第13話 東の山日和
翌朝のギルドは、いつもより賑やかだった。
依頼板に新しい紙が三枚貼られている。
『東の山・薬草採取(初心者歓迎)』
『東の山・地形調査(中堅向け)』
『東の山・湧き水の検分(急募)』
「見事に東一色ね」
ミレイユは自分で貼った紙を眺めて、満足げにうなずいた。
「湧き水の検分って何よ」
「あら。山の水場の検分は大事よ。隊商の中継地に使えるかもしれないでしょ」
「もっともらしいこと言っちゃって」
フィオナは笑いながら背負い袋を担いだ。今日の薬草採取は彼女とドニの組だ。
「で、本命のあたしたちは東の山の、どこへ?」
「裏回りの長丁場。蛭の沼を抜けて尾根まで」
「蛭」
「あんたたちなら平気でしょ。ゆっくり、目立つように、楽しそうに行ってきて」
「楽しそうに蛭の沼をねえ」
ドニが斧を担いで苦笑した。
二人を見送りに出た俺は、通りの先に昨日の塩売りを見つけた。
宿屋の軒下で、市場で買ったらしい縄と革袋を担ぎ直している。どう見ても山支度だ。
目が合った。
男はぎこちなく会釈をした。俺も会釈を返した。
それから、つい、見えてしまった。
「あの」
「ひっ」
「その靴、底が剝がれかけてます。右の方です。あと三里は保ちません。東の山は石が鋭いので、替えてから行った方がいいです」
男の顔から血の気が引いた。
「な……なぜ儂が東の山へ行くと」
「え? 山支度をしてらしたので。今の時期にこの街から山なら、皆さん東ですし」
「…………」
「靴屋は市場の北の角です。お気をつけて」
男は何も言わずに走り去った。
親切のつもりだったのだが、何か怖がらせてしまったらしい。
人の心は、視えないから難しい。
◇
昼間のギルドは静かだった。
俺は検め済みの石の在庫を数え、ハルバさんへの二度目の荷の帳面をつけた。短剣四振りと剣二振り。あとはガロさんの「納得」を待つばかりだ。
ミレイユは帳簿の前で、珍しく鼻歌を歌っていた。
「ご機嫌ですね」
「そりゃそうよ。今月は利子を払って、元金も少し返して、それでも蔵に銀貨が残るの。三年ぶりよ、こんなの」
彼女は筆を置いた。
「……ね、レイ。変なこと聞くけど。あんた、メルダートに戻りたいと思うことある?」
「ないですね」
「即答ね」
「あっちには検め台がないので」
「こっちにはあるから?」
「はい。それに」
言葉を探したが、うまく見つからなかった。
「ここの方が、その。皆さんがよく笑うので」
「……そう」
ミレイユは少し笑って、帳簿に戻った。
なぜ耳が赤いのかは、視ても分からなかった。
体調の問題ではなさそうだから、たぶんいいのだろう。
◇
昼下がりにガロさんの鍛冶場へ寄った。火の番の約束の日だった。
炉の前で老人は最後の剣の刃を付けていた。俺の顔を見ると顎で隅の腰掛けを指す。座れ、の意味だ。この鍛冶場で言葉は少ない。
「石は当分届きません。沢を閉めたので」
「聞いた。嗅ぎ回る犬が来たんだとな」
ガロさんは手を止めずに言った。
「儂は構わん。手元に鉄は足りてる。それより倉庫番。お前、面は平気そうだが、嫌な目に遭ったろう」
「嫌な目、ですか」
「お前の古巣の犬なんだろう、それは」
少し考えた。
「分かりません。ただ、もし商会だとしたら、少しもったいないなとは思います。人を調べに使うお金で、検品の人手を増やせるので」
ガロさんは鼻で笑った。
「変わらんな、お前の物差しは。──いいか。火の入り際だ。見てろ」
「はい。……まだです。──今です」
槌が振り下ろされ、火花が白く散った。
この音を聞いている間は、嫌な予感のことを忘れていられた。
◇
夕方、東の山組が帰ってきた。
泥だらけだった。
「ただいまー……」
「おかえり。首尾は?」
「薬草はこの通り! 大漁!」
フィオナは袋を掲げてみせた。それから、にやりと笑った。
「もう一つの首尾もばっちり。──いたわよ、後ろに。ずーっと」
「あら。やっぱり来たの」
「来た来た。木の陰から木の陰へ、こそこそこそこそ。気配の消し方が素人なのよね。あたしたちは気づかないふりして、予定通り蛭の沼をじーっくり案内してあげました」
「沼のど真ん中で、わざと昼飯にしたからな」
ドニが愉快そうに続けた。
「ああなると、あの男もどこかの茂みでじっとしてるしかねえ。で、帰り際にちらっと見えたんだが、足元にびっしりよ」
「蛭が」
「蛭が」
合掌するフィオナの横で、ミレイユが満足げにうなずいた。
「ご苦労さま。明日は別の組に同じ道を行かせるわ。あの様子なら、あと二、三日で『ギルドの稼ぎ場は東の山』と確信して帰るでしょ」
「えげつないこと考えるわねえ、うちのギルド長」
「ご近所付き合いって言いなさい」
俺はそのやりとりを聞きながら、別のことが気になっていた。
「ドニさん。腰、今日ので捻れが進んでます。今夜は湿布をして、明日は休んでください」
「お、おう。……なあ、俺の腰、お前にはどう見えてんだ」
「古い捻れの上に、新しい張りが乗ってます。色で言うと、濁った黄色です」
「分かんねえよ」
「すみません。俺にも、どう言えばいいのか」
見えるものを言葉にするのは、石より人の方がずっと難しい。
◇
それから三日、東の山には毎日ギルドの組が入った。
四日目の朝、塩売りはグラナから姿を消した。
宿の主人によれば「商談がまとまった」と上機嫌で発っていったらしい。新しい靴を履いていたそうだ。
「靴は替えたのね」
「言った甲斐がありました」
「そういう話じゃないのよ」
◇
メルダート。バルロ商会本部の小部屋。
「東の山、で間違いないか」
「へい。ギルドの連中が連日入っております。薬草採取と称しておりますが、あの羽振りのよさは薬草なんぞでは説明がつきません」
ゲルツは報告書をめくった。紙の端に泥と、つぶれた蛭の染みがついていた。
「西の沢の方は」
「それが、誰一人として近づきません。ありゃあ、ただの沢で」
「ふん」
ゲルツは報告書を机に放った。
「よし。東の山に調べの者を入れろ。腕の立つのを三人。鉱脈でも群生地でも、何が出てもいいように山師も連れて行け」
「へい。……あの、ゲルツ様。費えの方が、そろそろ儂の裁量では」
「儂の名で付けておけ。会頭には、買い取りの開拓費とでも」
男が出ていくと、ゲルツは椅子の背にもたれた。
脳裏に、塩袋の縫い目を一目で見抜いた男の顔がよぎる。報告書には、こうもあった。『例の倉庫番、儂の行き先を言い当てた。靴の底が剝がれることまで言い当てた。あれは人間の目ではない』
「……塩まで見抜くか、倉庫番」
苛立ちと、それより少しだけ大きい何かが、胸の奥で疼いた。
それが焦りという名前であることを、ゲルツはまだ認めていない。
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