第124話 視えぬものは視えぬ
二つ目の布が、取り払われた。
台の上に、小さな台座があった。その上で、一粒の宝石が光っていた。
紅玉だった。親指の先ほどの大きさ。深い赤の澄んだ石だった。広間の高い窓から差す光を受けて、内側から燃えているように輝いていた。鑑定士たちが身を乗り出した。これほどの紅玉は、めったに市場に出ない。ひと目で相当な値の品だと分かった。
台座の上で、その石はじっと光を放っていた。赤は、底のほうほど濃かった。光をくぐらせると、その濃い赤のなかに、もっと深い色がいくつも重なって見えた。血の色にも、熟れた実の色にも見えた。何百年も地の底で固まってきた石だ。それが今、この冷たい広間の真ん中で、たった一つの光になっていた。みなが息を詰めて、その輝きを見ていた。
「これは、南の鉱山から出た紅玉だ」
レーヴェが言った。
「混じり気もなく、ヒビもない。割れも欠けもない。──さあ、徽章なき目利きよ。この石の等級を述べてみよ。我ら徽章持ちなら、一級と読む。お前の目には、これが何級と視える」
俺は台座の紅玉を見つめた。
手に取ってよいかと尋ねた。レーヴェがうなずいた。指先で、そっとつまみ上げた。光に透かして、ゆっくりと回した。あらゆる角度から眺めた。深い赤が、指のなかで澄んだ光を放っていた。
探した。ヒビを。気泡を。色のむらを。割れの芽になりそうな、わずかなゆがみを。商会の検品場で六年、数えきれないほどの品を視てきた。悪いところがあれば、たいてい奥に何かが視える。けれどこの石には、それがなかった。どこを見ても、澄んでいた。曇りの一つもなかった。
俺はしばらく黙っていた。
「……悪いところは、ありません」
ようやく、そう言った。
「ヒビもない。気泡もない。色のむらもない。割れる兆しも、欠ける兆しもない。これは、本当に良い石です。──でも」
俺は紅玉を台座に戻した。
「これが何級か、と聞かれても。俺には分かりません」
広間が、どよめいた。
レーヴェの口の端が、わずかに持ち上がった。待っていた答えが返ってきた、という顔だった。
「聞いたか、皆の者」
彼はゆっくりと広間を見回した。
「徽章なき目利きは、石の等級すら言えぬ。良いか悪いか、それだけだ。──だが我らが商うのは、良し悪しだけではない。一級か、二級か。金貨百枚か、五十枚か。その一線を見定めてこそ、信用は保たれる。等級を言えぬ者の見立てが、どうして徽章に代わろうか」
オズワルドが待ってましたとばかりに手を打った。
「そのとおり。等級も言えぬ小僧が、連合の信用を担うなど笑止。──化けの皮が剥がれたわ」
俺はその言葉を聞いていた。
言われてみれば、その通りだった。俺には等級が分からない。一級なのか二級なのか。金貨で何枚の値打ちなのか。そういうことは視えない。視ようとしても視えなかった。
考えてみれば、不思議なことだった。俺の目には、品の傷んだところがはっきり視える。芯の巣も、釉薬の下のヒビも、麻の縄に紛れた一本の古麻も視える。なのに、その品が世間でいくらの値で取り引きされるのか。それだけは、どうしても視えなかった。値というのは品そのものにあるのではない。人が決めるものだからだ。だから俺の目には映らない。そんな気がした。値を測るのが徽章の仕事なら、それは徽章に任せればいい。俺が嘘で埋める話ではなかった。
だから俺は正直に言った。
「はい。等級は、視えません。値が金貨で何枚か、というのも視えません。──俺の目に視えるのは、その品が良いか悪いか。今どこが傷んでいて、これから先どこが壊れるか。それだけです。等級を読むのは、たぶん徽章の役目です。俺の役目じゃ、ありません」
レーヴェの笑みが、少し止まった。
「ほう。──己の目が徽章に及ばぬと、認めるか」
「及ぶとか及ばないとか、俺には分かりません」
俺は首を振った。
「ただ視えるものと視えないものがあるだけです。徽章には等級が視える。けれど芯の巣は視えない。俺には等級が視えない。けれど芯の巣は視える。──どっちが上ということでなく、視えるものが違うんだと思います。だから本当は、両方あったほうがいい。徽章と俺の目は、争うものじゃない」
◇
広間が、静まった。
俺は横に立つセレネを見た。セレネが小さくうなずいた。父の理事のほうを一度だけ見て、それから前へ進み出た。胸の銀の徽章を、紅玉にかざした。
「銀の徽章で、申し上げます」
セレネの声は、まっすぐだった。
「この紅玉、等級は一級。混じり気なく、ヒビも欠けもなし。レーヴェ評議員のお見立てのとおりです。──そしてレイが申したことも、すべてそのとおり。この石に悪いところは一つもない。彼は視えるものを視えると言い、視えないものを視えないと言いました。一度も、偽りを口にしていません」
広間の鑑定士たちが、顔を見合わせた。
「お分かりでしょうか」
セレネは広間を見渡した。
「私が徽章で等級を読み、レイが目で瑕疵を視る。二つを重ねれば、この石の値も、確かさも、余すところなく分かる。どちらか一方では、片側しか見えない。──彼が言ったのは、そういうことです。徽章なき目利きは、徽章を奪う者ではありません。徽章では届かぬところを、補う者なのです」
俺はセレネの横顔を見ていた。
うまく言えなかったことを、セレネがきれいに言葉にしてくれた。等級は分からないと正直に言ったことが、負けではなかった。むしろ視えるものと視えないものの境を、はっきり示すことになった。広間のいくつかの徽章が、わずかに揺れた気がした。さっきまで苦々しげだった目に、考え込むような色が混じり始めていた。
テオが後ろで小さく息を吐いたのが分かった。
「……正直に答えたのが、効いた」
そう、つぶやくのが聞こえた。
けれどレーヴェは動じなかった。
薄い笑みを浮かべたまま、静かに俺を見ていた。一手をしのがれても、盤の上にはまだいくつも駒が残っている。そういう余裕の目だった。彼が指を上げると、供の者がまた一つ、布をかけた台を運んできた。今度の品は、さっきまでより、ずっと大きかった。
「では、これはどうかな」
レーヴェは言った。
「良し悪しでも、等級でもない。──これが、本物か偽物か。徽章なき目利きよ。お前に、それが言えるか」
布が、ゆっくりと滑り落ちた。
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