08.ハッキングだったんでしょうか
人声が入り乱れる休憩室の片隅で、円香は箸に挟んだミニトマトをぽとりと落とした。
「え、それで過去の取引先データ渡しちゃったんですか?」
正面に座る奏多はバツが悪そうにはにかんだ。
円香はおそるおそる、隣の昇を見上げる。佐伯煙火店の関係者が疑われているようで気が気ではなかった。
「構わないんじゃないかな。うちに帳簿が残ってたら、里中さんの手を煩わせずに俺から提供してたと思う」
「そうそう。上も『警察に協力しないほうが怪しい』って、早く渡せって態度だった」
刑事との〝圧迫面接〟が終わり、奏多はのんびりとそう言った。
円香はもう一度ミニトマトを摘まみ上げて口の中に放り込む。一人だけ納得がいっていない。なんとも言えない不安が体内に滞留しているのだ。
奏多は緩い笑みを作ると、言って聞かせた。
「それにな、山岸さん」
「は、はい」
「取引先に事情聴取をしているあいだは、こっちに干渉してこないって。
そうしたら、警察に煩わされずに作業を進められるだろう? 今は踏ん張り時なんだから」
一拍置いてから、円香は一理あると思った。なるほど、警察避けでもあったのか。
だけど奏多の言葉は、優しいはずなのに、なかなか脳にも心にも浸透してくれない。
笑顔を作ろうとしても、表情筋がひきつってしまう。
そんな円香の姿に、昇と奏多は不思議そうに顔を見合わせた。
「円香さんは、何がそんなに気になるの?」
昇に問われると、円香は眼鏡の下、昇と奏多に交互に視線を送った。
ミニトマトを嚥下すると、箸を置いて、膝の上で軽く拳を握る。
「私のパソコン」
「あぁ。警察に押収された……それで?」
昇が先を促すと、円香は居心地悪そうに奏多を見つめた。
「なんだ、どうした? 別に備品のパソコン一台くらい、壊れても山岸さんが気にすることじゃないよ?」
「そうじゃないです」
奏多にはまだ言っていないことがある。
「私のパソコン、爆発の直前に制御不能になったんです」
途端、奏多の顔が強張った。
「……え?」
「真っ暗になりました。たぶん……」
「まさか、ハッキングされてたのか!?」
「わかりません!」
勢いのある奏多の声に、円香は反射的に答えた。肩がきゅっと縮こまってしまう。
「あの日は、パソコンと点火装置は繋いでませんでした。当たり前です。そんなの、会場以外で繋いだりしません。
里中先輩から教えていただきましたし、親方からも、職人さんたちからも、口を酸っぱくして聞かされました」
前傾姿勢になった奏多は、ホッとしたように座り直した。
「それでも、パソコンは弄られてた、か」
手で口元を押さえながら独り言ちると、奏多の顔がますます険しくなった。
「まずいな……」
「へ?」
あまりにも深刻な様子に、呆けた声が漏れる。
「ハッキングされてたとしたら、点火装置に繋いでなかったと主張しても、警察も納得してくれない場合もあるんじゃないか?」
奏多は手の下で皮肉な笑みを浮かべている。
「それに、うちの会社のセキュリティ問題にもなる」
「あ……」
事の重大さに気づき、円香の顔から血の気が引いていく。指先も冷たく強張ってしまう。ふるふると唇が震え始めた。
「ど、ど、どうしましょう。私、報告してないです。爆発でいっぱいいっぱいだったし、押収されちゃったから、ハッキングの可能性、報告してない。
……始末書ですか、懲戒ですか、え、まさか、クビ!?」
頭を抱え、一人でもんどりうち始めた円香に、昇と奏多は揃ってプッと吹き出す。
「笑わないでください! 私、どうしたらいいんですか!?」
「ていうか、気にするのそこ?」
昇が肩を震わせる。
「ですよねぇ」
奏多も俯いて笑いを堪えている。
「私にとっては大問題ですよ! 不始末を起こしたなんて、次の就職先どうしたらいいんですかぁ」
「いやいや、山岸さんの問題じゃないから。そんな心配しなくていいって。
それより気になるのは……」
奏多がちょいちょいと手を振って前屈みになると、二人も釣られて頭を寄せた。
「もしそれが爆発に関わっているなら、事件性ありってことだよな?」
円香はバッと昇のほうに顔を向ける。
「もしかして、私がハッキングとか言っちゃったから、警察はあんなに執拗に捜査を?」
数秒おいてから、奏多は首を縦に振った。
円香は両手で額を覆うように掴んだ。
疑いが向くように仕向けたのは、自分だったのか。突発的に勢い任せになってしまう自分が恨めしい。
「実際にサイバー攻撃なんてのは、しょっちゅう受けてるからな」
真剣な声音に、円香もぐっと顎を引く。
「だけど固有のパソコンが狙われて、しかも意図的に操作したとなると、かなり優秀なハッカーだと思う」
意図的、優秀なハッカー。断片的なワードが、円香の頭蓋の表面をカリカリと引っ掻く。何か思い当たることはないだろうか。
「……誰がなんのために?」
円香が呟くように問うと、奏多は渋い表情で頭を振った。
「わからない。佐伯煙火店にそんなに恨みを持って、そこまでのスキルを持つ人なんて……」
「あの。もしハッカーがいたとして、その人に依頼をしたとかは……」
昇が弱々しく呈した疑問に、
「ありえます」
と、エンジニアの二人は同時に答えた。
だが円香は、
「けど可能性は低いと思います」
と続ける。
「有能なハッカーなんて、どこで、いくらで雇えばいいのか、普通わかります?
ハッカーって悪い人だけじゃないんです。セキュリティを専門に扱う、悪用対策をする人もいるんです。けど、そんな人が犯罪の片棒を担ぐとは……」
「山岸さんの意見も頷ける」
昇はやるせなさそうに、二人から顔を逸らした。
「そうですよね。それに、うちの工場を爆発したところで、いったい何になるんだか」
目を細め、休憩室で談笑する職人たちを順番に見つめていく。
「花火師たちは、ほとんどが高齢者。技術はたしかなので、うちがなくなっても、人によっては再就職口を見つけられるでしょうけど……」
蛍光灯の白い光の下なのに、昇の顔は暗い影を落とした。
「一番大変なのは俺だな。親方といっても、みんなが支えてくれてるから、この椅子にふんぞり返っているようなもんで、たった三年の若造」
「そんな!」
あまりに自虐的な昇に、円香は声を上げた。
「親方はちゃんと親方です! いつもみんなを引っ張ってくれて、元気を分けてくれます。
皆さん言ってましたよ。最初はどうなるかと思ったけど、親父さんに似てカリスマ性があるって。爆発の時も、いの一番に動いてくれたおかげで、私も皆さんもピンピンしてるんです!」
円香は胸の前で両拳を握って励ました。
「なあ、山岸さん」
「はい!」
「最初はどうなるか……って、それ本人に聞かせる話じゃないぞ」
「はっ!」
円香はパッと両手を開いて、慌てて左右に振り始めた。
「そんなつもりじゃないんです。えっと、本当に、皆さん、代替わりしても安心できるって。そういう意味です!」
顔を上気させて慌てる円香に、昇は自嘲を込めた笑みを崩すと、頭をガシガシと掻きむしった。
「いいんだよ。最初はそりゃあ何にもわからない小僧だったからな。
それは里中さんも知ってることだし」
奏多は水を向けられ、「お互いにね」と苦笑交じりに返した。
「だけど、花火大会が終わったら、俺もまたサラリーマンに逆戻りだ。ブランクが怖いよ」
「え……」
「円香さんは、本社に戻るのかな」
佐伯煙火店への出向は三年を予定していた。一時的にここを使っているけれど、その先はどうなるのか。あの焼け跡で復興なんて容易くできるわけない。
暗い不安が這いあがってきそうだ。
「そうなるかもしれません。でも、今は突き進むのみですよ」
振り払いたくて、エイヤッと宙にパンチを繰り出した。
それからというもの、奏多の言った通りしばらく警察が訪ねてくることはなくなった。
ただし、「ハッキングの報告漏れは、しばらく俺のほうで預かる」と言われ、円香は罪悪感に苛まれながらも渋々と従った。
これ以上、何も起こってほしくない。
作業自体は円滑に進み、あとは乾燥の工程を繰り返すのみ。
花火大会まで、あと二週間――




