第132話 理事の天秤
火紅石の一件から二日が過ぎた。
組合本部メルダートの評議の間に徽章持ちたちが集まっていた。天井の高い石の広間だ。中央に大きな天秤の像が置かれ、その下に評議の席が半円に並ぶ。上座にレーヴェ。その向かいに理事ロデリック。両脇を金と銀の徽章が埋めていた。
議題は一つ。
徽章なき目利きの検めを、どう始末するか。
本来ならこんな男はとうに門前払いだった。徽章を持たぬ者の見立てに組合が耳を貸すいわれはない。それが組合の長年の決まりだった。けれど今度ばかりは追い返すわけにいかなかった。組合が二十年あがめた首飾りが皆の前で割られて安石と分かった。あの男を偽者と切り捨てれば、組合の徽章のほうが偽者だったと認めることになる。
評議の間は、朝から重い空気に沈んでいた。
◇
その重さに、外から石を投げ込んだ者がいた。
連合の各都市から、文と使いが続々と本部へ届きはじめたのだ。
ことの起こりはグラナの目利きの噂だった。半年このかた、連合の商いはじわりと形を変えていた。グラナで検めを通った品は確かだ。あの目利きが視た素材なら裏切られない。その評判がヴィオラ・ダンスクの隊商に乗って連合じゅうへ広がっていた。東の三都市は、グラナの青い石を魔よけに使いはじめた。北の街は、グラナ印の革と鉄で隊商を組んだ。
連合の商いの根に、いつの間にかあの目利きの目が食い込んでいた。
その男を組合が偽者として裁こうとしている。連合の商人たちは黙っていなかった。自分たちの商いを支える目を潰されてはたまらない。各都市の長や大商人が、こぞって本部へ問い合わせの文を寄こした。
「あの目利きの見立てを、組合は本物と認めるのか、認めぬのか。連合の商いが、その答えを待っている」
文のひとつを、書記が評議の間で読み上げた。
しんと静まった。
これはもう組合だけの話ではなかった。組合の徽章の権威と、連合の商いの実利。二つの天秤が、評議の間で釣り合いを争いはじめていた。
◇
ロデリック理事はその文を手に取り、長く目を落としていた。
五十をいくつか過ぎた白髪まじりの実直な男だ。組合の制度を背負い、公正を旨としてきた。だからこそいま、胸の内で天秤が大きく傾こうとしていた。
「……連合の各都市が、現に頼っている。グラナの検めを。それは、もう動かしようのない事実だ」
ロデリックは、低く言った。
「組合が、その目利きを偽者と裁いたとする。だが連合の商人は、明日もグラナの品を頼る。なぜなら、現にあの目利きの見立ては当たっているからだ。──組合がいくら徽章で否と言おうと、商いの現場が是と言っている。我々は、その事実を無視できるのか」
評議の間が、ざわついた。
守旧派の老人が、すかさず反論した。徽章なき者を認めれば、組合の根が腐る、と。けれどその声に以前ほどの勢いはなかった。割れた首飾りを皆この目で見たばかりだったからだ。徽章が見抜けず、徽章なき目が見抜いた。その光景が、誰の胸にも焼きついていた。
ロデリックの言葉に、小さくうなずく徽章持ちが、ぽつぽつと出はじめた。
◇
上座のレーヴェは、その様子を黙って眺めていた。
白い長衣の老人は、表向きは静かだった。けれど胸の内で、いやな手応えを覚えていた。
評議の票が、読めなくなりはじめている。
レーヴェは長年、この半円の席を意のままに操ってきた。誰が己につき、誰が理事につくか。手のなかの算盤のように数えられた。守旧派が過半。徽章の権威を守る側が、いつも勝つはずだった。
その算盤が、狂いはじめていた。
火紅石が一つ崩しただけで、迷う者が増えた。そこへ連合の文が降ってきた。商いの実利を持ち出されると、守旧派の何人かが理事のほうへ顔を向ける。徽章の誇りより、自分の都市の商いが大事だという者が確かにいた。
レーヴェは、指を組んだ。
まだ過半は崩れていない。だが端から、確かに欠けはじめている。このまま連合の声が押し寄せれば、いずれ算盤がひっくり返る日が来る。あの目利きの目は、徽章の権威だけでなく、レーヴェが長年かけて組み上げた票の盤面まで静かに食い破ろうとしていた。
「……理事どの」
レーヴェが、ようやく口を開いた。声は冷たく、なめらかだった。
「事実は重い。それは認めよう。だが事実だけで秩序は守れぬ。連合の商人が頼るからといって、徽章の汻まりを曲げれば、組合は組合でなくなる。──この話は、急いではならぬ。じっくり、検めの上で決めるべきだ」
時を稼ぐ言葉だった。
ロデリックには、それが分かった。レーヴェは負けを認めたのではない。崩れはじめた票を、引き延ばして繋ぎ止めようとしている。実直な理事は、静かにその腹を見て取った。けれど今は、あえて乗ることにした。検めを続けると言うなら、それでいい。検めが続くかぎり、あの目利きの目は、また何かを掘り当てるだろうから。
◇
評議の間の隅で、俺はただ立っていた。
何やら難しい話が、長々と続いていた。連合がどうとか、票がどうとか。正直、半分も分からなかった。俺は検品係だ。品を視るのは得意だが、こういう偉い人たちの相談ごとは、まるで畑違いだった。
手のなかで、待たされる間に渡された小刀を一本、何となく視ていた。
刃のつけ根にあるのはヒビじゃない。薄い継ぎだった。安い鉄を上等の鉄でくるんで打ってある。よくある作りだ。声をかけられたら言おうと思って、そっと持っていた。
セレネが、隣に立っていた。
評議の流れを、じっと目で迴っている。ときどき、父であるロデリックのほうを見た。その横顔は、緊張と、それから少しだけ、誇らしさのようなものをにじませていた。
「……レイ」
セレネが、小声で言った。
「あなたは、ただ視たものを言っているだけ。それなのに、組合の天秤が、まるごと傾きはじめている。あなたは、自分が今どれだけのものを動かしているか、分かっている?」
俺は、首をかしげた。
正直、よく分からなかった。俺はただ、安石を安石と言い、継ぎを継ぎと言っただけだ。それで偉い人たちが頭を抱えているのなら、何だか申し訳ない気さえした。
「俺は、視えたものを言っただけだよ」
俺がそう言うと、セレネは小さく息を吐いて、苦笑いした。呆れたような、それでいてどこか柔らかい顔だった。
上座で、レーヴェが立ち上がるのが見えた。
評議は、いったん退く。長老はそう告げて、白い背を向けた。けれどその目が、ほんの一瞬、こちらを向いた気がした。冷たく、静かに、品定めをするような目だった。
あの目は、俺の何を見ているんだろう。
俺には、人の心は視えない。品のヒビは視えても、人の腹のなかだけは、どうしても視えなかった。
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