第139話 隠し階層へ
翌朝、俺たちは坑道の口に立っていた。
探索の組は四人。前衛のフィオナ。坑道に詳しいトーロ。荷と灯りを持つ若い探索者が二人。そして、視る役の俺だ。
松明に火を入れ、縄と水と非常の食料を確かめる。トーロが先頭、フィオナがその後ろ、俺は真ん中。最後尾を若い二人が固める。坑道に入るときの並びは、もう決まりごとになっていた。
「足もとに気をつけろよ。あんたが止まれって言ったら、皆その場で止まる。それだけは、忘れないでくれ」
トーロが俺を振り返って言った。
俺はうなずいた。坑道での俺の仕事は一つだ。視ること。床が抜けるか。毒の霧があるか。空気がよどんでいないか。視たまま伝える。それで皆が生きて帰る。
◇
坑道を、ゆっくりと下っていく。
慣れた道のりだった。良い鉱脈の枝と、毒の横穴と、崩れやすい床。どこが危ないかは、前に来たときに視て地図に書きこんである。トーロたちは、その地図を頼りに掘り進めてきた。
下りながら、トーロが横穴の一つを顎で示した。
「ここが、前にあんたが『入るな』と言った穴だ。あれから皆、近づかねえ。試しに犬を入れた猟師の話だと、半日で戻らなかったとよ」
「毒の溜まる穴です。低いところに重い気がたまる。灯りを入れても、火が消える。──近づかないのが正しい」
俺は淡々と答えた。
危ないところを、危ないと言う。ただそれだけのことだ。けれどそれだけのことで、犬一匹ぶんの命が変わる。坑道では、俺の地味な目が、いちばん役に立つ。街でうわさされる「商会を崩した目」より、こっちのほうが、よほど性に合っていた。
半刻ほど下ると、空気が変わった。
ひんやりとして、土の匂いが古くなる。前に崩れていた階層に着いたのだ。瓦礫を片づけた跡があった。トーロたちが、留守のあいだもこつこつと道を通していたらしい。
その奥に、それはあった。
古い石の扉だ。
人の背丈の倍はある。一枚岩を削り出したような、重い扉だった。表に、見たことのない古い文字が刻まれている。長いあいだ、誰の手も触れずにいた扉だった。
「これだ」
トーロが言った。
「あんたが戻るまで、開けずに待ってた。──中に何があるか、おれたちには分からねえ。頼む」
俺は扉に近づいた。
手を当てて、目を凝らす。継ぎ目。蝶番。差し込まれた古い心張り。罠の仕掛けがないか、開けたとたんに崩れる造りでないか。じっくりと視ていく。
「……仕掛けはありません。古いだけです。蝶番が錆びついてるから、開けるのは力がいる。でも開けたあとに崩れる心配はない。──行けます」
トーロとフィオナが扉に肩を当てた。
二人がかりで押した。錆びた蝶番が、低く長く鳴いた。重い扉が、ゆっくりと内側へ開いていった。
◇
扉の向こうは、暗かった。
松明の光が届く先に磨かれた石の床が見えた。坑道の荒い掘り跡とは違う。人の手で造られた、古い通路だった。天井は高く、壁には消えかけた模様が残っている。
「すげえ……」
若い探索者が、声をもらした。
俺も同じ気持ちだった。坑道の奥に、こんなものが眠っていたとは。けれど見とれている暇はなかった。古い場所には、古い危険がある。俺は皆を手で制し、先に通路の空気を確かめた。
よどみはない。毒の霧もない。床も、いまのところ確かだ。
「行きましょう。でも俺の合図でいつでも止まれるように」
通路を、慎重に進んだ。
十歩ほど行ったところで、俺は足を止めた。前方の闇に、何かがうずくまっている。岩の塊に見えた。けれどその表面が、かすかに上下していた。息をしている。
「魔物です」
俺は声を落とした。
「岩みたいな殻をかぶった、大きなクモ。──じっとしてるけど、生きてる。たぶん、こっちに気づいてる」
フィオナがすっと前に出た。剣を抜く。その動きに迷いはなかった。
「弱点は?」
フィオナが低く尋ねた。
俺はその魔物をもう一度深く視た。
硬い殻。岩のような甲。剣ではじかれるのが目に見えていた。けれど殻には継ぎ目がある。前の脚の付け根。そこだけ殻が薄く、柔らかい肉が透けていた。
「正面の殻は硬い。叩いても無駄です。──前の右脚の付け根。そこの殻が薄い。クモがこっちに脚を踏み出した一瞬、そこが開きます。そこを突いてください」
「分かった」
魔物が、動いた。
岩がほどけるように八本の脚が伸びる。思っていたより速かった。俺の背筋が冷えた。けれどフィオナは慌てなかった。魔物が右の前脚を踏み出した、まさにその一瞬だった。フィオナの剣が、殻の隙間に吸い込まれた。
手応えがあった。
魔物が、甲高い音を立てて跳ねた。脚をばたつかせ、横ざまに倒れる。トーロが間を置かず、得物で首のあたりを打った。二度。三度。やがて魔物は動かなくなった。
静けさが戻った。
「……ふう。硬い殻だこと。あんたの『そこ』がなかったら、剣が何本あっても足りなかったよ」
フィオナが汗をぬぐって笑った。
俺は戦っていない。剣も握っていない。ただ、薄いところを「薄い」と言っただけだ。それでもフィオナの剣が活きたなら、それが俺の役目だった。
◇
倒した魔物の殻は、上等な素材になりそうだった。
軽くて硬い。盾にも鎧の継ぎにも使える。トーロが手早く甲を割り、運べる大きさに分けた。ギルドの収入が、また一つ増える。
俺は割れた殻の断面を視た。
「この殻、外と内で硬さが違いますね。外は岩みたいに硬いが、内側はしなる。──ガロさんに見せてください。継ぎ目に使えば、軽くて折れにくい盾ができるはずです。素材として、かなりの上物です」
「ほう。そりゃいい」
トーロが殻を一枚多く荷に加えた。
魔物は、倒せば終わりではない。その身が、誰かの道具になり、銭になる。何が使えて、何が使えないか。それを見分けるのも、俺の役目だった。フィオナが倒し、トーロが運び、俺が値踏みする。三人で、ひとつの仕事だった。
その先へ、なお進もうとしたときだった。
俺は足を止めた。
通路の奥。壁の根もとに、細いヒビが走っている。そのヒビから白い気が少しずつがにじみ出ていた。匂いはない。色も、ほとんどなかった。けれど視えた。
「止まって。──全員、その場から動かないで」
俺の声に、皆が凍りついた。
「奥の壁のヒビから、毒の霧が漏れてます。匂わないし、見えにくい。でもあれを吸うと、じわじわ効く。気づいたときには、もう動けなくなるやつだ。──このまま進めば、全員やられてました」
若い二人の顔から、血の気が引いた。
トーロが低くうなった。
「……またあんたに、命を拾われたな」
俺たちは、いったん退いた。
毒の霧の出ているあいだは、その先へは進めない。布で口をふさいで、ヒビのある場所に印をつけ、今日はそこまでとした。無理をしない。それが、ギルドの掟だった。
退きぎわ、俺はもう一度、通路の奥へ目をやった。
毒の霧の、そのまた先。闇の奥に、何かがぼんやりと青白く光っているのが見えた気がした。鉱石の照り返しとも違う。もっと古くて深い、不思議な光だった。
あの奥に、何かがある。
視たわけではない。ただ、品を前にしたときと同じ、あの引っかかりが、胸の奥でかすかにうずいていた。
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