第129話 化けの皮
翌朝、広間はさらに人で埋まった。
昨日の評判が、本部じゅうに広まったらしい。大家ベッケンが、徽章なき目利きを直々に検める。その噂を聞きつけ、見習いから古参の徽章持ちまでが壁ぎわまで詰めかけていた。上座にはレーヴェ。その下にベッケン。理事ロデリックの席も、今日は埋まっていた。
俺は広間の真ん中に立った。
セレネが、人垣のうしろからこちらを見ていた。父の屋敷から戻ってきたのだろう。目が合うと小さくうなずいた。大丈夫、と言うように。テオは俺の斜めうしろに控えていた。
「では、始めようか」
ベッケンがゆっくりと立ち上がった。
今日の品は、ベッケン自らが連合の蔵から選んだという。供の者が、布をかけた品を次々と台に並べた。昨日と同じ上等な品ばかりに見えた。絹。宝飾。銀の器。けれど一つ、ベッケンが念入りに前へ出した品があった。
首飾りだった。
深い赤の石がいくつも連なっていた。金の台に留められ、磨きこまれ、灯りを受けてあでやかに光っていた。ひと目で値の張る品と分かる。
その首飾りを選んだとき、ベッケンの目は確信に満ちていた。これこそ徽章の権威の証だ、とでもいうように。何も視えぬ品から「分かりません」を引き出すための、自信の一品なのだろう。蔵いちばんの上等を選んで、その上等さの前で、俺の芸が空回りするさまを見せる。そういう絵だったのだと思う。
「これは、南の名産。火紅石の首飾りだ」
ベッケンがおごそかに言った。
「組合が長年、上等と認めてきた品だ。火紅石は南の谷でしか採れぬ。深い赤。底から湧くような照り。値にして、銀貨三百枚は下らぬ。──さあ目利きの男よ。お前の目で、これを視てみよ。何が視える」
俺は首飾りを受け取った。
手のひらにずしりと重みが乗った。石を一つ、灯りにかざす。赤い光が指の隙間から漏れた。きれいな石だった。けれど。
◇
俺は石の表をじっと見た。
磨きの下に細かい筋があった。赤の底に、わずかに濁った層が沈んでいる。石どうしのつなぎ目へ目を移す。ここにも覚えのある作りがあった。
「……この石は、南の火紅石じゃありません」
俺は言った。
広間がざわついた。ベッケンの白い眉がぴくりと動く。
「何を言う。火紅石の赤は、見間違えようがない」
「赤はよく似ています。でも違います。──これは北の谷の、安い赤石です。火を入れ、底の濁りを抜き、表だけ深い赤に染めてある。磨いて南の石のふりをさせてある。石の芯のほうに、抜けきらなかった濁りがまだ薄く残っています」
俺はつなぎ目の一つを指でなぞった。
「それに留めの台。金と見せて、金の色に焼いた銅です。爪の裏側だけ色が違う。本物の火紅石の首飾りなら、台は必ず金を使います。安い石に、安い台。それを上等に仕立てて、南の名産として売っている」
しんと静まった。
ベッケンは首飾りを俺の手から取り返した。灯りにかざし、石を一つ一つ食い入るように見た。指でつなぎ目をなで、台の裏を返す。その手が、途中で止まった。
「……馬鹿な」
老人の声が、かすれた。
「この品は、組合が二十年、上等と保証してきた品だ。わしも何度も上の上と見た。火紅石に間違いなど」
「値打ちは、上等に見えます」
俺は静かに言った。
「磨きも仕立ても、一流の腕です。だからベッケンさんの目には、上等な品に映る。値を読む目はごまかせます。──でも、石が何でできているかは、ごまかせません。火を入れた赤と生まれついての赤は、芯のところが違う。俺が視たのは、その芯です」
◇
「割って確かめましょう」
テオが前へ出た。
銅の徽章の名にかけて、と言い添えた。供の者が小さな金槌を持ってきた。ベッケンはしばらく首飾りを握りしめていた。それから長く息を吐いて、石を一つ台から外して差し出した。
テオが布の上で石を割った。
乾いた音がした。割れた石の断面が灯りの下にさらされた。表は深い赤。けれど芯へ向かうにつれ赤は薄れ、濁った白っぽい色に変わっていた。誰の目にもはっきりと分かった。これは、底まで赤い石ではない。表だけ赤く染めた別の石だった。
セレネが人垣のなかから声を上げた。
「等級でいえば、これは中の下。南の火紅石とは別の石です。──組合の徽章は、これを二十年、上の上と認めてきました」
広間が、どよめいた。
ざわめきは、すぐには収まらなかった。徽章持ちたちが顔を見合わせた。組合が二十年、上等と保証してきた品。それが、染めた安石だった。徽章の目がそれを見抜けなかった。いや──見抜けなかったのか。それとも。
俺は少しだけベッケンが気の毒になった。この人は、嘘をついたわけじゃない。二十年、上等と教えられてきた品を、そのとおりに上等と読んだ。その読みは、値打ちの目としては正しい。仕立ても磨きも一流だ。ただ、誰かがその上等の皮の下に、別のものを隠していた。ベッケンの目は、その皮の値打ちを正しく読み、皮の下までは届かなかった。それだけだった。
ベッケンは、割れた石を見つめたまま、動かなかった。
やがて、その口から、低い声がこぼれた。
「……わしの目には、視えなんだ。値は読めた。だが、この石が何であるかは、視えなんだ」
誇り高い大家が、皆の前でそれを認めた。
俺は何も言えなかった。この人を負かしたかったわけじゃない。ただ視えたものを言っただけだ。けれど視えたものが、思っていたよりずっと重いものを掘り当ててしまった気がした。
上座のレーヴェをちらりと見た。
長老は、薄い笑みを消していた。冷たい目で割れた石を見下ろしていた。その顔に動揺はなかった。むしろ──まずいものに触れた、とでもいうような色が、ほんの一瞬よぎった。
「……この首飾りは、どこから蔵へ入った」
ベッケンが誰にともなくつぶやいた。
その問いに答える者は、いなかった。広間の空気が、ひやりと冷えた。徽章が見抜けなかった偽りの品。それが二十年も組合の蔵で、上等として眠っていた。なぜ誰も気づかなかったのか。なぜ、二十年も。
徽章だけの権威は、皆の前で実力の差をさらした。型どおりなら、それで俺の勝ちのはずだった。けれど広間の誰一人、勝った負けたの顔をしていない。みな、もっと冷たいものに足を踏み入れた顔をしていた。
テオが、俺の耳もとで低くささやいた。
「……これは、もう検めの話じゃない。組合が二十年、見ないことにしてきた何かだ。レイ、君は今それを掘り起こした」
俺の頭の隅で、何かが小さく引っかかった。あの濁った石の芯。それはただの安石の話で終わる気が、しなかった。
面白かったら、ブックマークで応援していただけると更新の励みになります。




