第137話 帰還と評判
四日の道のりを越えて、馬車がグラナの門をくぐった。
見慣れた街並みが窓の外を流れていく。低い石塀。赤い屋根。井戸端の人だかり。半年前に追放された俺を拾ってくれた、小さな街だ。それがいまは連合じゅうがその名を口にする街になっていた。
通りを行く人が、馬車に気づいて足を止めた。
顔見知りの八百屋が手を振ってくる。荷を運ぶ若い衆が会釈をする。子どもが何人か、馬車のあとを追って駆けてきた。半年前なら、誰も俺の馬車になど見向きもしなかった。それがいまは、街の誰もが「目利きが帰ってきた」と顔をほころばせる。むずがゆいような、落ち着かないような気分だった。
フィオナが御者台で大きく伸びをした。
「やっと帰ってきた。本部の飯は上品すぎて、腹がふくれた気がしないんだよ」
俺は思わず笑った。
四日のあいだ、フィオナはずっとこの調子だった。護衛として気を張っていたぶん、街が見えたとたんに肩の力が抜けたらしい。
門の手前で馬車が止まった。
誰かが立っていた。
ミレイユだ。
検めが長引いたので、ギルド長の務めのために一足先に帰っていた。半月ぶりに見る顔だった。文ではやり取りしていたが、こうして顔を合わせるのは久しぶりだ。
「おかえりなさい」
ミレイユが言った。
「無事でなにより。本部での話は、文で読んだわ。──暫定とはいえ、あなたの目が組合に認められた。よくやったわね」
「俺は、視たまま言っただけです」
俺がそう答えると、ミレイユは小さく笑った。
「あなたはいつもそう言うのね」
◇
ギルドに戻ると、留守を守っていた面々が出迎えてくれた。
受付の主任。鍛冶場のガロ。荷を運ぶドニと、その弟。坑道帰りのトーロ。それに、ダンスク隊商から移ってきたルカ。半年前には影も形もなかった顔ぶれが、いまはギルドの背骨になっていた。
「留守、助かりました」
俺が頭を下げると、主任が首を振った。
「なに、いつもどおり回りましたよ。──ただ、検め待ちの品がだいぶ溜まってます。あんたの目を待ってるやつが、奥の棚にひと山」
奥の棚を見て、俺は少しだけ気が遠くなった。
革。塩。干した果実。酒の樽。北の薪。どれも、よその街から持ち込まれた品だった。半年前なら、グラナにこんな量の検め待ちは来なかった。
俺はさっそく腕まくりをした。
まずは酒の樽から。蓋を開け、匂いを嗅ぎ、底のほうへ目を向ける。
「……この樽、内側が一度焦げてますね。香りに苦みが移ってる。安くなら売れますけど、上等としては出せません」
「やっぱりか」
主任が帳面に書きつけた。
次は干した果実。袋を開けて、ひと房つまみ上げる。
「これは大丈夫。陽の干し方がいい。甘みがちゃんと残ってます」
その次は革の束。折り目を返して、なめしの具合を確かめる。
「裏の三枚目まではいい。四枚目から先が、なめしが足りてません。水に濡れたらすぐ縮む。分けて値をつけたほうがいいですね」
北の薪は、湿りを指で確かめる。塩は、ひとつまみ舌に乗せて苦みを探す。
一つずつ視ていく。良いものを良いと言い、外れを外れと言う。それだけのことだった。半年前から、俺のやることは何も変わっていない。変わったのは、検め待ちの山の高さと、品を持ち込む街の遠さだけだった。
◇
その夜、帳場でミレイユが妙なことを言った。
「レイ。あなたが本部に行っているあいだに、おかしなことが増えたの」
「おかしなこと?」
「よその街から、文や使いが立て続けに来るようになった。グラナのギルドに、品を視てほしい、と。──それだけならいいの。前からそういう頼みはあった。でも、今度のは少し違う」
ミレイユは一通の文を卓に置いた。
「この街の長は、品を頼むついでにこう書いてきた。『商会を崩したのも、連合の信用を立て直したのも、もとはグラナの目利きだと聞いた。一度ぜひ会いたい』と」
俺は文をのぞき込んだ。
遠い東の街の名が、差出人として記してあった。グラナと取引したことなど、一度もない街だ。それなのに、俺の名を知っている。
「会いたい、って……俺にですか」
「あなたによ」
ミレイユは肩をすくめた。
「こういう文が、ここ半月で五通も来た。みんな別々の街から。──本部の検めの話が、連合じゅうに広がっているのよ。徽章のない目利きが、組合の評議会で本物の品を見抜いた、ってね」
俺は文を置いて、頭をかいた。
商会を崩した覚えはない。連合を立て直した覚えもない。俺はただ、グラナで品を視ていただけだ。本部でも、視えたものを視えたとおりに言っただけだ。それが、なぜこんな大きな話になるんだろう。
「半年前を思い出すわね」
ミレイユが静かに言った。
「あのころは、わたしたちが頭を下げて回っても、誰もグラナの品なんて見向きもしなかった。商会の焼き印がすべてだったから。──それがいまは、頼んでもいないのに、遠い街の長が会いたがる。同じことをしているだけなのに、まわりの見る目だけが、ぐるりと変わってしまったの」
ぐるりと変わった、という言葉が妙に耳に残った。
俺自身は何も変えていない。視る目も、視たまま言う口も、半年前のままだ。それなのに、まわりの景色だけが裏返っていく。追放されたころは石を投げられかねなかった検品係が、いまは馬車で迎えられる。世の中の天秤は、ずいぶんいい加減に振れるものだと思った。
「俺は、検品係なんですけどね」
「ええ。知ってるわ」
ミレイユは笑いをこらえた顔で言った。
「でもね、レイ。連合の人たちにとっては、あなたはもう『検品係』じゃないの。商会という巨人を崩し、連合の血の巡りを取り戻した、得体の知れない目。──そう見えているの。本人がいくら検品係だと言っても、外から見える形は、もう変わってしまっているのよ」
窓の外で、グラナの夜が静かに更けていった。
俺の知らないところで、俺の名が、俺の手の届かない遠くで、ひとり歩きを始めている。そんな気がした。半年前は、誰も俺の名など覚えていなかったのに。
翌朝、ギルドの戸を叩く者があった。
主任が応対に出て、すぐに奥へ戻ってきた。その顔が、少しだけこわばっていた。
「レイさん。ミレイユさん。──表に、立派な馬車が止まってます。よその街の、お偉いさんの使いだそうで。あんたに会いたい、と」
来た、と思った。
昨日ミレイユが言っていた、五通の文。その差出人の一人が、もう本人を寄こしてきたのだ。俺はまだ、奥の棚の検め待ちを半分も片づけていなかった。
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