第118話 育てる目利き
最初の一人は、ドニだった。
塩の見方ならもう自分で外れを見分けられる。新しい品目を覚える地ならしも、できている。ヴィオラの隊商が運ぶ干し肉と革帯を、まずドニに視てもらう。それが最初の試みだった。
もう一人、ヴィオラが連れてきた。
名をルカといった。ダンスク隊商の若い荷あらためで、徽章は持っていない。けれど荷を扱う手は確かで、品の良し悪しを覚えたいと、ヴィオラに願い出たのだという。痩せた体に、目だけがやけに動く青年だった。
「この子は、覚えが早うございます」
ヴィオラがルカの肩を押した。
「ただ覚え方を間違えると、間違ったまま速く覚えます。──そこをレイ殿に正していただきたいのです」
「分かりました」
俺はうなずいた。
二人を前に、まず干し肉を並べた。良いものと傷んだもの。見た目はどちらも似ている。けれど内側が違う。俺はそれを言葉にしていった。
◇
「外から見ても、分からないんです」
俺は干し肉を裂いて見せた。
「大事なのは内側です。ここ。脂の通っているところに、灰色の濁りがあるか。傷んだ肉は外が乾いていても内側の脂が先に傷む。指で押すとしっとりしすぎている。乾いた肉は押し返してくる。傷んだ肉は指を吸い込む」
ドニが干し肉を押した。
「……ほんとだ。こっちは、指が沈む」
「それです」
「こっちは、押し返してくる」
「それが、良いほうです」
ルカも、おそるおそる押した。最初は分からないようだった。けれど三つ、四つと押すうちに、指の先の違いを覚えていった。良いほうと傷んだほうを、目をつぶって当てられるようになった。
「すごい。目じゃなくて、指で分かるんだ」
ルカが声を上げた。
「徽章は、かざすだけで等級が浮かびます。でも、こんなふうに、自分の指で確かめたのは、初めてだ」
「徽章は、楽です」
俺は言った。
「でも徽章は内側までは教えてくれない。等級と値打ちは浮かぶけど、その肉がこの先どうなるかは出ない。指と目で確かめるのは面倒です。でも面倒なぶん徽章より深いところが視える」
ルカは、何度もうなずいていた。覚えたことを忘れまいと、口の中で繰り返している。教え方の手応えが、俺の中にも返ってきた。
教えるのは、視るよりずっと難しかった。
自分の指がどこを見ているのか。それを言葉にしてみると、思っていたよりも曖昧だった。長いあいだ体で覚えてきたものを、ほどいて並べ直す。沈むか押し返すか。乾いているか湿っているか。一つずつ言葉にするたびに、俺自身が、自分の視方を確かめ直していた。教えることは、自分の目を磨くことでもあるらしかった。
◇
革帯のほうは、もっと難しかった。
なめしの甘さは、干し肉ほど分かりやすくない。色も艶もぱっと見では区別がつかない。曲げたときの戻り方。断ち口の繊維の詰まり方。いくつもの勘どころを合わせて見ないと分からない。
「最初は、当たらなくていいです」
俺は二人に言った。
「外せばいい。何度も外して、外したぶんだけ勘どころが体に入る。俺だって最初から視えたわけじゃない。検品場で何千枚も革を曲げてきた。曲げて、外して、また曲げて。そのうちに戻り方の違いが手に残るようになった」
ドニとルカは、何十枚も革帯を曲げた。
半分は当たり、半分は外した。けれど夕方になる頃にはひどい外れだけは二人ともはじけるようになっていた。一番ひどいなめしの甘い帯を、目をつぶって選り分けた。完璧ではない。けれど、ひどい外れは、もう通らない。
「七割でいいんでしたよね」
ルカが額の汗をぬぐった。
「全部は無理だって。でもひどい外れの七割をはじければ」
「それで、じゅうぶんです」
俺はうなずいた。
「残りの三割は俺やセレネがあとで視る。二人が入り口でひどいのをはじいてくれれば、俺一人で全部を抱えなくてよくなる。──それが目を増やすってことです」
◇
十日ほどして、最初の荷が動いた。
ヴィオラの隊商が、近場のひと街へ干し肉と革帯を運んだ。ドニとルカが、入り口で全数を視た。ひどい外れは、すべてはじいた。残りを、俺とセレネが、もう一度視た。二重の目を通った荷だけが、街へ出ていった。
返ってきたのは苦情ではなかった。
「外れが一つもなかった」
ヴィオラが、文を手に、ギルドへ駆け込んできた。
「ひと街ぶん、まるごと。傷んだ干し肉も甘い革帯も一枚もなかったと。──ダンスクの荷でこんな文をもらったのはいつ以来か。冬の事故からずっと苦情ばかりだったのに」
ヴィオラの声が、わずかに震えていた。
連合いちの大商人が、たった一街ぶんの外れのない荷に声を震わせていた。それだけ、この冬の事故が、深く刺さっていたのだろう。安く早くを誇ってきた人が、確かさの手応えを初めて知った顔をしていた。
たった一街だ。荷の数も知れている。連合の地図の上では点にもならない小ささだった。それでも外れのない荷がひと街を通ったという事実は、砕けた信用の上に置かれた最初の一石だった。小さくても確かな一石。そこから積み直すしかない。ヴィオラはそれを、誰よりもよく分かっていた。
「ダンスクとグラナの品が、また信じてもらえる」
ヴィオラは、文を胸に押し当てた。
「小さく、確かに。──ミレイユ殿の言ったとおりでした。一街から始めて、よかった」
◇
その夜、俺はドニとルカと、ささやかに祝った。
ルカは、自分が視た荷が、外れなしで通ったことを、何度も自慢した。徽章を持たない若い荷あらためが、徽章持ちにもできなかった仕事をした。その誇らしさは、見ていて気持ちがよかった。
「俺、もっと覚えたいです」
ルカが言った。
「塩も薬も。樽も木材も。レイさんみたいに、全部視られるように」
「全部は、無理だ」
俺は笑って言った。
「俺だって、全部は視られない。でも一つずつなら覚えられる。焦らず、一品ずつ。──そのうち、ルカが、別の誰かに、教える日が来る」
ルカが、目を丸くした。教わる側から、教える側へ。その考えは、ルカの中に、なかったようだった。
俺は、ふと思った。
ドニがいて、ルカがいる。二人が、また誰かに教える。その誰かが、また別の誰かに。一人の目が十の目になり、百の目になる。連合の各地に、外れをはじく目が立っていく。それは、追放された頃の俺には、想像もできない眺めだった。
遠いメルダートで、誰かが、その眺めを、苦々しく見ている気がした。
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