第119話 組合の不快
メルダートの丘の上に、白い建物が立っている。
鑑定士組合の本部だった。正面の広間には、石を彫った天秤の像がある。皿の高さがぴたりと揃った傾かぬ天秤。組合の正しさを形にしたものだった。その像の下を、徽章を提げた者たちが足音もなく行き来していた。
長老の間に、オズワルド・ケインが入ってきた。
金の徽章を提げた査定長は、いつもの自信をその朝は欠いていた。手にした書きつけを机に置く手が、わずかにこわばっていた。
「報告が、ございます」
オズは言った。
「グラナの男のことです。──追放された検品係の」
部屋の奥に、ひとりの老人が座っていた。
レーヴェ。組合の評議会の、最も古い席に着く者だった。六十を越えてなお背筋は伸びている。声を荒らげるところを、誰も見たことがない。静かな目だけが、相手の底をいつも見ていた。
◇
「聞いている」
レーヴェは書きつけを見もせずに言った。
「ダンスクの女と手を組んだそうだな。連合の信用の穴を二人で埋め始めている。──印を無効にしたはずの男が、いつのまにか連合の実利を握りつつある」
「左様で」
オズが身を乗り出した。
「あの男の印は組合が無効としました。なのに隊商の荷があの男の目を通り、連合じゅうへ流れ始めている。徽章を持たぬ者の目利きが、組合の検めを出し抜いている。──このままでは組合の権威が」
「権威の話を、するな」
レーヴェの声は低かった。
「お前は現場で四たびしくじった。印を無効にすれば客が離れると踏んだ。離れなかった。隣に検め所を置けば客を奪えると踏んだ。奪えなかった。無印の品は運ぶなと触れを出した。荷は運ばれた。──そのたびに組合の名で外れが出た」
オズが、口をつぐんだ。
「お前のやり方は、相手を強くするだけだ」
レーヴェは静かに続けた。
「妨害をするたびに、あの男の名が上がっていく。妨害された目利き。組合に追われた正しい目。──お前は敵に勲章を授けてきた。気づいているか」
オズの顔が青ざめた。図星だった。妨害の一つ一つが裏目に出ていた。それは本人が、いちばんよく知っていた。
査定長の地位は、組合のなかでも高い。徽章の等級を定め、検めの場を仕切る役だ。その役にある男が、追放した一介の検品係に、四たびしてやられた。表向きはまだ笑っていても、本部の廊下では、もう小さな噂が立ち始めていた。あの査定長は、追われた男に勝てぬ。口にこそ出さねど、若い徽章の目が、そう語る瞬間が、増えていた。オズには、それが何よりこたえていた。
◇
「では、どうせよと」
オズが絞り出すように言った。
「あの男を放っておけと。連合の実利を握られたまま」
「放ってはおかぬ」
レーヴェはゆっくりと立ち上がった。
窓の外に、連合の街々が霞んで見えた。その一つ一つに、いま、あの男の目を通った荷が流れ込んでいる。確かさという名の、新しい信用が。レーヴェの目には、それが組合の足元を静かに掘り崩す水のように映っていた。
「現場で潰すのは、やめだ」
レーヴェは言った。
「現場ではあの男が強い。品の話になればこちらが負ける。──だから品の話をさせぬ場所へ引きずり出す。組合の総意で。決まりと、票で」
「評議会、ですか」
「公開の検めだ」
レーヴェの声は、なめらかだった。
「組合の名であの男を本部へ呼ぶ。大勢の前でその目を試す。──品で勝っても、票で『認めぬ』と決まれば、印は無効のままだ。あの男がいくら正しくとも、正しさを決めるのは組合だ」
オズが息をのんだ。
現場の小細工とは桁が違う策だった。品の真贋ではなく、組合という器そのもので相手を覆い隠す。声を荒らげず、手も汚さず、ただ正しい顔で、相手の立つ場所を奪っていく。それが、この老人のやり方だった。
かつて連合をかき回した会頭は、欲で動いた。欲は熱を持つ。熱は読める。だからいずれ自滅した。レーヴェには、その熱がなかった。怒りも焦りも見せず、ただ古い秩序を守るためだけに、最も確かな手を選ぶ。憎しみで潰すのではない。仕組みで、相手の足元から、立つ場所そのものを抜いていく。熱を持たぬ者ほど、止めにくい。会頭よりも、はるかに、手強い相手だった。
◇
その場に、もう一人いた。
テオ・ハルクだった。銅の徽章を提げた、若い改革派。控えめに、けれど引かずにレーヴェの前へ進み出た。
「お言葉ですが」
テオは言った。
「あの者の目は本物です。徽章では読めぬものを現に読んでいる。組合がそれを敵と決めて潰すのは、組合の損ではありませんか。取り込み、組合の力とすべきでは」
「テオ」
レーヴェは若者を見た。咎める色はなかった。ただ哀れむような、冷たい色があった。
「お前は正しい。あの男の目は本物だ。──だが本物であればあるほど危うい。徽章を持たぬ目が本物だと認められれば、組合の徽章は何のためにある。長年、徽章で支えてきた秩序が、根から揺らぐ」
「秩序のために、本物を、潰すのですか」
「秩序が崩れれば」
レーヴェの声が、わずかに沈んだ。
「品の乱れどころではすまぬ。長く眠らせてきたものまで掘り起こされる。──正しさは一時の話だ。秩序は、積み上げた年月の話だ。私は年月の側に立つ」
テオは、それ以上、言葉を継げなかった。レーヴェの言葉の奥に、何か触れてはならぬものが沈んでいる気がした。けれど、それが何かは、若い徽章には、まだ見えなかった。
◇
長老の間を出たところで、テオは、ひとりの男と、すれ違った。
ロデリック理事だった。金の徽章を提げた、セレネの父。公開の検めの話を、隣の間で聞いていたらしい。その顔には、迷いの色が濃く出ていた。
「テオ殿」
ロデリックは低く言った。
「公開の検め……公正に行われるなら、よい。だが、あれが初めから潰すための芝居なら。──私は、それに票を投じたくない」
言い切って、ロデリックは足早に去っていった。
テオは、その背を見送った。板挟みの理事。組合の決まりと、娘の信じる目とのあいだで揺れている。その一票がどちらに転ぶか。それは、テオにも読めなかった。
夕の光が、長い影を石の床に落としていた。
白い建物の天秤の像は、傾かぬまま静かに皿を揃えていた。けれどその皿の上で、いま、見えない重りが、少しずつ片側へ傾き始めていた。
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