02.私たちが調べます
「何も、残ってない」
工場の前で、円香は呆然と立ちつくしてしまった。爆発から三日後のことだ。
建物は損壊して雨ざらしになっており、至る所が黒ずんでいる。
作業場も、倉庫も、休憩所も。辛うじて〝無事〟といえるのは、コンクリートで固められた地面だが、それも所々ひび割れている。
慣れ親しんだ火薬に化合物の焼けた匂いが混ざり合い、鼻が曲がりそうだ。
一年かけて積み上げてきたものが塗り替えられてしまった。目の前の風景が霞んでいく。
これだけの爆発で死者が出なかったことが奇跡だ。
「円香さん、怪我の容態は?」
「親方!?」
他に人がいるなんて気づかなかった。離れたところから声を掛けられ、ハッとそちらを見やる。
親方の昇はスーツ姿の男性二人と話しているようだった。
男性たちがギロリと円香を捉える。ヒクッと胃が収縮するが、昇は安心させるようにちょいちょいと手招きした。
火災捜査担当の刑事さん、と紹介を受け、胸の中に暗い澱みが生じてしまう。
「円香さん、爆発が起こる前に何かあったみたいだけど……」
昇に水を向けられ、円香は渋々と口を開いた。
検査入院中にも聞かれたことをブツブツと繰り返す。
「パソコンが急にエラーで真っ暗になったんです。
けど、あの日はただシミュレーション映像を見るだけで、点火装置には繋いでいませんでした。そんな危ないこと、うかつにやったりしませんよ」
何度も話したせいで流暢に、だけど投げやりになってしまう。
「ほぉ……。そういや、なんで花火にパソコンがいるんだ?」
チリチリとした苛立ちが募る。円香は視線を落としつつ、早口になって答えた。
「音楽に合わせた花火とか見たことありませんか? ああいうのは、制御ソフトで管理してタイミングをはかるんです」
刑事たちは顔を見合わせ、喉の奥を唸らせたり、顎を撫でたり。明らかに納得いっていない。その慇懃な態度に、円香はがばりと顔を上げた。
「押収されたパソコンは復旧できそうなんですか?」
「今、専門の部署がやっている」
「……ちなみに、そのパソコンいつ返してもらえるんですか? 花火大会まで、もう一か月を切ってるんですよ!」
徐々に声高になる円香の肩に、昇がぽんと手を置いた。
「円香さん、出場は無理だよ」
「え……」
昇はやるせなさそうに焼け崩れた工場に視線を送った。
立ち入るだけでも危険な状況に、円香はこれが現実なのだと突きつけられる。
「……作業、できない……?」
「材料だってみんな燃えてる。
俺の代で暖簾を下ろすことになる……な」
円香はへなへなとその場にくずおれた。道路の砂利が手足に食い込むけれど、それよりも体の奥、芯のほうが、ずっと突き刺さるように痛い。
「そ、そんな……」
感情がごちゃ混ぜになる。顔中の筋肉が収縮して、熱いものが目頭に集まり、新調した眼鏡が水滴で滲んだ。
「じゃあ、みんなが一年がんばってきたのは。新しい花火で観覧する人たちをアッと言わせよう。そう、意気込んでたじゃないですか」
答えを持つ者などいない。風が吹き、工場から立ち昇る悪臭が強くなった。
「お、親方ぁ……」
「円香さん、少し落ち着こう」
昇は膝をついて、なだめるように円香と目を合わせた。
その瞳には、円香の無様な姿と、ひときわ熱い何かが映っていた。
円香の両肩にかかる手は小刻みに震えている。
そうか。きっと一番悔しいのは、親方なんだ。自分が泣いてばかりいられない。
ぐっと奥歯を噛みしめた。
ゆるゆると深呼吸をして、思考を巡らせる。
今から一か月で、本当に何もできないのだろうか。花火大会を成功させて、佐伯煙火店を守るプランは……。
「この状況だ。花火を扱うには専門の場所も、材料もいる。
たとえ材料が今から手に入ったところで、工程を考えれば間に合わないことは――」
「場所!」
円香は聞く耳を持たず、声を上げた。
「場所ならあります! うちの会社が持ってる工場に、火薬類を扱えるところがあったはずです!」
拍子抜けしたように、親方は上体を反らした。
「聞いてなかったのか、それでも一か月で間に合うか」
「親方はそれでいいんですか!」
「…………」
「いいわけ、ないですよね」
押し黙った昇に、円香はゆっくりと問い詰める。
この一年、若い昇がどれだけ苦心していたかは知っている。
円香ほどではないが、熟練の花火師たちに若輩者扱いされていた。
それでも、
「佐伯煙火店の伝統を受け継ぎながら、新しい花火を夜空いっぱいに咲かせたい」
と、何度も夢見心地で話していた。
その熱に浮かされた様子に胸を打たれたからこそ、円香だって踏ん張れたのだ。
昇はしばし逡巡し、やがて真っ直ぐに刑事たちを見上げた。
「制御ソフトの入ったパソコンは、いつ返してもらえるんですか?」
「事故か過失か故意か、少なくとも無関係だとわかるまでは無理だな。
一か月なんて保証できん」
刑事のぞんざいな発言に、昇は顔を曇らせる。
「それじゃ、遅すぎる」
「だ、大丈夫です」
だが、円香は涙声でズズッと鼻を啜った。
「既に一回組んだプログラムです。ソフトだって特別なものじゃありません。
別のパソコンで、もう一度組み直せばいいんです」
「できるのか?」
ぐしゃぐしゃの顔で、コクコクと頷いた。
二人のあいだに、一種の結託感のようなものが芽生え始める。
しかし、
「あのねぇお二人さん」
咳払いと共に、刑事が身を乗り出す。二人の頭上に影がさした。
「過失なら佐伯煙火店さんの責任。もしも故意なら――」
続く言葉に、円香も昇も目を見開いた。
「二人から、いや、ここの従業員や関係者全員から話を聞くことになる。あんたらも、容疑者候補だ」
予想だにしなかった言葉に、唖然とした顔のまま、円香と昇は示し合わせたようにのろのろと首を動かし、顔を見合わせる。
「容疑者?」
どちらともなく、いや、昇が代表するかのように呟いた。
「そうだ。あんたたちが当日や最近何をしてたか、現場検証が終わったら、みっちり聞かせてもらうことになる。
ここは職人も出入りの業者も多いんだろ? ったく、こっちだってやってらんねぇよ」
後ろ髪を掻く刑事を尻目に、円香の脳の回路は高速で連動を始める。
「だったら……だったら、私たちで調べたほうが早いです!」
「はぁ?」
刑事は手を止めて、剣呑に円香を見下ろした。
眼鏡を外してゴシゴシと顔を擦ると、掛け直して毅然と睨みつけた。
「作業場に元々何があって、何がおかしかったのか、刑事さんたちより、私たちのほうがよく知ってます!
それに、私のパソコンは花火になんて繋がってませんでした、絶対。
ですよね、親方!」
「あ、あぁ……」
「そうは言うがな、証拠なんかないだろ」
「私たちが見つければいいんです。本当に花火に着火されたのか、そうじゃない火元かなんて、刑事さんにわかるんですか!」
「……言ってくれるな、嬢ちゃん」
頬を引きつらせながら、刑事はさらに凄みをきかせる。
心臓はバクバクうるさいが、それでも円香は微動だにしなかった。
この一年、職人たちの怒声にも罵声にも耐えてきたのだ。
ここで引いたら、自分の一年だって燃えカスとなってしまう。
「爆発した原因を突き止めて、一か月後の花火大会に間に合わせます。
ね、親方! いいでしょう!」
昇の口がぽかんと開いてしまう。だが、俯いてじっと考え始めた。
数秒、十数秒。
さすがに親方の反対を押し切るのも気が引ける。イエスと言ってほしい。
顔を上げ、立ち上がった昇は拳を握り、前腕をぐっと円香に差し出した。
それに歓喜した円香も同じように腕を出す。両者の腕が重なった。
「ああ。やってやろう」




