第133話 遠い街の声
評議が長引いて、本部での日々はだらだらと続いていた。
検めは止まったわけではない。けれど評議の相談がまとまらず、次の検めの日取りも決まらない。俺たちは本部の客間でただ待つしかなかった。
ミレイユは、三日前にグラナへ帰っていった。
ギルド長がいつまでも留守にはできない。本部の話がこじれて長引くと分かった日、ミレイユはそう言って荷をまとめた。主任ひとりに任せきりにはできない、と。帰り際、俺の袖を少しだけ引いてこう言い置いていった。
「あなたは、ちゃんと食べて、ちゃんと寝なさい。偉い人たちの相談に呑まれて、自分をすり減らさないこと。──グラナで、待ってるから」
最後の一言だけ、少し小さな声だった。
俺は「ありがとう」と返した。ミレイユは何か言いたそうな顔をして、それから諦めたように笑って馬車に乗っていった。
◇
残ったのは、フィオナとセレネだった。
フィオナは護衛として残った。セレネは組合の人間だから本部に居場所がある。男ひとり女ふたりで客間に居残る形になり、フィオナは妙に張り切っていた。
「よし。ミレイユさんがいない間は、あたしがレイの面倒を見るからね!」
胸を張って、そう宣言した。
その日から、フィオナの世話焼きが始まった。朝は早くから俺を叩き起こし、本部の食堂で皿を山ほど取ってきた。「前衛は食べてなんぼ。レイも食べな」と、俺の皿に焼いた肉をどんどん積んだ。俺は検品係で前衛じゃないんだけどな、と思ったが、ありがたく食べた。
「フィオナは、面倒見がいいな」
俺がそう言うと、フィオナは一瞬顔を赤くした。それからぷいと横を向いた。
「べ、別に。あんたが放っとくと干物みたいになるからだよ。倒れられたら、あたしが困る」
なぜ困るんだろう、と思った。
たぶん護衛として責任があるからだろう。俺が倒れたら、フィオナの役目が果たせなくなる。それで気にかけてくれているんだ。律儀なやつだ、と俺は思った。
フィオナはその日もせっせと俺の世話を焼いた。本部の偉い人たちが難しい顔で行き交う廊下を、フィオナだけが堂々と歩いた。場ちがいなほど元気だった。そのおかげで張り詰めた本部の空気が、俺の周りだけ少しゆるんだ気がした。
セレネが、その様子を斜めから見ていた。
何やら、半分呆れたような顔をしていた。
◇
昼下がり、グラナからの早馬が一通の文を届けた。
ミレイユからだった。
帰り着いて三日。もうギルドの帳面に向かっているらしい。文には、グラナの近ごろの様子が几帳面な字でびっしり書かれていた。坑道の探索は無理をせず続いていること。ヴィオラの隊商が青い石を東へ運んでいること。ルカが、また一つ品を見抜けるようになったこと。
文の終わりに、こうあった。
「本部の話が長引いていると、こちらにも聞こえてきました。あなたが、遠いところで大きなものを相手にしているのだと思うと、誇らしくもあり、少し心配でもあります。──視えるものを視て、視えないものは無理に視ようとしないで。あなたは、それでいいのだから。たまには、こちらの空も思い出してください」
俺は、その文をしばらく見ていた。
遠い街の声だった。
会えない分だけ、文の字がいつもより少しだけ近く感じられた。なぜだろう。胸の奥が、あたたかいような、くすぐったいような、変な感じがした。
「……ミレイユさんからでしょう」
セレネが、横からのぞきこんだ。
俺がうなずくと、セレネは小さく息を吐いた。
「分かるわ。あなたの顔。文を読むときだけ、ずいぶん柔らかくなる」
「そうかな」
「そうよ。──ずるいわね、ミレイユさんも。遠くにいて、文一枚で、ここにいるわたしたちより近くにいるみたいな顔をさせるんだから」
セレネの声は、責めているようでも、笑っているようでもあった。
俺にはよく意味が分からなかった。文を読んだら自然と顔がゆるんだだけだ。それの何がずるいのか。けれど聞き返すのはなんとなくはばかられて、俺は黙って文をたたんだ。
◇
夜、客間の窓辺でセレネと二人になった。
フィオナは食堂へ、明日の分のパンをもらいに行っていた。窓の外に、本部の天秤の像が月あかりに白く浮かんでいた。
「レイ」
セレネが、像を見たまま言った。
「あなたは、覚えている? わたしが最初、あなたに突っかかってきたこと」
俺はうなずいた。忘れるわけがない。徽章もない男が鑑定の真似ごとをするな、とセレネはずいぶん俺を突っぱねた。あのころのセレネは、銀の徽章の誇りでぴんと張り詰めていた。
「あのころのわたしは、徽章だけが自分の価値だと思っていた。父に認められたくて、それだけで張り詰めていた。──でも今は違う。徽章は、わたしの目を裏づける道具のひとつ。それ以上でも、それ以下でもない。そう思えるようになった。あなたのおかげよ」
セレネが、こちらを向いた。
月あかりにその顔が静かに照らされていた。いつものツンとした表情ではなかった。もっと素直でやわらかい目をしていた。
「あなたは、徽章と自分の目を、争わせない。比べて、減らない。──わたしは、その考え方に救われたの。だから」
そこで、セレネは言葉を止めた。
何か言いかけて、飲みこんだ。耳のあたりが、ほんのり赤かった。
「……だから、何だよ」
俺が尋ねると、セレネは首を振った。
「なんでもない。あなたは、それでいいの。鈍いところも、含めて」
鈍い、と言われた。
俺は別に鈍いつもりはない。品の鈍った刃なら、ひと目で分かる。けれどなぜか自分のことになると、セレネの言うことの半分も分からなかった。
そのとき、扉が勢いよく開いた。
「パン、もらってきたよー!」
フィオナが両手にパンの山を抱えて飛びこんできた。窓辸の二人を見て、ぴたりと足を止めた。
「……あれ。なに、この空気」
フィオナの目が、すっと細くなった。
セレネは何ごともなかったように窓の外へ目を戻し、俺はパンの山を見て「ありがとう、フィオナ」と言った。フィオナは、なぜか少しむくれた顔で、パンを一つ俺の手に押しつけた。
遠くの街に一人。近くに二人。
三つの声が、それぞれの距離から、俺の知らないところで静かに同じ方を向いていた。俺はと言えば、ただ手のなかの焼きたてのパンが、あたたかいなと思っていた。
その鈍さが、いちばんの問題だったのかもしれない。
本作は毎日更新中です。ブックマークしておくと更新通知が届きます。続きをお見逃しなく。




