第10話 鍛冶屋の沈黙
翌朝、俺たちは四人で街を西へ歩いた。
俺とミレイユとドニ。それに「絶対ついてく」と譲らなかったフィオナだ。背負い袋の中では、なまくら石が三つ、ごとごとと鳴っている。
大通りの角に、商会の出店があった。
軒先の台に、剣が並んでいる。磨かれた刃が朝日を弾いて、たいそう見栄えがした。
値札は銀貨四枚。安い。
そして、どれもダメだった。
芯がない。焼きが浅い。鍛えを省いて、磨きだけ丁寧にしてある。見た目は商会の盾と同じ作り方だ。中身ではなく、外側に金をかける。
「見ない見ない。ほら行くわよ」
ミレイユが俺の襟を引いた。目が留まっていたのが、分かったらしい。
ガロの鍛冶場は、街はずれの坂の下にあった。
煙突から煙は出ていない。軒先の看板は、文字が読めないほど風化していた。
開いた戸口の奥で、白髪の老人が鍋の底を叩いていた。
「ガロの爺さん! 客だぞ!」
ドニが声を張った。
「鍋なら五日待ちだ」
「鍋じゃねえよ。鉄を見てほしいんだ」
「鉄?」
老人は手を止めず、こちらを見もしなかった。
「武具なら商会の出店へ行け。安くて、ぴかぴかで、半年で折れるやつを売ってくれる」
声に棘があった。
ミレイユが愛想笑いのまま小声で言った。
「ね? 偏屈でしょ」
俺は構わず、鍛冶場の中へ目をやった。
散らかってはいるが、死んだ場所ではなかった。炉の灰は今朝のものだ。道具は手入れされ、砥石は乾いていない。
そして、壁。
奥の壁に、一振りの古い剣が掛かっていた。
俺の足は、勝手にそちらへ向かっていた。
「おい、勝手に入るな」
「……いい焼きですね、これ」
声が出ていた。
拵えは飾り気がない。だが刃文が静かに整っている。芯は粘り、刃は硬く、焼きの境に迷いがない。
「打ってから三十年は経っています。なのに刃の中に、疲れがほとんどない。よほど正直に打たないと、こうはなりません」
鍋を叩く音が、止まった。
「研ぎは……二十回ほどですか。減りが薄い。いい使い手に渡ったんですね。これと同じものは、もう」
「打てん」
老人が初めてこちらを向いた。
「目と腕が、もうあの頃のもんじゃない。……あんた、何者だ。それは儂が四十の歳に打った、一番の剣だ。研ぎの数まで当てた目利きは初めてだ」
「ギルドの倉庫番です」
「倉庫番」
老人は俺を頭のてっぺんから爪先まで眺めた。
「……で? その倉庫番が、儂に何の用だ」
ドニが背負い袋を下ろし、机に灰色の石をごとりと置いた。
ガロの眉が、ぴくりと動いた。
「なまくら石じゃねえか。からかいに来たのか」
「打ってみてほしいんです」
俺は言った。
「並の火では伸びません。炉を限界まで熱くして、送風を倍に。最初の三打は跳ね返されると思います。でも芯が起きれば、あとは素直です」
「……芯が、起きれば?」
「はい。この鉄には芯があります。北の特級炉鉄と同じです。いえ、それより澄んでいます」
ガロは長いこと黙っていた。
それから石を取り、節くれだった指で表面を撫でた。重さを確かめ、軽く叩き、耳を寄せた。
「…………」
「爺さん?」
「黙ってろ」
ガロは石を持ったまま、炉に炭を入れ始めた。
◇
炉が吼えるまで、半刻かかった。
ふいごを倍に繋ぎ、炭を惜しみなく積む。鍛冶場の空気が焼け、見ているだけで汗が噴き出した。
火を待つあいだ、ガロはぽつりと訊いてきた。
「倉庫番。あんた、どこで目を覚えた」
「商会の検品場に、六年いました」
「商会」
老人は鼻を鳴らした。
「あの出店の剣も、あんたが検品してたのか」
「いえ。武具は別の街の工房からです。ただ、ああいう作りの品は、俺がいた頃は仕入れの段階で弾いていました」
「だろうな。前はあそこまで酷くなかった。ここひと月だ、あんなのが並び始めたのは」
ひと月。
俺が検品場を出たのが、ちょうどそのくらい前だ。
でも、おかしい。検品場には銀の徽章の鑑定士が入ったはずだ。正規の鑑定なら、数字で等級が出る。俺の「なんとなく」より、よほど確かなはずなのに。
弾く者がいなければ、入ってくる物は際限なく悪くなる。それが俺の知っている、商いの理屈だ。
誰か、弾いているんだろうか。あの検品場で。
考えても、答えは出なかった。
石が、火の色に染まっていく。
「跳ね返されるってのは、こういうことか」
最初の一打で、ガロが唸った。槌が硬い音を立てて弾かれたのだ。
二打目。同じ音。
三打目。
音が、変わった。
硬い拒絶の音が、芯の通った重い音になった。火花が白くなる。
「……起きた」
ガロの目が、見開かれた。
そこからの老人は、別人だった。
槌が躍る。鉄が応える。伸ばし、折り返し、また伸ばす。鈍色だった石が、打たれるたびに澄んだ銀色の肌を見せていく。
誰も、口を利かなかった。
フィオナですら黙っていた。
日が傾くころ、ガロの手が止まった。
金床の上に、短い棒状の鉄が横たわっていた。まだ刃もない、ただの延べ棒だ。
それなのに、佇まいが違った。
ガロは延べ棒を水で締め、布で拭い、長いこと見つめていた。
「……五十年、鉄を打ってきた」
声が、かすれていた。
「こんな鉄は、初めてだ。どこで採れた」
「それは」
ミレイユが一歩前に出た。
「言えないの。ごめんなさい。まだ誰にも知られたくないのよ」
「だろうな」
ガロはあっさりうなずいた。
「これが世に知れたら、騒ぎになる。商会あたりが山ごと囲うだろうよ」
「話が早くて助かるわ」
「で? 儂に何をさせたい」
「この鉄で、武具を打ってほしい。報酬は出来高で、きちんと払う。そのかわり鉄のことは……」
「墓まで持ってけ、だろ」
ガロは延べ棒を撫でた。
「条件がある。一つ。儂の名で、儂の納得した物しか出さん。数は約束せん」
「いいわ」
「二つ。この若いのを、時々寄越せ」
ガロの指が、俺を差した。
「俺ですか」
「火の入り際と、芯の起きる瞬間。あんたの目で見ててもらう。儂の目はもう、若くないんでな。──それと倉庫番。さっきの言葉、嘘じゃなかったぞ」
「さっきの?」
「芯が起きれば素直、だ。その通りの鉄だった。長く生きると、たまにはいいことがあるもんだ」
老人は、初めて笑った。
◇
帰り道、夕焼けの坂を上りながら、ミレイユが指を折っていた。
「鉄はある。打ち手もできた。残るは売り先。……結局そこなのよね。商会の通らない道なんて、どこに」
「あるぜ、ひとつ」
ドニでも、フィオナでもなかった。
坂の上から、聞き覚えのある濁声が降ってきた。
塩の樽を積んだ荷馬車。御者台で手を上げる、髭面の男。
「バッソさん」
「よう、目利きの。……なんだ、お前さんたち、雁首揃えて深刻な顔して」
バッソはひらりと御者台から降りた。
「塩を届けに来たんだがな。なんなら、面白い話も一緒に聞いてくか?」
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