第120話 二つの保証、ひとつの目
ひと月が過ぎる頃には、目を増やす試みが、少しずつ形になっていた。
ドニとルカに続いて、近場の街にもう三人。干し肉と革帯に、塩と樽が加わった。どの品も、いきなり広げたりはしなかった。一人前に視られるか、一人ずつ確かめてから次の品へ進む。ミレイユの言った「小さく、確かに」を、まもり続けた。
外れのない荷が、ぽつぽつと連合に出ていった。
はじめは、ほんの数街だった。けれど外れのない荷が一度通ると、次の注文はすんなり決まった。一度裏切らなかった相手は、次も裏切るまいと思える。信用とはそういうものらしかった。安いだけの荷でも早いだけの荷でもない。確かな荷が、確かだと知られていく。その積み重ねが、隣の街へ、その隣の街へとじわじわ広がっていった。
ダンスクの帆の紋と、グラナの目利き。二つが揃った荷だけが、安く早く、そして外れなく届く。冬の事故で地に落ちた信用が、その荷の数だけ、少しずつ戻っていった。
「面白いものですね」
ヴィオラが帳面をめくりながら言った。
「わたくしの足だけでも駄目。レイ殿の目だけでも駄目。二つが揃って初めて荷が動く。──二つの保証が、ひとつの目を核にしている」
俺はその言い方を少し考えた。
◇
「二つの保証、ですか」
俺は聞き返した。
「一つは、ヴィオラさんの足。連合じゅうへ届ける隊商の信用。もう一つは、ミレイユさんの顔。グラナが請け合うというギルドの信用。──その二つが、俺の目を真ん中に置いている」
「そういうことです」
ヴィオラはうなずいた。
「目だけでは連合へ届かない。足だけでは外れが混じる。顔だけでは品の中身が読めない。三つが、一つの目を囲んで初めて回る。──会頭は足と顔だけで回そうとして、底が抜けた。わたくしも足だけで急いで、砕けた。目が真ん中になかったからです」
言われてみれば、そうだった。
商会が瓦解したのも、ダンスク保証が裏目に出たのも、根っこは同じだった。届ける力と請け合う顔はあっても、品の中身を視る目が真ん中になかった。だから、いつか外れが底から噴き出した。目が真ん中にある限り、その底は抜けない。
「妙な気分です」
俺は言った。
「追放された頃、俺はただの検品係でした。良いものを良いと言うだけの。それが今は、連合の信用の真ん中に置かれてる。──同じことをしてるだけなのに、立っている場所がまるで違う」
「同じことをしているからですよ」
ヴィオラが薄く笑った。
「変わったのは、あなたではなく周りです。あなたの目がどれだけ大事かに、周りがようやく気づいた。それだけのこと。──いちばん損をしたのは、あなたを手放した街でしょうね」
◇
ヴィオラはもう、横取りの顔をしていなかった。
最初にギルドの戸を叩いたときの、あの「印を寄こせ」の押しは跡形もなかった。今は自分の足を差し出して、俺の目と組んでいる。客を奪わぬ取り決めも、ちゃんと文にしてまもっていた。frenemyとセレネが呼んだ相手は、いつのまにか頼れる組み手になっていた。
「あなたがた、不思議な人たちですね」
ヴィオラがふと言った。
「断られても恨まなかった。横取りに来たわたくしを、追い返さず教えてくれた。──こんな商いの相手は初めてです。会頭なら、わたくしを潰しにかかったでしょう」
「品をよくするのに、恨みは要りません」
俺は言った。
「恨んでも、革のなめしは甘いままです。外れは外れのまま。だったら、できる人と組んで外れを減らすほうが早い。──ヴィオラさんは、外れの理由に気づける人でした。それで十分です」
ヴィオラはしばらく黙っていた。それからめずらしく小さく頭を下げた。連合いちの大商人が、追放された検品係に深く礼をした。それは、横取りに来た日には考えられない眺めだった。
◇
信用空白が、少しずつ埋まり始めていた。
会頭の抜けた椅子を皆で奪い合う混乱は、まだ続いている。けれどその真ん中に、外れを視る目を核にした新しい保証が、芽を出していた。誰の名がつくかではなく、品の中身が確かかどうか。そういう信用の形が、連合に初めて生まれようとしていた。
うまくいき始めた、と思った矢先だった。
夕方、本部から使いが来た。
馬を駆ってきた使者は、組合の印を提げていた。差し出されたのは、蝋で封をした一通の書状だった。ミレイユが受け取り、封を切る。読み進めるうちに、その顔がすっと引きしまった。
「召喚状よ」
ミレイユが言った。
「メルダートの本部から。──評議会の、公開の検め。レイの目を、大勢の前で試すって」
俺は書状を覗き込んだ。
堅い文字が並んでいた。組合の名のもとに、グラナの目利きを本部へ召喚する。評議会の場で、その目を公開の検めにかける。日取りまで、きっちり決まっていた。差出人の欄には、見覚えのない、けれど重い名が記されていた。
「来たわね」
セレネが低く言った。
「現場で勝てないと見て、場所を変えてきた。決まりと、票で動く場所へ。──父のいる場所へ」
窓の外で、日が落ちかけていた。
ミレイユが書状を卓に置いた。指先が紙の縁をなぞっている。怒りでも恐れでもない、何かを見定める顔だった。フィオナは黙って剣の柄に手を置き、セレネは差出人の名を、もう一度、確かめていた。部屋の空気が、さっきまでの祝いの色から、ひと息に張りつめたものに変わっていた。
戦う場所が、また変わろうとしていた。現場の妨害は出尽くした。今度は、丘の上の白い建物。天秤の像の下、大勢の徽章が見守る場で、俺の目が試される。品で勝っても、票で覆されるかもしれない場所だった。
「行きますか」
俺はミレイユとセレネを見た。
「四日の道です。逃げても、印は無効のまま。だったら、行って視たまま言うだけです。──いつもと同じだ」
セレネはまだ、差出人の名を見つめていた。
その横顔は、いつもの落ち着きの下に、別の重さを抱えていた。本部には父がいる。評議会で票を投じる、金の徽章の理事。娘の信じる目と、組合の決まりとのあいだで、父はどちらに立つのか。それは、現場の妨害とは違う、もっと近くてほどけない結び目だった。俺の目が試される場所は、セレネにとっては、父と向き合う場所でもあった。
召喚状の蝋の封が、卓の上で鈍く光っていた。
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