第136話 黒い噂
検めの決の翌日から、本部の空気は妙にざわついていた。
俺の目が暫定で認められた。それ自体は、もう昨日の話だった。徽章持ちたちが顔を寄せて話しているのは別のことだった。
あの首飾りだ。
二十年、上等として蔵に眠っていた染めの安石。徽章が見抜けなかった偽り。一度それを目にしてしまうと、皆、自分の周りの品が急に信じられなくなったらしい。あの首飾りが偽物なら、ほかにもあるのではないか。蔵の奥にまだ眠っているのではないか。
その問いが、本部じゅうに静かに広がっていた。
◇
テオが、俺の客間に来た。
声をひそめてこう切り出した。
「レイ。少し調べてみたんだ。あの首飾りの出どころを」
テオは銅の徽章の若い鑑定士だ。正直でこつこつと事を運ぶ。検めの裏書き役を引き受けてから、組合の古い帳面に目を通せる立場になっていた。
「蔵に入った日付は二十年前。そこまでは帳面にある。けれど、どこから買ったのか、誰が上等と格づけしたのか。そこの記しがごっそり抜けている。──ほかの古い品もいくつか同じだ。出どころの記しだけが、きれいに消えている」
俺は、眉をひそめた。
「消えてる?」
「ああ。最初から書かなかったのか、後で消したのか。それは分からない。でも、ふつうの品にはちゃんと出どころが残っている。記しが消えているのは、決まって南の名産と称する高い品ばかりだ」
南の名産。
あの首飾りも、南の火紅石と偽られていた。引っかかるものがまた一つ増えた。
「セレネも、気づいてる」
テオが続けた。
「組合の令嬢として育った人だ。古い品の流れには詳しい。南の名産と称する高い品。その多くが、決まったひとつの古い商家を通って蔵に入っていた、と。そしてその商家は──」
テオは、そこで口をつぐんだ。
言いかけてやめた。それ以上は、まだ口にしてはいけない、という顔だった。俺にはその先が分かる気がした。あの静かな老人の白い長衣の背中が、頭をかすめた。
「……それ以上は、言わないほうがいい」
俺は静かに言った。
「証もないんだろう。記しが消えてる、というだけだ。それで誰かを名指しすれば、こっちが焼かれる。──品なら割って中を見せれば済む。でも、人の昔のことは、品みたいには割れない」
テオは、苦笑いした。
「君は無自覚なわりに、たまに妙に賢いな」
無自覚って、何のことだろう。俺はただ、無茶をして痛い目を見たくないだけだ。品を視るときと同じで、確かなものしか口にしない。それだけのことだった。
◇
その夜、セレネが窓辺で低く言った。
「レイ。あなたはもう気づいているでしょう。あの首飾りは、ただの一つの偽物じゃない。組合が二十年、見ないことにしてきた、もっと大きな何かのほんのかけらなのだと」
俺は、うなずいた。
「視えたのは安石一つだ。でも、その向こうに、まだ視えてないものがある。そういう感じはする」
「わたしの父も、それに気づいている」
セレネの声は硬かった。
「父は、組合の良心でありたいと願ってきた人。だからこそ、いちばん苦しんでいる。長年あがめてきた組合の蔵に、嘘が眠っているかもしれない。それを暴けば組合そのものが揺らぐ。父は、その重さを背負って、まだ決められずにいる」
窓の外で、天秤の像が夜にまぎれて見えなかった。
俺には、組合の良心とか秩序の重さとか、難しいことは分からない。けれど、一つだけ言えることがあった。
「俺は、暴こうとは思ってない」
俺はセレネに言った。
「俺の役目は、品を視ること。安石を安石と言うこと。それだけだ。蔵の奥の古い嘘を無理に掘り起こすのは、俺の仕事じゃない。──でも、もしまた偽りの品が俺の前に出されたら。そのときは、視えたとおりに言う。それだけは、変えるつもりがない」
セレネはしばらく俺を見ていた。
それからふっと笑った。今度は、苦しさのない笑いだった。
「それでいいのよ、レイ。あなたが視えたものを視るだけで、隠していたものはひとりでに表に出てくる。──暴くのは、わたしたちの役目。あなたは、ただ視ていればいい」
◇
数日後、俺たちはグラナへ帰ることになった。
本部での用は、ひとまず済んだ。暫定とはいえ、俺の目は組合に認められた。あとの細かい話は、テオとセレネ、それにロデリック理事に任せて、俺は自分の街へ戻る。検品係がいつまでも偉い人の集まる場所にいても、できることはなかった。
帰り支度をしていると、テオが思いがけないことを言った。
「レイ。君が来てから、連合のあちこちで、君の名が出るようになった」
「俺の名?」
「ああ。半年前、傾いた商会を崩したのも、その空白で乱れた連合を立て直したのも、もとをたどればグラナのあの目だ、と。──各都市の長や大商人が、そう言いはじめている。君をいちど自分の街に招きたい、という声まで出ているらしい」
俺は首をかしげた。
商会を崩した覚えはない。連合を立て直した覚えもない。俺はただ、グラナで品を視ていただけだ。それが、いつの間にかそんな大きな話になっている。なぜみんな、俺ひとりの目をそんなに大ごとにするんだろう。
「俺は、検品係なんだけどな」
俺がそう言うと、テオは声を上げて笑った。
「その『検品係なんだけどな』が、いちばん連合を動かしているんだよ。気づいていないのは、君だけだ」
◇
グラナへの帰り道。
馬車の窓から、北の街道が流れていった。フィオナが御者の隣で鼻歌を歌っていた。セレネは、組合の後始末で本部に残った。テオが、また文を寄こすと約束してくれた。
俺は座席にもたれて、空を見上げた。
遠くで、ミレイユが待っている。グラナのギルドが、いつもの朝を回している。坑道の奥には、まだ開けていない古い扉がある。やることは山ほどあった。
本部に置いてきた、黒い噂のことを思った。
二十年の偽り。記しの消えた品。白い長衣の老人が守る、何か。あれは、まだ終わっていない。いつかまた俺の前に、偽りの品となって現れる気がした。そのときは、視えたとおりに言うだけだ。
馬車が丘を越えた。
遠くに、グラナの街が見えてきた。半年前、追放された俺を拾ってくれた小さな街。それが今は、連合じゅうがその名を口にする街になっていた。
窓の向こうから、誰かが手を振っているのが見えた。
俺の知らないところで、たくさんの目がこの地味な検品係のほうを向きはじめていた。本人だけが、まだそれに気づいていなかった。
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