表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
123/256

第123話 評議の間

 明後日が、明日になり、そして当日の朝が来た。


 俺たちは早くに身支度をして、丘の上の本部へ上った。前庭の天秤の像が、朝日を受けて白く光っていた。公正の証だという。けれどその下で、これから公正とは言いがたい検めが始まろうとしていた。


 俺たちは評議の間へ通された。


 広い石造りの広間だった。高い天井。ずらりと並んだ石の長椅子。そこに徽章を吊るした鑑定士たちが座っていた。鉄。銅。銀。そして金。さまざまな格の徽章が、ひんやりとした光のなかで鈍く光っていた。何十もの目が、入ってきた俺に注がれた。みな品定めをするように、こちらを見ていた。それぞれの胸の徽章が、おのれの格をそのまま示しているようだった。


 正面の一段高い席に、一人の老人が座っていた。


 痩せて背の高い老人だった。白い長衣を着て、胸に金の徽章を吊るしていた。けれど査定長のように偉ぶった様子はなかった。むしろ静かだった。落ち着いた冷たい目で俺を見ていた。値踏みするでも嘲るでもない。ただ盤の上の駒を眺めるような目だった。あの目は何かを見定めようとしている。けれど品を見ているのではない。俺という人間を、どう使い、どう片づけるか。それを測っている目だった。


 あれがレーヴェだ。すぐに分かった。


 テオが俺のそばで小声で言った。


「あの方が、オットー・レーヴェ評議員です。今日の検めを仕切られる。──くれぐれも、挑発に乗らないように」


 レーヴェの隣には査定長のオズワルドが座っていた。先日グラナで恥をかいて逃げ帰った男だ。今日は得意げな顔をしていた。後ろ盾を得た者の顔だった。俺と目が合うと、ふんと鼻を鳴らして横を向いた。


 別の席に、もう一人見覚えのある顔があった。


 セレネの父、ロデリック理事だった。金の徽章。けれどその顔はどこか疲れて見えた。娘のセレネが入ってきたのに気づいても、軽くうなずくだけで何も言わなかった。組合の真ん中で一人で迷っている人。テオの言葉を思い出した。理事の目は、俺とレーヴェのあいだを何度も行き来していた。


 ◇


 レーヴェが、静かに口を開いた。


「皆の者、よく集まった」


 声は低く落ち着いていた。広間のすみずみまで、不思議とよく通った。声を張らずとも届く。そういう話し方を、長い年月で身につけた人なのだと思った。


「今日は一つ、確かめねばならぬことがある。──近ごろ連合に、徽章なき身で目利きを称する者がおる。グラナのレイと申す。その者の目が、まことに徽章に代わるものか。この場で皆とともに検める」


 穏やかな物言いだった。けれど言葉の裏に、冷たい刃があった。徽章に代わるものか。つまり代われぬと証してみせる、と言っているのだ。検めの結果は、もう胸のうちで決まっている。そういう口ぶりだった。


「レイとやら。前へ」


 俺は広間の中央へ進み出た。


 大勢の徽章持ちに見下ろされる格好になった。けれど不思議と怖くはなかった。商会の検品場でも、いつも一人だった。視たものを言う。それだけならどこでも同じだ。背中でフィオナが息を詰めているのが分かった。セレネが、父の席のほうを気づかわしげに見ていた。


「お前は徽章を持たぬ。なのに品を見定め、印を押し、銭を取っているそうだな」


「はい」


「徽章とは、組合が長い年月をかけて、目利きの確かさを保証する証だ。それを持たぬ者が見定めを行うのは、いわば免状なき医者が薬を出すようなもの。──危ういとは思わぬか」


「思いません」


 俺は答えた。広間が、わずかにざわついた。


「俺は薬を出すわけじゃありません。品を視て、悪いところを言うだけです。腐っている。ヒビがある。芯に巣がある。視えたことを視えたまま言う。それだけです。徽章があってもなくても、悪い品は悪い品です。良い品は良い品です」


 レーヴェの目が、すっと細くなった。


「ほう。──ならば確かめよう」


 彼は、かたわらの台に目をやった。


 供の者が、布をかけた台を運んできた。布を取ると、一つの壺が現れた。


 白い磁器の壺だった。なめらかな肌。澄んだ釉薬の光。気品のある形。ひと目で上物と分かる品だった。広間の鑑定士たちが、ほうとため息をついた。名のある窯の、相当な値のする壺に違いなかった。


「西の名窯、ファルケ窯の白磁だ」


 レーヴェが言った。


「この場の誰に見せても、最上等と出る品。徽章をかざせば、等級は寸分の狂いもなく読める。──さあ、徽章なき目利きよ。お前にはこれが、どう視える」


 罠だ、とすぐに分かった。


 名のある窯の、見た目の完璧な品。ここで「外れです」と言えば笑い者になる。「上物です」と言えば、徽章と同じことしか言えぬと示すことになる。どちらに転んでも、俺が負けるように仕組まれていた。会頭よりずっと頭がいい。セレネの言葉の意味が、また少し分かった。冷たく静かに、筋道だけで人を追い詰める。まさにそういう一手だった。


 俺は、壺の前に立った。


 手に取ってもいいかと尋ねると、レーヴェは黙ってうなずいた。両手で、そっと持ち上げた。見た目は文句のつけようがなかった。肌はなめらかで、光は澄んでいた。釉薬の乗りも見事だった。確かに名窯の品だった。


 けれど。


 光に透かして、ある一点を見たときだった。釉薬の下の、白い肌の奥。そこに細い線が一本走っていた。貫入だ。焼きのときに自然に入る、釉薬の細かなヒビ。それ自体はめずらしくない。むしろ味とされることもある。けれどこの一本だけは違った。釉薬を越えて、その下の生地まで深く届いていた。


「……この壺は、上物です」


 俺は言った。レーヴェの眉が、わずかに動いた。


「ただ、底の近くに一本だけ深いヒビが入っています。釉薬の下の、生地まで届いている。今は水を入れても漏れません。けれど寒い土地へ運んで、冬を越せば。──このヒビから割れます。たぶん、一冬保ちません」


 広間が、静まり返った。


 レーヴェは、しばらく壺を見ていた。


 それから静かに笑った。声を立てない、薄い笑みだった。むしろその静けさが、広間の空気を一段冷たくした。


「面白い。だが──冬を越せば割れる、とな。それは今この場では確かめられぬ。一冬を待てば分かる、か。つまりお前の見立ては、いま正しいと証すすべがないということだ」


 冷たい声だった。俺は、言葉に詰まった。


 その通りだった。割れるかどうかは、冬を越さねば分からない。商会のヴァローも、似たことを言った。けれどヴァローは、それを嘲りで言った。レーヴェは違った。声を荒らげず、ただ静かに、俺の足元のいちばん弱いところを突いてきた。確かめようのないことを言って、何の証しになるのか、と。


「では、今この場で確かめられるものを出そう」


 レーヴェは、次の布を指さした。


「これならば、待つ必要はない。──今ここで、お前の目が徽章に及ばぬと、はっきり分かる」


 布の下に、次の品があった。俺はまだ、それが何かを知らなかった。けれど、その薄い笑みの奥で、この老人がもう何手も先まで盤を読んでいることだけは、はっきりと分かった。

本作は毎日更新中です。ブックマークしておくと更新通知が届きます。続きをお見逃しなく。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ