第111話 沢を秘して
ダンスク保証が連合じゅうで揺れているあいだも、グラナの暮らしは静かに回っていた。
いや、静かというより、潤っていた。
もとはと言えば北の坑道のおかげだった。
崩れた階層の向こうで見つけた、新しい鉄の筋。あれを月に何度か探りに行くのが、いつのまにかギルドの定まった仕事になっていた。トーロたちが見回りをして、危ない場所を避け、いい鉱石だけを運び出す。俺がその質を視て外れをはじく。良い鉄には良い値がつく。それがグラナの蔵を、少しずつ満たしていった。
ダンスク保証が外れを連発するなか、グラナの鉄だけは外れがなかった。
俺が一つずつ視ているからだ。表は良くて芯の悪い鉄を、俺は通さない。だからグラナの鉄は、買えば必ず当たる。連合じゅうが保証の焼き印に懲りたぶん、グラナの確かな鉄に、買い手が集まった。
皮肉なものだ、とミレイユは笑った。
「ヴィオラさんが、連合じゅうに不安をばらまいてくれたおかげで、うちの鉄が売れる。──礼を言いたいくらいよ。言わないけど」
ミレイユは帳面をめくった。
「見て。今月の蔵は、商会が幅を利かせてた頃の倍近い。定期探索の鉄。危険物の処理。よその街からの目利きの頼み。──どれも、地味な仕事よ。派手な大儲けはない。でも毎月きちんと積み上がる」
俺はその帳面を横からのぞいた。数字のことはよく分からない。けれど蔵が潤っているのは、ギルドの皆の顔を見れば分かった。給金が遅れない。冒険者が、安心して見回りに出られる。新しい道具も買える。
追放されたときの俺には、想像もつかない眺めだった。
あの頃の俺は、ただの検品係だった。良いものを良いと言い、外れを外れと言う。それだけで給金分は働いていると思っていた。今も、やっていることは変わらない。ただ視て、言うだけだ。なのにそれが、街一つを潤していた。
◇
その日も、俺はトーロとフィオナに同行した。
北の坑道は、回を重ねるごとに地図が詳しくなっていた。フィオナが羊皮紙に書き込んだ印が、もう坑道の隅々まで埋めていた。危ない床。良い筋。水のたまり。一度俺が視た危なさが、地図になって皆を守る。新しく入る冒険者も、その地図があれば迷わなかった。
崩れた階層の手前まで、俺たちは進んだ。
前に来たときより、瓦礫が片づいていた。トーロたちが少しずつ、道を通してきたのだ。たいまつの灯が、奥の闇をうっすらと照らした。
途中、俺は一度だけ足を止めた。床の一角が、妙に色が違った。
「そこ、踏まないでください」
俺は前を行くフィオナに言った。
「下が空洞です。落ちます。たぶん古い坑道の跡が、下を走ってる」
フィオナは素直に避けた。トーロが、危ない床に石を積んで印を置いた。俺は戦えない。剣も振れない。けれど、どこが危ないかは視える。それを伝えるだけで、皆が無事に奥へ進める。俺の仕事は、いつもそれだった。
「レイ。ここの石、ちょっと変だ」
トーロが、壁の一角を指した。
寡黙な男が、わざわざ呼ぶのは珍しかった。俺は近づいてその石を視た。
鉄ではなかった。鉄の筋に混じって、青みがかった石が細く走っていた。表面に、かすかな光の粒が散っている。鉄よりも、ずっと硬い。けれど砕けやすい癖がある。叩く向きを間違えれば、粉になる。正しい筋目で割れば、形を保ったまま取れる。
「……これは、珍しいですね」
俺はその石をしばらく視ていた。
「魔物よけの石です。少しだけど、魔物がこの石を嫌う。坑道の入り口に置けば、奥から出てくる魔物が近づきにくくなる。──こんなところに、混じっていたとは」
フィオナが目を丸くした。
「それ、高いんじゃないの」
「高いです。ただし、割り方を知らないと、ただの粉になる。徽章持ちでもこれを無傷で取り出すのは難しい。筋目が、外からは見えませんから」
俺は割れる向きを指で示した。トーロがその通りに鏨を当てた。石はきれいに形を保ったまま、壁から離れた。
青く光る、ひとかけら。
もし力任せに掘っていたら、粉になっていただろう。徽章は、石の等級は読む。けれどどの向きに割れば形が残るかは読まない。それは石の内側の筋目を視て、初めて分かることだった。種もみの芯と、同じだった。表からは見えない、内側の理。
グラナにまた一つ、新しい宝が増えた。
「これ一つで、見回り何度ぶんかしらね」
フィオナが、青い石を灯にかざした。
「魔物よけなら、よその坑道も欲しがるわ。高く売れる。──でもあんまり出回らせると、出どころを探られるか」
鋭いところを突く、と俺は思った。フィオナは剣だけの女ではなかった。
◇
坑道を出るとフィオナが声をひそめた。
「ねえ。この鉄も、魔物よけの石も、出どころはどう言うの」
俺は少し考えた。
北の坑道のことは、できるだけ伏せていた。良い鉱脈の在りかが知れれば、よからぬ者が群がる。商会のときも、亀の沢の鉱脈を狙われかけた。だから出どころは、ずっと秘密にしてきた。
「東の山、ということにしてあります」
俺はそう答えた。
「亀の沢のときと、同じです。本当の在りかは言わない。買い手には『東の山で採れた』と伝える。あそこは岩が多くて、誰も本気で探さない。囮には、ちょうどいい」
亀の沢のなまくら石も、北の鉄も、魔物よけの石も。本当の出どころは、グラナの内だけで握っていた。表に出すのは東の山の名だけ。
フィオナは感心したように口をすぼめた。
「あんた、品を視るのは正直なのに、そういうとこは抜け目ないわね」
「正直に在りかまで言ったら、また誰かに掘り荒らされます。品に正直なのと、宝の在りかを守るのは、別の話です」
フィオナは声を立てて笑った。
◇
その夜。ギルドの蔵に青く光る石をしまいながら、俺はふと崩れた階層の奥を思った。
瓦礫の向こうに、まだ闇が続いていた。トーロの話では、その先に古い石組みの扉のようなものが見えるという。誰が、何のために作ったのか。奥に何があるのか。まだ、分からなかった。
近づくには瓦礫が多すぎた。
けれどいつか、あの扉の向こうを視る日が来る気がした。北の鉄も、魔物よけの石も、その入り口にすぎないのかもしれない。
グラナの蔵は、潤っている。連合は、保証の焼き印で揺れている。組合は、評議の間で割れている。
その全部が、どこかでつながっていく予感がした。
扉の向こうの闇を思いながら俺は灯を消した。明日もまた品を視る一日が始まる。それだけは、何があっても変わらなかった。
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