第11話 手のひらの外
バッソの「面白い話」は、こうだった。
「隣街のキランに、武具商の婆さんがいる。ハルバって名でな。儂は二十年、あの人の荷を運んでる」
ギルドの広間。塩の樽を下ろし終えたバッソは、椅子に深く座って茶をすすった。
「目利きにうるさくて、商会の量産武具を一切置かねえ。職人の打った物しか扱わん。だから品薄でいつも困ってる。──腕のいい鍛冶と、いい鉄。両方あるってんなら、話くらいは聞くと思うぜ」
「商会との繋がりは?」
ミレイユの問いに、バッソは首を振った。
「ねえな。むしろ犬猿よ。昔、商会がキランの市場を仕切ろうとした時、先頭で追い返したのがあの婆さんだ」
「……完璧じゃない」
「ただし」
バッソは茶碗を置いた。
「目は本物だ。生半可な品を持ち込んだら、二度と会ってくれねえ。それと、儂が口を利くのは一度きりだ。あとはお前さんたちの品次第。それでいいな?」
「願ってもないわ」
「よし」
バッソはにやりと笑い、俺を見た。
「車輪の礼が、まだだったからな」
◇
それから十日、ギルドは静かに忙しかった。
表向きは、いつもの依頼と買い取り。
裏では、沢の石の選り分けと、ガロの鍛冶場通いだ。
石はドニとフィオナが「薬草採取」の名目で沢から運んだ。袋の口には本物の薬草をかぶせ、帰りは毎回道を変える。ミレイユの指示は徹底していた。
「やりすぎじゃない?」とフィオナは笑ったが、ミレイユは笑わなかった。
「商会を甘く見ないことよ。あいつらは儲け話の匂いだけは、犬より鼻が利くんだから」
運ばれた石は、俺が一つずつ検めて、芯の通ったものだけを選ぶ。十に三つは、見た目が同じでも中が荒れている。それは弾く。
「これもダメ?」
「ダメです。混ざりが多い。火に入れると割れます」
「見た目同じなのに……」
「見た目は、当てになりませんから」
選んだ石は夜にガロの鍛冶場へ運んだ。
炉の前で、老人は十も若返ったような顔で槌を振るっていた。俺は火の入り際と、芯の起きる瞬間だけ声をかける。
「まだです。……まだ。──今です」
「おうよ!」
仕事の後、ガロは決まって打ちたての鉄を撫でながら言った。
「いい鉄だ。儂の最後の仕事には、上等すぎるくらいだ」
「最後と言わず、あと二十年お願いします。視たところ、肝臓も心臓もまだ丈夫ですから」
「あんたのそれは、励ましなのか何なのか分からんな」
十日目の朝、短剣が二振りと、剣が一振り、布の上に並んだ。
飾りはない。だが刃文が水のように静かだった。
試しに、フィオナが裏庭で古い丸太を斬った。
ひと振りで、斬れた。
「…………何これ」
「ガロさんの剣です」
「いやそうだけど! 手応えなかったんだけど!? 丸太よ!?」
フィオナはしばらく刃を眺め、それから真顔で言った。
「これ、あたしの給金で買える?」
「あんたはまず盾を買いなさい」
ミレイユの声は冷静だったが、剣を見る目は冷静ではなかった。
◇
ハルバは、約束の日にギルドへ来た。
小柄な老婦人だった。杖をつき、目だけが若い鳥のように動く。
挨拶もそこそこに、彼女は布の上の三振りを検め始めた。
手に取り、刃を立て、光を滑らせる。柄を外して茎まで見た。
長い、長い沈黙だった。
「……ガロといったね、打ち手は。なぜこの腕が今まで埋もれてた」
「商会の出店に、客を取られまして」
「あの連中はどこでもそれだ」
ハルバは吐き捨て、次に俺を見た。
「鉄の選り分けは、あんたかい」
「はい」
「十のうち、いくつ弾いてる」
「三つほど」
「弾いた三つを、混ぜようとは思わなかったかい。見た目じゃ分からないんだろう?」
「思いません」
即答すると、老婦人は初めて笑った。
「合格だよ」
彼女は懐から革の財布を出し、机に置いた。重い音がした。
「三振り、言い値で買おう。それと月にこの倍、続けられるかい。うちの店は職人物に飢えてるんだ」
ミレイユが、声を出さずに俺の袖を強く掴んだ。
「で、できます。できるわ。月に倍、いえ三倍でも」
「欲張りは嫌いじゃないよ」
ハルバは杖で床を突いた。
「ただし条件は一つ。この質を、一度でも落としたら終わり。あたしの店の信用は、品物が全部だ。いいね」
「はい」
俺が答えた。
それが俺の仕事だからだ。
◇
その夜、ミレイユは帳簿の前で長いこと動かなかった。
机の上には、ハルバの置いていった銀貨。数えると、いつもの買い取りのふた月分あった。
「……これで、利子が払える」
声が、少しだけ震えていた。
「利子だけじゃない。元金も、少しずつ返せる。商会に頭を下げないで、うちの稼ぎで」
彼女は銀貨を一枚取り、ランプにかざした。
「ねえレイ。うちのギルド、初めてなのよ。商会の通らないお金が入ったの」
「おめでとうございます」
「あたしね。三年前にギルド長を継いだの。先代が倒れて、急に」
ミレイユは銀貨をかざしたまま、ぽつりぽつりと話した。
「帳簿を開いたら、借金と、商会の言い値の取引だけが残ってた。素材は安く取られて、装備は高く買わされて。おかしいって分かってるのに、確かめる目がうちにはなかった。文句を言えば買い取りを止めるって脅される。だから三年間、ずっと頭を下げてきた」
「はい」
「悔しかったのよ。ずっと」
それきり、彼女は黙った。
俺も黙っていた。
こういう時に何を言えばいいのか、俺は知らない。検品場では、品物は語りかけてこなかったから。
ただ、目の前の人が今夜だけは肩の荷を一つ下ろしているのは、見れば分かった。
鑑定とか、そういうものとは関係なく、分かった。
「あんたのおかげって言ってるの」
「いえ。石を拾ったのはドニさんで、打ったのはガロさんで、口を利いたのはバッソさんで、売ったのはハルバさんです」
「その全部を繋いだのは、どこの誰よ」
答えに困ったので、俺は黙って茶を淹れた。
◇
その頃。
グラナの商会出店から、メルダートの本部へ、一通の報告が届いていた。
『ギルドが正体不明の武具を隣街キランへ売却。出どころ不明。例の倉庫番が関与の模様』
報告を読んだゲルツは、しばらく考え、それを会頭にではなく自分の机の引き出しにしまった。
「……相場通り払ってやれ、だったな。会頭はああ言ったがね」
指先が、机を叩く。
「出どころさえ分かれば、買い取りも何も、いらないんだよ」
ゲルツは人を呼んだ。
「グラナに行ってもらう。荷は塩でいい。調べるのは──ギルドの連中が、どこの沢に出入りしてるかだ」
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