徳内の道東探訪
道東・道北の開発はまだ先ですが、徳内のこの探訪により知識の蓄積がなされました
春、徳内はアイヌの案内人と奉行所の使用人とともに根室を目指して出発した
釧路から根室の旅程では、霧に悩まされた
深い霧で獣道に踏み込むのは、死を意味した
いきおい海岸線の道を歩むことが多くなった
徳内は、箱館から始まった道路端に柱を建てる整備の必要性を感じた
意外だったのは、ジャガイモ栽培が思ったより広がっていた事だ
採集狩猟文化と思われていたアイヌにも、徐々に農業が浸透しつつあった
根室では、ロシアの物産が思いの外流入していた
徳内は、抜け荷の証拠とは書かず、「ロシアの品多し」とのみ記した
犯人探しより、実情把握を優先したからだ
道東から道北にかけては、松前藩の影響が最後まで残った地域であり
和人に対する反感も強かった
根室湾の魚介類の豊富さにも驚かされた
それ以上に徳内の興味を引いたのは、アカエゾマツの巨木林だった
しかし、切り出すには地元のアイヌとの交渉に加え、輸送経路の確保が必要だった
網走周辺では、アイヌ以外の民族がいる事を確認した
自身をウィルタと称し、アイヌからはオロッコと呼ばれていた
この民族も、昔から大陸との交易があったのを知った
徳内は冬には凍りつく海も、障壁にはなり得ぬことを再認識した
春から秋にかけて、出発からだと一年以上をかけた探検調査を終え
稚内から船に乗って小樽に戻った
その頃間宮林蔵が、樺太に渡っている事
まして、それが世界的発見につながる事など知る由もなかった
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