第125話 組合の宝
布が、ゆっくり滑り落ちた。
台の上に一振りの剣が横たわっていた。
古い剣だった。鞘は使い込まれ、柄の革は色あせていた。けれど抜き身の刃は、何百年を経たとは思えぬほど澄んだ光を放っていた。波打つ刃文。吸い込まれるような鋼の地肌。ひと目でただの剣ではないと分かった。広間の鑑定士たちが、思わず居ずまいを正した。みなが知っている品なのだと、その様子で察しがついた。
「これは、組合の宝だ」
レーヴェがおごそかに言った。
「五百年前の名匠、ヴェルダンの打った剣。代々の金の徽章が本物と認め、この本部の奥に納めてきた。連合じゅうの宝のなかでも指折りの一振り。──さあ徽章なき目利きよ。お前に、これが本物か偽物か言えるか」
罠の意図は、すぐに読めた。
ここで偽物と言えば、組合が五百年あがめてきた宝に泥を塗ることになる。本物と言えば、徽章持ちと同じことを言ったにすぎない。さっきの紅玉と同じ仕掛けだった。どちらに転んでも俺が小さく見えるよう、退路をふさいでくる。冷たく静かな一手だった。
俺は剣の前に立った。
手に取ってよいかと尋ねた。レーヴェがうなずいた。両手で、そっと刃を持ち上げた。ずしりと重かった。けれど手に吸いつくような、ふしぎな据わりがあった。長い年月、人の手で大事にされてきた剣の重みだった。
刃を光にかざした。
地肌を見た。刃文を追った。鋒から鎺まで、ゆっくりと目を走らせた。鋼の鍛えに、寸分の乱れもなかった。鍛冶のガロが見たら、きっと唸るだろう。これは、まぎれもない名匠の仕事だった。
「……これは、本物です」
俺は言った。
レーヴェの眉が、わずかに動いた。本物と言わせて、ただ徽章に従っただけだと笑うつもりだったのだろう。けれど俺はまだ言葉を続けた。
「ただ本物というだけじゃない。──この剣は、一度折れています」
広間がざわついた。
俺は刃のなかほどの一点を指でなぞった。そこに念を込めた。強く、知りたいと願った。この剣が、どこで生まれ、何を経てここに来たのか。すると視界の奥が、すうっと重くなった。来歴の目だ。一度に多くは視られない。視れば頭の芯がきしむ。それでもこの一振りだけは確かめたかった。額の裏が、じわりと痛んだ。
うっすらと、道筋が視えた。
「鍛え上げてから何十年か後に、この剣は戦いで根元から折れたようです。けれど打った名匠が、まだ生きていた。──名匠は折れた我が子を引き取って、もう一度自分の手で鍛え直した。継いだ跡は、この一点。だから刃文がここだけ、ほんのわずかによじれている。腕が落ちたんじゃない。年老いた手で、それでも一度死んだ剣をよみがえらせた。その証です」
言い終えると、頭の奥がずんと重くなった。来歴の目を使ったあとは、いつもこうだ。視えるぶん、こちらが削られる。俺は剣を台に戻し、こっそり息を整えた。
広間がしんと静まり返った。
◇
一人の老いた金の徽章が、震える声を上げた。
「……ヴェルダンの、打ち直し。その話は──組合の最も古い書にしか、残っておらぬ。五百年、外には出しておらぬ話だ。なぜ、それを」
俺は首を振った。
「書のことは、知りません。俺はただ剣に視えたことを言っただけです」
ざわめきが、広間に広がった。書物にしか残らぬ来歴を、徽章なき目利きが剣そのものから読み取った。それがどういうことか。徽章持ちたちの顔に、戸惑いと、隠しきれない驚きが浮かんでいた。さっきまで苦々しげだった目までが、いまは食い入るように俺を見ていた。
レーヴェだけが、動じなかった。
薄い笑みのまま、静かに俺を見ていた。けれどその指が、ひじ掛けの上で一度だけ、こつ、と鳴った。盤の上の駒が一つ、思わぬ動きを見せた。そういう音に聞こえた。
「ま、まやかしだ」
声を上げたのは、査定長のオズワルドだった。
恥をかかされたまま黙っていられなかったのだろう。立ち上がり、自分の供に何かを持ってこさせた。布に包まれた、小さな箱だった。なかから、銀の杯を取り出した。
「徽章なき目利きが、いかさまの口先で皆を惑わしておる。──ならば、これを検めてみよ。わしが先日、確かに本物と見定めた、北の名工の銀杯だ。これが偽物だと言えるなら言ってみるがいい」
オズワルドは得意げに杯を突きつけてきた。自分が本物と保証した品だ。これを偽物と言えば、俺がでたらめを言っている証になる。そう思っているのが、顔に出ていた。
俺はその銀杯を受け取った。
手に取った瞬間に、分かった。来歴の目など、使うまでもなかった。
「……これは、偽物です」
俺は静かに言った。オズワルドの顔が、こわばった。
「銀の色が、上と下で違います。杯の身は確かに古い銀。でも台座だけが、新しい。継ぎ目を磨いてごまかしてある。それに底の刻印──名工の銘が彫ってありますけど、彫りが浅い。あとから足したものです。本体は古い無銘の杯。そこに名工の銘を彫り足して、台座をすげ替えた。値を吊り上げるための細工です」
「で、でたらめを」
「割れば分かります」
テオがすっと前に出た。
「私が検めましょう。──銅の徽章で、継ぎ目と刻印を確かめます」
テオは杯を受け取り、継ぎ目に小刀の刃を当てた。磨いて隠した境目に、刃がかすかに引っかかった。下の地金が現れた。色が、はっきりと違った。古い銀のくすんだ色と、新しい銀の白い光。誰の目にも、二つの銀がつぎ合わされているのが分かった。
「……レイの言うとおりだ」
テオが言った。
「身と台座は別物。刻印もあとから足したもの。これは、名工の銀杯ではない。──査定長殿が本物と見定めた、その品が、です」
広間がどよめいた。
オズワルドの顔から、血の気が引いた。レイを陥れようと自分の見立てを持ち出し、その見立てこそが偽物だと、皆の前で暴かれた。手にした罠が、そっくり自分に返ってきた。査定長は口をぱくぱくさせ、それから杯をひったくるように奪い、よろよろと席へ下がった。
俺は別に勝ち誇る気はなかった。
ただ視えたものを言っただけだ。けれど一つだけ、はっきりしたことがあった。徽章を持つ査定長が本物と認めた品が、偽物だった。徽章は、それを見抜けなかった。徽章には徽章の役目があり、視えないものがある。今日この場の全員が、それを目の当たりにした。
レーヴェがゆっくりと立ち上がった。
誰も恥をかかせていないかのような、静かな所作だった。彼は俺を見て、それから広間の徽章持ちたちを見渡した。動揺の波が、まだ引いていなかった。レーヴェはその波を冷たく見つめてから、低く言った。
「見事だ。──だが目利きの良し悪しと、組合がそれを認めるかは、別の話だ。徽章なき者に印を許せば、何が起こるか。今日のような曲芸が、連合じゅうで好き勝手に行われる。秩序とは、そういうものではない」
そして彼は最後にこう言い添えた。
「検めは終いだ。──評議会の決は、後日あらためて下す」
その言葉に、背筋が冷えた。
今日、品では負けなかった。けれどレーヴェは品で勝とうとしていなかった。決を下すのは評議会だ。そして評議会を動かすのは、品の良し悪しではない。組合の古い秩序であり、長老の重みであり、票の数だった。冷たく静かな老人は、検めの広間ではなく、その先の評議の票を、もう数え始めていた。
広間を出るとき、俺はちらりと理事の席を見た。
ロデリック理事は、ひじ掛けに肘をつき、じっと一点を見つめていた。その目に、迷いの色が深く差していた。徽章なき目利きが、徽章には視えぬものを視た。四十年守ってきた秩序が、今日たしかに一度、揺れた。それを誰より重く受け止めているのは、たぶんあの人だった。
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