第128話 もう一人の権威
検めの翌日、本部の広間に、また人が集まった。
今日は俺が試される日ではなかった。中庭に面した大広間に徽章持ちたちが詰めかけていた。上座には評議の席が並ぶ。俺は壁ぎわの、客人のための隅に座らされていた。テオが隣に来て小さく耳打ちした。
「レーヴェの巻き返しだ。──昨日検めで負けた。だから今日は徽章の権威そのものを、皆に見せつけにきた」
「権威、ですか」
「ベッケンを担いだ」
テオの声が、少し硬かった。
ヴァルター・ベッケン。七十をいくつも越えた金の徽章の大家。若い頃は連合じゅうで一の鑑定と謳われ、今は表に出ることもめったにない。その名は俺もガロやセレネの口から聞いたことがあった。鑑定の世界では生きた伝説のような人だという。
その老人が、上座のすぐ下に、ゆったりと腰を下ろしていた。
白い髭。落ちくぼんだ目。けれど背筋はまっすぐで、置かれた品を見るときだけ、その目が刃のように光った。レーヴェがその隣に立った。広間を見渡し、おごそかに口を開いた。
「昨日ある目利きが、見事な芸を見せた。それは認めよう。──だが諸君。芸と、徽章の目とは違う。今日は真の鑑定とは何かを皆に思い出してもらう。連合一と謳われたベッケン師に、その目を披露していただく」
拍手が起きた。守旧派の徽章持ちたちが、待ってましたとばかりに手を打った。
◇
品が、次々と運ばれてきた。
絹の反物。古い壺。延べ金。宝飾の数々。どれも、組合の蔵が誇る上等な品ばかりだった。ベッケンは一つずつ、ゆっくりと手に取った。
「これは、東の絹。糸の艶、織りの目。──上の上。連合で十と出回らぬ品だ」
布を置く手に、迷いがなかった。
「この壺は、二百年前の窯。釉薬の照り、高台の削り。値にして銀貨二百枚は下らぬ」
言葉が、すらすらと出た。
次は延べ金だった。ベッケンは指先で表をなで、舌の先で軽く触れた。
「混ぜ物は二分。北の山の金だ。──南の金より、わずかに赤みがある。良い延べ金だ」
宝飾の数々も、淀みなかった。石の出どころ、磨きの古さ、台の細工。一つ手に取るたびにすうと言葉が出た。広間の徽章持ちたちが、ひとつ品が読まれるたびに感嘆の息をもらした。
俺は感心して聞いていた。本物だった。等級も値もぴたりと言い当てている。糸の艶を見ただけで産地を当て、削り跡を見ただけで窯を当てる。長い年月、数えきれない品を見てきた目だ。これは確かにたいした腕だった。値打ちを読むという一点では、たぶん連合じゅうを探しても、この人にかなう者はいない。
「すごい人ですね」
俺は思わずテオにそうつぶやいた。
テオが、ちらりと俺を見た。それから苦笑のような表情を浮かべた。
「……君は、本当にそういう男だな」
「え?」
「敵が担いだ権威に、素直に感心している」
俺は首をかしげた。だって、すごいものはすごい。値打ちを当てる目では、俺はとてもかなわない。等級を読む、値を読む。それは俺にはできないことだ。昨日だって、紅玉の等級はセレネが裏づけてくれた。
広間の空気が、ゆっくりと変わっていった。
昨日まで、徽章の目はあの男に負けた、とざわついていた者たちが、今は誇らしげな顔をしている。やはり徽章の目はすごい。やはり大家は格が違う。そういう声があちこちで小さく上がった。レーヴェの狙いは、これだったのだろう。昨日の負けを今日の見事さで塗り替える。品で負けたなら、もっと格の高い品で勝ち直す。冷たく筋の通ったやり方だった。
俺は隅の席で、その流れを淡々と見ていた。べつに悔しくはなかった。ベッケンの目は本物だ。その本物を、悪く言うつもりもない。ただ一つ、気になることがあった。さっきから運ばれてくる品は、どれも値打ちの高い上等な品ばかりだった。傷んだ品も外れの品も、一つも出てこない。値打ちを読む目には、それでいい。けれどそれで全部なのだろうか。
◇
「どうだ、目利きの男よ」
ベッケンが、ふいに俺のほうを見た。
落ちくぼんだ目が、まっすぐ俺に向いた。広間じゅうの視線が、いっせいにこちらへ集まった。
「お前の芸も、昨日は見た。なるほど、ヒビを視るというのは面白い見世物だ。だが鑑定とは、品の値打ちを見抜くことだ。この絹がいかほどか、この壺がいつの窯か。──それが言えてこそ、徽章の目だ。お前に、これが言えるか」
俺は立ち上がって、頭を下げた。
「言えません」
広間が、少しざわついた。
「俺には、絹の等級も、壺の値も分かりません。それはベッケンさんの目です。俺の目とは違います」
ベッケンの白い眉が、ぴくりと動いた。あっさり負けを認められて拍子抜けしたのかもしれない。守旧派の徽章持ちたちが、勝ち誇ったように顔を見合わせた。レーヴェだけが薄い笑みのまま、静かにこちらを見ていた。
「ですが」
俺は続けた。
「一つだけ、お尋ねしてもいいですか。──その絹、その壺。値打ちは確かに分かる。でもその品が、このさきどうなるか。傷んでいないか。割れないか。それは視えていますか」
ベッケンの目が、すっと細くなった。
広間が、しんと静まった。レーヴェの指がひじ掛けの上で一度止まった。テオが隣で小さく息をのむのが分かった。
「……小僧。何が言いたい」
「いえ」
俺はまた頭を下げた。
「ただ視えるものと視えないものがあるなら、両方あったほうがいいな、と思っただけです。値打ちはベッケンさんが視る。これからは、俺が視る。争うことじゃありません」
ベッケンは、長いあいだ俺を見ていた。
それからふん、と鼻を鳴らした。
「面白い。──ならば明日、もう一度この広間で検めようではないか。お前が視るというその『これから』とやらを、目の前で見せてみよ。連合の蔵から、わし自らが品を選ぶ。お前の芸が、ただの当てずっぽうか、それとも本物か。この目が、見極めてやる」
広間が、どよめいた。
レーヴェの笑みが、ほんのわずかに深くなった気がする。けれど俺には、それがどんな策なのか、まだ読めなかった。ただ一つ分かったことがある。明日もう一度この広間に立つ。視えるものを、視えると言うために。
隣でテオが低くつぶやいた。
「……レイ。あの爺さん、自分から罠の外へ出たぞ」
「罠、ですか」
「レーヴェは検める品を組合の蔵から選ぶつもりだった。視えないものを出して、君に『分かりません』と言わせるためにな。だが今、品を選ぶと言ったのはベッケン本人だ。──大家の意地が、レーヴェの絵図を一つ横へずらした」
俺にはまだよく分からなかった。ただ明日、品を運んでくるのが誰であれ、することは変わらない。視えたものを、視えたと言う。それだけだった。
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