第131話 切られる駒
割れた赤石の話は、その日のうちに本部じゅうへ広まった。
査定長オズワルド・ケインは自室で爪を噛んでいた。
まずいことになった。誰よりそう感じていたのは彼だった。組合が二十年、上等と保証してきた火紅石の首飾り。それが安石の染め物だったと、皆の前で割って暴かれた。徽章の権威は地に落ちた。そして査定長といえば、その徽章の格づけを束ねる役だ。矢面に立たされるのは自分にきまっていた。
「……あの目利きめ。よけいなことを」
オズワルドは低く吐き捨てた。
検めでもしてやられた。偽銀杯では、逆に自分の見立てが偽物だと暴かれた。今度は首飾り。あの地味な男が来てから、ろくなことがない。けれど今度ばかりは、あの男だけのせいではないという嫌な予感が、胸の底にあった。
オズワルドは、けっして大物ではなかった。会頭の時代もうまく風になびいて生き延びた。組合に移ってからは、レーヴェの威を借りて査定長まで上がった。自分の保身と面目。それだけを物差しに渡ってきた。だからこそ、いま身に迫る危うさだけは敏く嗅ぎつけた。風向きが変わっている。しかも悪いほうへ。
扉が、静かに叩かれた。
使いの者が、レーヴェの呼び出しを伝えてきた。オズワルドの背に、つめたいものが走る。
◇
レーヴェの部屋は、いつもどおり静かだった。
窓辺に、白い長衣の老人が立っていた。振り返りもせず、レーヴェは口を開いた。
「査定長。今日の首飾りのことだが」
「は、はい。あれは──あの目利きの男がまやかしを」
「まやかしではない。石は割って中まで見た。あれは安石だ」
レーヴェの声は低く、冷たかった。オズワルドは言葉に詰まった。
「組合が二十年、上の上と保証してきた品が安石の染め物だった。──査定長。お前は、徽章の格づけを束ねる役だ。この始末を、どう取るつもりだ」
「そ、それは、あの品は、私が査定長になる前から蔵にあったもので」
「言い訳か」
レーヴェがゆっくりと振り返った。
その目に温度がなかった。怒っても、責めてもいない。ただ、用済みの道具を見るような目だった。オズワルドは、その目を知っていた。会頭ではない。会頭は熱く怒り、熱く人を使った。この男は違う。氷のように静かに人を使い、静かに捨てる。
「検めでも、お前は二度しくじった。偽銀杯では、自分の見立てを暴かれた。今日の首飾りでも、お前は何も見抜けなかった。──オズワルド。お前はもう、組合の役に立たぬ」
「お、お待ちを! 私は、長年、あなたのために」
「わしのため?」
レーヴェの口の端が、わずかに動いた。笑ったのかもしれない。
「お前はわしのためでなく、お前自身の面目のために動いてきた。それでよかった。お前の面目と組合の秩序が、同じ向きを向いているうちはな。──だが今は違う。お前の失態が、組合の傷になっている。傷は、切り落とすしかない」
オズワルドの足が震えた。
切り落とす。その言葉が、はっきりと耳に残った。十年、組合の査定長として振るってきた格づけの権が、いま音もなく手からすべり落ちようとしていた。
「下がれ。しばらく、評議には出るな」
レーヴェは、もう彼を見てもいなかった。窓の外の天秤の像へ、視線を戻していた。オズワルドという駒は、もうその盤上から消えたかのようだった。
オズワルドは、何か言おうとした。十年の働き。会頭の組合をうまく立ち回り、レーヴェに取り入ってここまで上がってきた。その十年が、いま一言で帳消しにされようとしている。けれど喉の奥が、からからに乾いて、声にならなかった。冷たい老人の背中だけが、彼の目の前にあった。
◇
部屋を出たオズワルドは、廊下の柱に手をついて、荒い息をついた。
頭が、かっと熱くなっていた。十年仕えて、これか。失態続きとはいえ、すべては組合の秩序のためにやってきた。それを、ぼろ布のように捨てる。あの冷たい老人は、ためらいもしなかった。
怒りのなかで、ふと引っかかるものがあった。
あの首飾り。レーヴェは「割って中まで見た」と言った。けれどあの広間で、割れた石を見たレーヴェの顔。あれは驚いていなかった。組合が二十年あがめた宝が偽物だったと知らされ、徽章持ちたちは皆、青ざめた。なのにレーヴェだけが動じなかった。むしろ──まずいものに触れた、とでもいう顔を一瞬だけ見せた。
オズワルドは、柱に手をついたまま考えた。
あの首飾りは、二十年前に蔵へ入ったという。二十年前といえば、レーヴェが評議の力を握りはじめたころだ。あの品を「上等」と保証する徽章を吊るしたのは、誰だったか。蔵の出し入れを束ねていたのは、誰だったか。
オズワルドは、長く本部の内側にいた男だ。だから知っている。蔵に入る上等の品には、いくつか、決まった出どころがあった。南の名産と称する宝飾。その多くが、ある古い商家を通って蔵へ入る。そしてその商家は、若いころのレーヴェと深い付き合いがあったと聞く。点と点が、いやな形でつながりはじめた。
背すじがつめたくなった。
まさか。あの老人は、あれが偽物だと、はじめから知っていたのではないか。知っていて二十年、上等として通してきたのではないか。徽章が見抜けなかったのではない。見抜いて、見ないことにしてきた。──だとすれば、安石の首飾り一つでは、すまない。組合の蔵には、ほかにもいくつ眠っているのか。
「……そういうことか」
オズワルドの口から、かすれた声が漏れた。
手のなかに、何かを握った気がした。あの冷たい老人の、いちばん柔らかい腹。長年隠してきた、組合の古い嘘。それを自分は、いま少しだけ覗いてしまった。
けれど、すぐに身が縮んだ。
自分とて、きれいな身ではない。粗悪な品に上等の格をつけて通したことが、一度や二度ではない。レーヴェの嘘を暴けば、自分の埃もいっしょに舞い上がる。下手に触れれば、相手より先にこちらが焦かれる。
オズワルドは、握ったこぶしをそっと開いた。
今は、まだだ。今は何も見なかったことにする。けれど、覚えておく。あの老人が、いつか本当に自分を踏み潰そうとしたとき。そのときは、この陳を引きずり出してやる。
廊下の窓の外で、天秤の像が夕日に黒く沈んでいた。
切られた駒が、盤の隅でまだ動こうとしていた。そのことに、上座の老人はまだ気づいていなかった。
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