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第122話 丘の上の本部

 四日目の昼すぎに、馬車は丘のふもとに着いた。


 見上げると、白い石を積んだ大きな建物が丘の上にあった。鑑定士組合の本部。連合じゅうの徽章が集まる場所だ。グラナのギルドの建物が、まるごと三つは入りそうだった。石の壁は古く、けれど磨き込まれていた。長い年月、ここが連合の目利きの真ん中であり続けてきたのだと、ひと目で分かる構えだった。


 坂を上った。


 門をくぐると、広い前庭の真ん中に像が立っていた。


 石の天秤だった。両の皿が、寸分の狂いもなくつり合っている。公正の証だという。けれど俺には、その皿のどちらにも、まだ何も載っていないように見えた。これから載るのだ。俺の目が、その皿の上で量られる。


 前庭には、徽章を吊るした人がちらほら歩いていた。


 みな、入ってきた俺たちをちらりと見た。値踏みする目だった。胸の徽章を確かめ、こちらの胸に何もないのを確かめ、それから興味をなくしたように目をそらす。徽章のない者がこの丘に上ってくること自体が、めずらしいのだろう。石畳の片隅では若い見習いらしき者が二人、こちらを指さして何か囁き合っていた。噂は、もう先に着いているらしかった。グラナの徽章なき目利き。連合の信用を勝手に握ろうとしている、得体の知れない男。そういう色のついた目で、丘ぜんたいが俺を見ていた。


 フィオナが剣の柄に手を置いたまま、低く言った。


「……感じのいい場所じゃないわね」


「腕は鳴らさないで」


 ミレイユが釘を刺した。フィオナが肩をすくめた。


 セレネは、門をくぐったときから黙っていた。半年ぶりの、生まれ育った場所だ。懐かしさよりも、こわばりのほうが顔に出ていた。父のいる場所。そして自分が飛び出してきた場所でもある。


 ◇


 案内の者が、俺たちを一室へ通した。


 質素な客間だった。しばらくして、テオ・ハルクが入ってきた。グラナで会ったときと同じ、銅の徽章を吊るしている。けれどここではその徽章がいやに小さく見えた。


「よく来てくださった。──道中、大事はありませんでしたか」


「ええ。テオさんが先に知らせてくれたおかげで」


 俺がそう言うと、テオは少しだけ表情をゆるめた。それからすぐに、声を低くした。


「中の話を、しておきます。この本部は、いま二つに割れています」


 テオは指を二本立てた。


「一つは、守旧派。徽章こそが目利きの証で、徽章なき者に印を許せば組合の根が腐る──そう信じる人たちです。その頭が、オットー・レーヴェ評議員。評議会で最も古い席に座る、金の徽章です」


「会頭みたいな人?」


 フィオナが聞いた。テオは首を振った。


「いいえ。むしろ逆です。会頭は熱くて、欲があって、声を荒らげた。レーヴェ評議員は──冷たくて、欲がなくて、声を荒らげない。秩序のために動く人です。だからこそ、厄介だ」


 俺はセレネが前にそう言っていたのを思い出した。いちばん厄介なのは、損得で動かない人だと。


「もう一つは、改革派。徽章だけでは読めぬものがある、外の良い目利きと手を組むべきだ──そう考える、若い徽章たちです。数は少ない。声も小さい」


 テオは自分の胸の銅の徽章に、そっと手を当てた。


「私も、その端くれです」


 テオは少し間を置いて、続けた。


「この本部は、外から見れば一枚岩に見えます。白い石の壁。天秤の像。何百年も変わらぬ秩序。──けれど中に入れば、ずっと前からきしんでいる。徽章だけを信じてきた古い者と、それだけでは足りぬと気づき始めた若い者。グラナのあなたの目は、そのきしみのちょうど割れ目に、楔を打ち込む形になったんです。だからレーヴェ評議員は、放っておけない。あなたを認めれば、組合の根が変わってしまうから」


 俺はただ視たものを言ってきただけだ。それが、こんな大きな建物の根まで揺らすとは思わなかった。けれどそういうことらしかった。


 ◇


「そしてそのどちらにも属さない人が、一人」


 テオが言うと、セレネの肩が小さく動いた。


「ロデリック理事。金の徽章で、評議会の重い席に座っておられる。守旧派にも改革派にも、どちらにも傾けずにいる。──正直に申せば、評議会の決は、理事がどちらに票を入れるかで決まります。古い徽章はレーヴェ評議員に従う。若い徽章は私たちにつく。数は、ほぼ同じだ。だから理事の一票が、すべてを分ける」


 部屋が静かになった。


 セレネがうつむいたまま小さく言った。


「……父は、どちらに入れると思う?」


「分かりません」


 テオは正直に答えた。


「理事は、四十年、徽章の秩序を守ってこられた方です。その秩序を、いま自分の手で揺るがすことになる。簡単に決められる話ではない。──だからこそ、レーヴェ評議員は理事を、こちら側へ渡すまいと動くはずです」


 俺は窓の外の天秤の像を見た。


 皿はまだつり合っている。どちらにも、傾いていない。あの皿が、たぶんロデリック理事なのだと思った。守旧派の重みと、改革派の軽さ。そのあいだで、どちらに傾くか分からないまま、つり合ったまま止まっている。


「明後日の朝、評議の間で、公開の検めが開かれます」


 テオが言った。


「レーヴェ評議員が、皆の前であなたの目を検める。徽章に代わるものかどうかを、その場で確かめると。──おそらく、勝てぬように仕組まれた品が出ます。気をつけてください」


「視えるものを視えると言うだけです」


 俺は答えた。テオは何か言いかけて、口を閉じた。それから少しだけ笑った。


「……あなたは、本当にそれだけなんですね」


 その夜、俺はなかなか寝つけなかった。


 窓の外に、丘の上の本部の影が、月明かりに白く浮かんでいた。あの石の壁の奥のどこかに、声を荒らげない長老が座っている。明後日、その人が、視えない品を選んで俺の前に置く。


 俺にできるのは、いつもと同じことだけだ。


 視えるものを視える。視えないものを視えない。それで負けるなら、それまでだ。けれどその当たり前が、この丘の上でどれだけ通じるのか。俺はまだ何も分かっていなかった。

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