遺跡荒らしと遺跡守の少女 2
翌朝――。
ホテルの洗面台にある鏡の前に立った僕は、冷たい水で顔を洗い、いつも通り、長い髪をゆるく編んで身支度を整えると、昨日と同じ場所で軽い朝食をとった。
一旦、部屋まで戻った僕は、色々と詰め込んだバッグの中から頭巾を取り出し、頭にかぶって輪っかで押さえた。これから向かう場所は砂漠地帯だ。頭の防護は欠かせない。若い内から頭皮にダメージを与えて、ハゲる心配などしたくはなかった。
階下でディーと落ち合うと、チェックアウトを済ませた僕たちは、駅へと向かった。
「エリアス、こっちだ」
駅の改札で、馬車の手配を終えたディーが、片手をあげて呼んでいる。
僕は早朝にもかかわらず、すでに沢山の人でごった返す駅の構内を、ディーめがけて突き進んだ。
僕はディーに会ってから、全ての手配を彼に任せていた。
恥ずかしい話、僕はこうしたときでもないと、あの研究室の机から、ほとんど動かない。家と研究室の往復ぐらいしか移動しないので、こういう場所での勝手が、実のところよくわからないのだ。いくらハル先輩を迎えに行くためとはいえ、毎回、案内役として、ディーを寄越してくれるレイバン室長の厚意には、心から感謝している。おかげで、慣れない移動に四苦八苦せずに済んでいた。
人ごみをかき分けて、ディーの元へとたどり着いた僕は、馬車を待つ間、駅構内を見ていた。案内板には、馬車の種類と料金表が書かれている。サン・ヴァルファレナでは、人目に付きやすい場所に料金を掲示するのは無粋だとして、大っぴらに掲げることはしないのだけど、ここでは違った。実際、ああして見てみると、分かりやすく表示しておいてくれた方が利用者としては安心できる。
案内板には“砂アザラシ”、“砂イルカ”、“砂クジラ”と書かれ、その横に金額が記されていた。用途や払える金額で、利用する馬車が異なる。僕たちが今回利用するのは、最もよく使われている“砂アザラシ”の軽馬車だ。朝の移動で賑わう今も、砂アザラシの馬車を仕立ててもらっている人が大半だった。
「……あれ?」
僕は視界をよぎった違和感に、数回、目をしばたたかせた。明らかに、この風景にそぐわない人たちが混じっている。肌の色から、それがカレトヴルッフの国の人だとわかった。
「あれって、騎士団の方ですよね? 何かあったのかな……」
僕の指し示した方を見て、ディーが「ああ」と声をあげた。
「そういや新聞に出てたな……未登録の砂ザメが乗り捨ててあったやつだろ? 砂アザラシが何頭か食われたらしくて、大騒ぎになってるやつ」
僕は、ディーが新聞を読んでいるという事実に、多少なりとも驚いた。
「新聞なんて読むんですね」
「見てると色々、面白いからな」ディーが口の端を持ち上げる。
「あんたは読まないのか?」と訊かれ、僕は軽く咳ばらいをした。
「未登録の砂ザメって……確かあれって、カレトヴルッフの騎士団でしか使わないはずですよね?」
「らしいな。それで、乗り捨てた奴がいるはずだってんで、騎士団とか自警団とかが、持ち主を捜してウロウロしてるらしい」
「へえ……」
ディーとそんな話をしていたら、頼んでいた馬車が、僕たちの目の前で停まった。
用意された馬車は二輪の軽馬車で、これを引くのは馬ではなく、砂アザラシだ。
僕は馬車のステップに足を駆け、そこであることを思い出し、慌ててバッグから魔石をひとつ取り出した。
「酔い止めか?」
「ええ。地面を行く馬車は酔わないんですけど、砂海の馬車はちょっと苦手で……あ、もう一つありますけど、使います?」
「いや、俺は大丈夫」
僕の申し出を、ディーはやんわり断った。あの揺れを、酔い止めなしで乗り切れるなんて――僕は若干、羨望の念を抱きつつ、取り出した魔石を耳に押し当てた。
解放の言葉を紡ぐと、魔石が反応して淡く光る。
魔石からあふれた力が、僕の耳を通って胸元までを覆った。
これで準備完了だ。僕は改めて馬車のステップに足をかけると、馬車に乗り込み、その座席に腰を下ろした。
隣にディーが座り、御者台に座った男が砂アザラシに合図を送って馬車を動かす。最初に大きく揺れたけど、馬車は砂海の砂に乗り、砂塵を巻き上げ軽快に進んだ。
砂ぼこりよけに、油引きした革製のカーテンが引いてあったけど、それでも全てを防ぎきれるものではない。僕は頭にかぶった頭巾の端で、口許を覆った。見れば、隣に座ったディーも、いつの間にか布を取りだし、同じようにしている。
「そう言えば……」
周りの景色が砂地ばかりで、代わり映えしなくなってきた頃、隣に座ったディーが口を開いた。
「これまで訊いたことなかったけど、エリアスは王城で働いてるんだろ? やっぱり魔楽師なのか?」
僕はその問いに、首を振って答えた。
「いいえ、違います。残念ながら魔楽器が発現しなかったので……」
サン・ヴァルファレナは魔楽国だ。魔術を音楽でもって体系化し、魔楽器を奏でることでその恩恵にあずかる。しかし、魔楽器自体を発現させる人は限られていて、同じ家庭内でも魔楽師になれる者と、そうでない者とがいる。魔楽器を扱える者は、大体十歳くらいまでに何かしらの魔楽器を発現させるのだけど、残念ながら、僕は発現しなかった。なので、魔楽師になることは早々に諦め、魔譜を研究する道に進んだのだ。
「普段は、魔譜の研究をしているんですよ」
“魔譜の研究”とひとくちに言っても、その分野は多岐にわたる。僕は新しいものを生み出すより、古いものを眺めている方が好きなので、もっぱら発見・発掘された魔譜の解読に勤しんでいる。今回、喜び勇んで出かけていったきり、なんの連絡も寄越さないハル先輩も、古いもの好きという点では、僕と似たようなものだった。違うのは、僕がデスクワークが好きなのに対し、ハル先輩はフィールドワークが好き、ということだろうか。
「ふーん」
「そう言う、ディーはどうなんです?」
「どうって?」
「魔楽師なんですか?」
「さて、どうだろな」
僕が訊くと、ディーはにやりと笑ってみせた。
「人に訊いておいて、自分はそれですか……」
僕がじとりと睨んでやったら、ディーは笑って話題を変えた。
「魔譜っていえば、ずいぶん便利になったよな。さっきの魔石……魔楽が込められているんだろ?」
ディーのあからさまな話題転換に、僕は乗ってあげることにした。
「ええ。その技術はカレトヴルッフのものですね。魔楽師が弾いて発現させる効果を、石の中に封じ込めて、いつでも使えるようにしたんですよね」
魔石を編み出したカレトヴルッフの技師は、「直感で使えない道具は、道具じゃない」と言ってはばからない人で、そのおかげで、魔楽師でもない人が、その恩恵に手軽にあずかれるようになった。
魔石を手に持ち、購入したときに付いてくる説明書に従ってキーワードを紡ぐと、石に封じられた魔楽が発動し、効果を得られる。
ディーがにこりと笑った。
「おかげで楽になったよな。なにかと世話になってる」
「僕もです」
話はそこで終わり、自然と外に視線が向かった。
風が強いのか、馬車のせいだけではない巻き上げられた砂塵が、辺りを茶色く染め上げていた。
次回の更新は、明日4/24㈬の予定です。