
フィオナは俺が立ち直るまで肩を貸していてくれた。
「無理すんなよ」
低い声だった。坑道では俺が皆を守っているつもりでいた。床の罠を視て、毒の霧を視て、魔物の弱点を視る。けれど、その俺が倒れたとき。今度は誰かが俺を支えなければならない。フィオナの肩は、思っていたよりずっと頼もしかった。守る守られるは、片側だけの話じゃない。そのことに、俺はいま気づいた。
◇
水を一口飲むと、ようやく頭痛が引いた。
俺は皆に視えたことを伝えた。古い民のこと。月の銀と呼ばれた金属のこと。そしてこの鉱脈が、地の底へどこまでも続いていること。
「ここから、地の底まで?」
トーロが低い声で繰り返した。
「ああ。亀の沢の何倍も、何十倍も。──掘り尽くすのに、何代もかかる。それくらい、大きい」
間に沈黙が落ちた。
誰もすぐには言葉が出なかった。それほどの宝が、グラナの足もとに眠っていた。半年前、隅にも数えられなかった小さな街の、その地下に。
「……ただ」
俺は付け加えた。
「古い民が捨てたのは、毒に当てたからです。深く掘れば、また毒が噴くかもしれない。欲をかいて一気に掘れば、昔の二の舞になる。──少しずつ。安全を確かめながら。それを守れるなら、この鉱脈は、グラナの長い柱になります」
トーロが深くうなずいた。
「あんたが先に視て、危ないところを止める。おれたちが、その分だけ掘る。──いつもどおりだな」
「ええ。いつもどおりです」
俺は笑った。
大きな宝でも、やることは変わらない。視て、危ないと言い、安全な分だけいただく。欲を出さない。それが、坑道で誰も死なせない掟だった。
帰り道、荷には、青白い鉱石のかけらがいくつか入っていた。
ガロに見せて、何が打てるか試してもらうのだ。月の銀。軽く、硬く、錆びない金属。これが何になるのか、俺にも、まだ分からなかった。
ただ、一つだけ、確かなことがあった。
グラナは、また一つ、大きくなる。俺の知らないところで。俺が、ただ視ただけのもののせいで。
そして、もう一つ。
この宝を地の底から運び出すには、これまでよりずっと深く、ずっと危ない場所へ下りていくことになる。古い民が毒に倒れた、その奥へ。俺の目だけでは、足りない。前で剣をふるう者がいなければ、一歩も進めない。
俺はちらりと、隣を歩くフィオナの横顔を見た。
帰り道のフィオナはもう鼻歌まじりだった。宝のことより明日また潜れることのほうが嬉しいらしい。この街の宝の一番深いところは、きっとこの直球の剣士に、命を預けることになる。そんな予感が、ふと胸をよぎった。
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