第130話 留守のギルド
グラナのギルドは、いつもどおりの朝を迎えていた。
ギルド長のミレイユも、目利きのレイも、いまは本部の丘の上にいる。フィオナも護衛について行った。三人がいっぺんに抜けた朝など、半年前なら考えられなかった。それでもギルドの戸は、いつもの刻にきしんで開いた。
受付に座ったのは主任だった。
元は商会の検品主任。徽章は持たない。半年前、沈みかけた商会を出てグラナへ流れてきた男だ。今はギルドの実務をひとりで回している。帳面を開き、依頼の札を順に並べ、来た者から手早くさばく。長い下積みで身についた段取りだった。
「次。北の薪、検め待ちは奥の棚。ドニ、運んでくれ」
「あいよ」
ドニが薪の束を抱えて奥へ運んだ。
その隣でルカが帳面に数を書きつけていた。ダンスク隊商で荷あらためをしていた若者だ。レイに見方を教わってから、近ごろめきめき札を覚えた。まだ徽章はない。それでも傷んだ干し肉と、まともな干し肉の違いくらいは、もう自分で言える。
「主任さん。この革帯、なめしが甘い気がするんですけど」
「どこで気づいた」
「裏の、折り目のところ。色がまだらで」
主任は革帯を手に取って裏を返した。ルカの言うとおりだった。
「……ああ。これは戻しだ。客に渡す前でよかった。よく見たな」
ルカが、少し誇らしげな顔をした。
主任は内心で小さく感心していた。レイがいなくても、ギルドは止まらない。むしろレイがいない日のほうが、皆が自分の目で見ようとする。それがレイの教え方の、いちばん大事なところなのかもしれなかった。七割は自分たちで。残りの三割を、レイとセレネが視る。その仕組みが、少しずつ根を張っていた。
半年前を思い返すと、不思議な気がした。あのころのグラナは小さなギルド一つで、連合の隅にも数えられていなかった。それが今は、よその街から仕事が来る。借金を返し終え、蔵には商会時代の倍近い銭が積まれている。きっかけはいつも、あの地味な目利きだった。本人だけが、それにまるで気づいていない。
主任は、商会で長く働いた身だ。だからこそ、よく分かる。人を値踏みでこき使い、外れの品を平気で客に押しつけた商会は内側から腐って沈んだ。グラナは、その逆を行っている。外れを一つも通さない。客を裂切らない。それが結局、いちばん遠くまで信用を運ぶのだと、この半年で骨身に染みていた。
◇
鍛冶場では、ガロが槌を振っていた。
火花が散り、鉄が赤く鳴った。注文は引きも切らなかった。グラナの名が連合に知られてから、よその街からも仕事が舞い込むようになっていた。ガロはそのひとつひとつに無駄なく槌を入れた。
「ガロさん。トーロたちが、坑道から戻ったよ」
ドニの弟が駆け込んできた。
ガロは槌を置いた。汗をぬぐって表へ出た。坑道の見回りに出ていたトーロが、数人の探索組とともに帰ってきていた。背の荷は、いつもより重そうだった。
「どうだった」
ガロが尋ねた。トーロは相変わらず口数が少ない。短くこう答えただけだった。
「……奥に、扉があった」
「扉?」
「崩れた階層の、さらに下。古い石の扉だ。人の手で作られたもんだ。──開けてはいない」
ガロの眉が上がった。
坑道の奥に、崩れた古い階層があることは、前から分かっていた。レイが「奥に手つかずの何かがある」と言っていた、あの場所だ。けれどそこからさらに下に、人の手で作られた扉がある。それは初めて聞く話だった。
「中は、視てないのか」
「視られるのは、レイだけだ」
トーロは静かに言った。
「あの人がいないと、入らない。床が抜けるか毒の霧があるか、おれたちには分からねえ。前に空洞の床を、あの人が先に止めてくれた。だから皆、生きて帰れてる。──扉の向こうは、あの人が戻ってからだ」
ガロは、深くうなずいた。
無理に進まない。それが、この半年でギルドに染みついた掟だった。坑道で命を落とした者は、まだ一人もいない。それは運ではなかった。危ないところを、危ないと先に見る目があったからだ。その目が留守のいまは無理をしない。トーロのその判断こそ、レイのいちばんの置き土産なのかもしれなかった。
◇
昼すぎ、ギルドの庭に、隊商の荷馬車が入ってきた。
帆に、ダンスクの紋。御者の脇にヴィオラ・ダンスクその人が立っていた。大商人が、わざわざ自分で荷を運びにきたのだ。半年前なら、グラナの誰もが警戒したことだろう。横取りに来た商人。けれど今は違った。
「主任どの。坑道の青い石、買い手がついたわ」
ヴィオラが、帳面を広げて見せた。
「東の三都市。魔よけの護符に使うそうよ。出どころは聞かれたけれど、いつもどおり『東の山』と答えておいた。亀の沢のことは、口が裂けても言わない。──あなたがたの決まりは、わたくしの決まりでもあるもの」
「……助かります」
主任は、頭を下げた。
ヴィオラの足は、たしかに連合じゅうに伸びていた。グラナで採れた石も素材も、彼女の隊商に乗れば、遠い街まで確かに届く。そのかわり、彼女はもう横取りをしようとはしなかった。レイの目を看板に使おうともしない。足はわたくしが、目はあなたがたが。その線を、きっちり守っていた。
「妙な気分だわ」
ヴィオラがふと笑った。
「あの人がいない留守を、わたくしが守る側に回っているなんて。半年前のわたくしが見たら、正気かと笑うでしょうね」
主任は、何と答えていいか分からず、ただ小さく笑い返した。商会の横取りに似た手口で現れた女が、今はギルドの留守を支えている。世の中は、分からないものだった。
◇
夕暮れ、ギルドの灯がともった。
主任は一日の帳面を閉じた。今日も、外れの品は一つも客に渡らなかった。坑道では誰も欠けず、隊商の荷は確かに連合へ流れた。レイもミレイユもいない一日が、何ごともなく回りきった。
窓の外を、北の丘のほうへ目をやった。本部は、その何日も先にある。レイたちは、今ごろどうしているだろう。検めは、うまくいっているだろうか。
ふと、表が騒がしくなった。
街道を、一頭の早馬が駆けてくる。ギルドの前で止まった。乗っていたのは連合の使い走りの少年だった。息を切らして、一通の文を差し出す。
「本部から……グラナのギルドへ! 検めの知らせです!」
主任は立ち上がった。庭にいた者たちが、いっせいに振り返った。
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