第121話 召喚状
召喚状が届いた翌朝のことだった。
ギルドの戸を、息を切らせた男が叩いた。テオ・ハルクだった。銅の徽章を提げた改革派が、本部から馬を飛ばして来たという。四日の道を二日半で駆けたらしい。泥のはねた外套のまま、卓に着くなりこう言った。
「召喚状を、止められませんでした」
テオは額の汗をぬぐった。
「評議会で、公開の検めが決まりました。あなたを本部へ呼んで、大勢の前で目を試す。──わたしは反対しました。けれど長老の一声で覆りました」
「長老」
俺は聞き返した。
「召喚状の差出人ですか。見覚えのない名でした」
「レーヴェ、といいます」
◇
「組合の評議会で、最も古い席に着く人です」
テオは声を落とした。
「徽章は金。歳は六十を越えています。けれど、いちばん怖いのはそこじゃありません。あの人は声を荒らげない。怒りも欲も表に出さない。ただ静かに、筋道だけで相手を追い詰める。──会頭とは、まるで違う種類の人です」
俺は会頭のことを思い出した。
あの人は熱い人だった。欲があり怒りがあり、それが顔に出た。だから、どこを突けばいいか分かりやすかった。テオの言う長老は、その逆らしい。熱がない。読めない。それは確かに、厄介な相手に思えた。
「公開の検めで、何を視るんですか」
俺は聞いた。
「品なら、いつもどおり視るだけです」
「そこが、罠なんです」
テオは身を乗り出した。
「検める品は組合の蔵から出される。組合の名で。──つまりレーヴェが、品を選べる。あの人は組合いちばんの蔵を知り尽くしている。あなたが『視えません』と言うしかない品を、選んで出してくる」
「視えない品」
「等級も来歴も、はっきりしない品。曖昧な品。──あなたが口ごもった、その瞬間を大勢の前で見せたいんです。『徽章なき目利きは、ここまで』と。品で負かすんじゃない。視えない品を出して、限りを晒す」
俺は少し考えた。
◇
「だったら、視えないものを、視えないと言います」
俺は言った。
テオが目を見開いた。
「それでは向こうの思うつぼでは」
「視えないものを、視えるとは、言えません」
俺は続けた。
「無理に視えたふりをすれば外れます。外れたら、それこそ終わりです。──俺にできるのは、視えるものを視えると言い、視えないものを視えないと言う。それだけです。最初から、そうしてきました」
テオはしばらく俺を見ていた。それから、ふっと肩の力を抜いた。
「……あなたは、不思議な人だ」
テオは言った。
「策で来た相手に、策で返さない。ただ、まっすぐ視たまま言う、と。──だが、それで勝てるとは限らない。票で『認めぬ』と決まれば、品で勝っても印は無効のままだ」
「そのときは、そのときです」
俺は言った。
「視たまま言って、それでも認めないなら、それは組合の話です。俺の目の話じゃない。──行って視ます。それだけは逃げません」
横で聞いていたセレネが小さく息をついた。困ったような、けれどどこか誇らしげな顔だった。
テオは、立ち上がりながら言った。先に本部へ戻り、できることを探しておくという。改革派は数えるほどしかいない。それでもひとりでも多く公正な検めを望む者を集めておきたいのだと。去り際に、テオは一度だけ振り返った。本部であなたの目が試される日、自分はあなたの側に立つ。その言葉を、もう一度置いていった。馬の蹄の音が街道の向こうへ遠ざかっていった。
◇
出立の支度は、その日のうちに整った。
メルダートまでは四日の道。ミレイユが、ギルドの代表として同行する。フィオナは護衛だ。「あんたの隣は、あたしの場所」と言って剣の手入れを始めた。セレネも行くという。父のいる本部へ。それは、俺の検めのためだけではない、別の理由を抱えた同行だった。
留守は、皆で分けた。
元商会の主任が弾き帳を握って相談所を仕切る。ガロが、北の坑道の見回りを続ける。ドニとルカは、育てた目利きの仕事をまもる。ヴィオラは、隊商の足で留守のあいだも荷を回すと言った。
「行ってらっしゃい」
ヴィオラは、めずらしくやわらかい声で言った。
「あなたの目が本物だってことは、もう、連合の荷が証している。本部の天秤が、どう傾こうと。──堂々と視てきなさい」
俺は、うなずいた。
翌朝、まだ暗いうちに、グラナを出た。
馬車に揺られて街道を北へ。バッソが手綱を握り、フィオナが御者台の隣で街道に目を配る。ミレイユとセレネは、幌の中で本部の評議会の話を低くかわしていた。誰が味方で、誰が敵か。票がどう割れるか。聞いているだけで、現場とは違う戦いの重さが伝わってきた。
俺は流れていく景色を眺めていた。
街道は、見覚えのない土地へと入っていった。グラナの低い丘も亀の沢の鉱脈も、もう後ろだ。畑が痩せ、家の屋根が低くなり、やがて石の多い荒れ地に変わる。連合の北は、こんな顔をしているのかと思った。追放されてからの一年で、俺の暮らす場所はずいぶん遠くまで来ていた。けれど、その遠さを、俺はまだうまく実感できずにいた。
二日目の夜、宿でセレネがぽつりと言った。
父に会うのは半年ぶりだという。最後に交わした言葉は、すれ違ったままで終わった。組合の決まりを守る父と、徽章なき目利きを信じる娘。二人のあいだには、まだほどけない結び目が残っている。公開の検めの場で、父がどちらに票を投じるか。それは、セレネにも分からなかった。ただ、逃げずに父の顔を見たいのだと、セレネは言った。
俺は、うまい言葉を返せなかった。
品なら、どこを見ればいいか分かる。けれど親子のあいだのことは、品とは違う。視えないものを視えるとは言えない。俺はただ、セレネの隣で、宿の小さな火を一緒に見ていた。それくらいしか、できることはなかった。
四日の先に、丘の上の白い建物がある。天秤の像の下、大勢の徽章が、俺の目を見定めようと待っている。そのどこかに、声を荒らげない長老が、視えない品を選んで座っている。
けれど、俺のすることは、変わらなかった。
視えるものを視えると言う。視えないものを視えないと言う。追放された日から、ずっとそれだけだ。馬車は、北の街道をゆっくりと進んでいった。やがて遠くに、丘の影が霞んで見え始めた。
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