第12話 塩の客
ハルバさんとの取引から数日が過ぎた。
ギルドの朝は少し変わった。
広間の隅に検め台が置かれ、沢から運ばれた石がそこへ並ぶ。俺が一つずつ手に取り、芯の通った物だけを木箱へ移す。十に三つは弾く。弾かれた石は裏庭へ運ばれ、また漬物の重しに戻される。
「出世と左遷が一目で決まる台ね」
ミレイユは検め台をそう呼ぶようになった。
弾くのには理由がある。混ざりの多い石は火に入れると割れる。割れればガロさんの炉が傷む。それにハルバさんとの約束がある。質を一度でも落としたら終わり。
だから弾く。それだけの話だ。
「分かってるわよ。でも顔が怖いのよ。検めの間のあんた」
俺は普通の顔のつもりだった。
ハルバさんへの二度目の荷は、もう半分まで揃っている。約束は前の倍。短剣四振りに剣二振り。ガロさんの槌の音は日に日に若返っていて、先日などは鼻歌まで聞こえた。ドニいわく「あの爺さんの鼻歌は四十年ぶり」らしい。
万事、順調だった。
順調すぎることに、もう少し疑いを持つべきだったのだと思う。
◇
塩売りが来たのは、昼前だった。
「ごめんくださいまし。塩はいかがです、塩は」
戸口に立ったのは痩せた中年の男だった。人のよさそうな垂れ目で、背中の籠には白い袋がぎっしり詰まっている。
「南のロームの海塩です。釜炊きのいい塩ですよ。船の都合で荷が浮いちまいましてね。相場の二割引きでお譲りします」
「二割」
帳簿をつけていたミレイユの眉が動いた。
ギルドは塩をよく使う。保存肉に、なめしに、魔物素材の塩漬けに。仕入れはバッソさんの隊商からと決めているが、安いに越したことはない。
「ふうん。検めさせてもらえる?」
「へい、どうぞどうぞ」
男は籠を下ろし、袋を一つ机に置いた。
「レイ。お願い」
「はい」
俺は袋の口を開けた。
白い粒。指に取る。
あれ。
「どうしたの」
「これ、海の塩じゃないです」
広間が静かになった。
「角が立ちすぎています。釜で炊いた塩は粒がもっと丸くなります。これは山の塩です。岩塩を砕いた物です。それも一度湿気て固まったのを砕き直してあります。粒の大きさがばらばらなのは、そのせいです」
「い、いや、お客さん。これは確かにロームの浜で」
「それと、この袋」
俺は縫い目を指でなぞった。
「バルロ商会の塩袋です。印は外してありますが、口のこの二重の返し縫いは商会の塩蔵の袋です。検品場で六年、毎月何百と検めたので間違いないです」
男の垂れ目から、人のよさが抜け落ちた。
「中身も商会の岩塩だと思います。北の三号と呼ばれていた等級です。悪い塩ではないんですが、蔵での置き方が悪かったですね。にがりが回って苦みが出ています。これを海塩の値で売るのは」
俺は袋の口を閉じた。
「……ダメですね、これ」
長い沈黙があった。
沈黙を破ったのはドニだった。のしのしと寄ってきて、袋に指を突っ込み、塩をひとなめした。
「……苦っ」
「でしょう。煮物に使うと汁が濁ります」
「おい塩屋。これで海塩のいいやつたあ、商人魂が泣くぜ」
「に……二割と言わず、三割引きでも」
「お引き取りはあちらの戸口からどうぞ」
ミレイユの笑顔は完璧だった。
男は籠を背負い直した。その目が一瞬だけ、広間の隅の検め台と石の木箱を撫でていったのを、俺は見ていた。
◇
男は塩を一袋も売らずに帰っていった。
「なんだったんだ、ありゃあ」
ドニが首をひねった。
「商会の塩を安く仕入れて海塩と偽って売る。まあ、いる。いるにはいるが、よりにもよって売り先がここってのがな」
「そうなのよね」
ミレイユが帳簿を閉じた。
「塩ならうちはバッソさんから買う。市場で一度聞けば分かることよ。行商なら普通、先に市場で聞くわ」
「考えすぎだろ。ただの間抜けかもしれねえぜ」
「間抜けならいいんだけど」
夕方、市場へ買い出しに出ていたフィオナが駆け戻ってきた。
「ねえねえ。あの塩売り、まだ街にいるよ」
「あら」
「八百屋のおばちゃんが言ってた。昼からあちこちで聞き回ってるって。薬草の買い取りはどこでやってるとか、ギルドの連中はどっちの山に入るのかとか」
「沢のことは」
「そこまでは聞いてないみたい。あ、でも『最近ギルドの羽振りがいいんだってね』とは言ってたって」
ミレイユはしばらく黙った。
それから立ち上がり、広間を見回した。
「みんな、聞いて。今日から当分、沢には誰も近づかない。石の運び込みもなし。検め済みの在庫でふた月は回るから、その間は素知らぬ顔で通常通り。それと薬草採取の依頼を増やすわ。──東の山にね」
「東?」
フィオナが首をかしげた。
「沢は西よ?」
「だから東なのよ」
「……あっ。そういうこと」
「うちの連中が東の山にせっせと通えば、見ている側は東が気になるでしょ。どうせ見られるなら、見せたいものを見せてあげるの」
「おお。軍師っぽい」
「ご近所付き合いと言いなさい」
ミレイユはにっこり笑った。
目は笑っていなかった。
◇
夜。広間に残っていたのは俺とミレイユだけだった。
俺は検め台を拭きながら、昼の塩のことを考えていた。
「レイ。あんたはどう思う」
ミレイユが茶を二つ淹れて、片方を検め台に置いた。
「あの男、商会の差し金かしら」
「分かりません。人の考えは視えないので」
「でしょうね」
「ただ、引っかかることが一つあります」
「言ってみて」
「あの塩は悪くなりかけていましたが、まだ売り物でした。値を半分にすれば市場でさばけたはずです。なのにあの人は、うちで断られただけで商いをやめて、聞き回りを始めました」
俺は布巾を置いた。
「塩を売りに来たんじゃなくて、塩を持って来ただけ。そんなふうに見えます。検品場にいた頃、産地を偽る業者を何度も見ました。物はいつも正直です。嘘をつくのは人の方です」
「……あんた、たまに怖いこと言うわね」
ミレイユは茶をすすった。
「でも同感よ。塩は口実。本命はうちの懐。たぶん、沢」
「どうしますか」
「決まってるでしょ」
ミレイユは指を三本立てた。
「一つ。沢は完全に閉じる。二つ。東の山に注意を流す。三つ。これがいちばん大事。──いつも通りに笑って商いをすること。慌てた顔を見せたら、隠し事がありますって教えるようなものだもの」
「三つ目がいちばん難しそうですね」
「あら。あんたは得意でしょ。いつも通りの顔」
「普通の顔です」
「知ってる」
彼女は窓の外へ目をやった。通りの向かいの宿屋の二階に、灯りが一つともっていた。
「ようこそグラナへ、よ。せいぜい東の山を楽しんでもらいましょ」
その灯りの下で男が何を書いているのかまでは、俺には見えない。
鑑定は、紙の上の嘘までは視せてくれない。
ただ、嫌な予感だけは、鑑定がなくても分かった。
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