01.花火が爆発するなんて
空気の中を舞う粒子が、反射する眼鏡に張り付いていく。
それを拭うこともせず、山岸円香はエンターキーを押した。
ふぅっと大きく呼吸をすると、火薬の匂いが鼻腔をくすぐる。すっかり慣れてしまった匂い。肺の奥まで沁みわたり、火が灯るように体中が熱くなる。
作務衣の袖で額を拭うと、勢いよく振り返って端正な顔の男性に親指を立てる。
この佐伯煙火店の若い親方・佐伯昇も、よくやったと言わんばかりに頷いた。
途端、昼休憩のチャイムが鳴り響いた。
都心のオフィスビルから、花火制作を手掛けるこの工場に出向して約一年。
来月に迫った花火大会の準備も大詰めだ。
「おう、円香ちゃん、良い感じかい?」
親方と別れて休憩所に着くと、作務衣の職人がコンビニ弁当につけていた箸を軽く上げる。
円香は首をすくめるように頷き、冷蔵庫から自分のお弁当を取り出した。
椅子と椅子がぶつかり合う窮屈な休憩所は、職人たちの謎のお土産や出入りの業者の名入れカレンダーや文房具、そんなもので雑然としている。
高い位置に取り付けられたテレビからは、ブツ切れのお昼のニュースが流れていた。
……今年も猛暑が続くでしょう、闇バイトで強盗を請け負った十七歳の少年が……、……によるハッキング被害での情報漏えいは、……市の水害における避難生活者は……、……の花火大会は混雑が予想され、……爆発予告によるテロの恐れが……。
職人たちの大きい声のほうが室内を埋め尽くしている。それ程までに、今のこの職場は活気に満ちていた。
汗と火薬の匂いにこんもりと包まれる中、空席に着くと円香は照れくさそうに、だけど負けじと声を張った。
「休憩が終わったら、皆さんにシミュレーション映像を見てもらおうと思ってます」
一気に男気あふれる歓声が上がる。
円香は眼鏡越しに、遠くのカレンダーに記された翌月のマル印を見つめた。
思い返せば一年前はこんなに溶け込めていなかった。
エンジニアなのに煙火店への出向が決まり、「小娘は邪魔だ」「何もわかってない」と罵られるばかり。それでも耐え続けてきた。
「花火大会、たくさん見てくれるといいなぁ」
少し焦げ目のついた卵焼きが、いつもより甘く感じられた。
◇
「じゃあ、いきますよ」
昼休憩後、円香は作業場の壁をモニター代わりに、パソコンを操作し始めた。
昨今の打ち上げ花火は、演出をパソコンで管理していることも多い。デザインだって、画面上で仮組みをしつつ、職人たちが実物に落とし込んでいくこともある。
円香のようなエンジニアは、花火師たちの生命線といった側面もあるのだ。
逸る気持ちが抑えきれず、高速ピアノを弾くような流麗なタイピングで操作を進めていくと、
「え……」
一瞬、喉の奥が詰まったような音が漏れる。
「な、なに。どういうこと……」
操作がまったく利かない。勝手に上書きされていく。
「なにこれ? ……ハッキング……まさか? え、なんで!」
下から這い上がるように黒い帯が広がっていき、あっという間に画面は真っ黒になった。
ピー、ピー、ピー……聞いたことのないエラー音が工場内に鋭く反響する。
指が固まって動かない。
職人たちの不安そうな視線が円香に注がれる。
画面はすぐさま切り替わった。
赤い文字で、何かが表示された。
ハッと前のめりになり、しかしそれを確認する前に――
脳髄まで割れそうな爆発音。高温の爆風が背後から襲い掛かってきた。吹き飛ばされ、あちこちから悲鳴が上がり、固い床に倒れ伏す。
瞬く間に色とりどりの煙が作業場を支配した。
円香は指の先をピクリと動かした。動ける。でも体のどこかが痛い。喉と肺がざらついている。眼鏡はどこだ。這いつくばって手を伸ばすと、コツンと細いフレームが当たった。安堵。しかしバキバキに折れ曲がっていた。それでも習慣なのか、耳に掛けようとして……ぬるりと、赤い液体が手に滴り落ちた。
頭。怪我。出血――?
遠のいていく意識に、
「外へ出ろぉぉぉ!!」
煙幕の中から、息も絶え絶えの怒声が鼓膜を震わせた。
本能的に肩が跳ね、円香は立ち上がろうとする。
「全員立つなぁ! 伏せたまま、煙を吸うなぁ!」
親方だ。いち早く状況を掴んで指示しているのだろう。
その声も、まだまだ続く爆発音に掻き消されそうになる。
円香は両手両足に力を込め、ぐっと低い位置で親方の声のほうを目指そうとする。
膝に何かが当たった。
円香のノートパソコンだ。
これだけは持ち出さなければいけない。
そう直感して、胸に抱きかかえる。
なんとか外に出るも、そこで膝を折ることになる。
ぼやけた視界の向こうでは、作業場から倉庫へと火の手が移り、空を黒煙に染めていた。
「ボケッとするな! まずは敷地内から出ろ!!」
親方の声でガクガク震える足を必死に動かす。
職人たちも気が動転しているのか、怪我をしているのか、どこかふらついている。
だけど、みんな一緒だ。一緒に逃げている。それだけが、この瞬間に実感できる現実だった。
くらくらする頭が、一瞬真っ黒になりかける。
パソコンも真っ暗になった。
異常な動きをした。
導火線なんて繋いでいなかったのに。
ただの、シミュレーションだったはずなのに……。
「ようやく、花火大会に、こぎつけたと思ったのに……」




