19.犯人、確保しました……
花火置き場では、数名の制服警官が目を光らせていた。
聞くところによると、昨日の搬入以降、佐伯煙火店の花火置き場に近付く人は誰もいなかったという。
「装置も確認させてもらっていいですか?」
円香は断りを入れて花火の配線を確認した。たしかに設置通りだ。問題なし。
「里中先輩も見ます? 私より経験があるんだから、異常がないかダブルチェックお願いします」
水を向けられると、奏多は特にためらう素振りも見せず確認作業を行なった。
「うん。問題ない。トラブル続きだったのに頑張ったね」
「……ありがとうございます」
円香は曖昧な表情で微笑む。
もう、何も起こす気はないのだろうか。それならば、それでいい。
だけど本番までに、なんとしても犯人をあぶり出したい。
妨害がないという確証もなければ、あの人だと糾弾するたしかな証拠もないのだから。
鼻から深く息を吸い込み、静かに気合を込める。
ポタリ、と汗が額から顎を伝って地面に落ちた。外気は暑いのに、脳の奥は冷たく冴えわたっていた。
眼鏡の奥が鋭くなった円香の姿に、奏多は一瞬だけ警察官を見やると、苦言を呈した。
「山岸さん、まさかここで見張るつもりじゃないよね?
さすがにこの炎天下の中じゃあ、持たないよ」
だが、円香の腹は決まっていた。
◇
まだ陽が高いうちから、会場には席を取る人たちが集まり始める。
円香はその様子を花火置き場の側から、遠巻きに眺めていた。
大きなブルーシートを広げたり、ベンチに荷物を置いたりする人たち。
屋台も始まり、浴衣や甚平で着飾った人が日常とは違う特別感を彩っている。
夕焼け放送が河川敷を駆け抜けると、入れ替わるように音楽が流れだした。
――祭りだ。
普段の円香なら、向こう側。
浴衣を選んで、ネットで帯の結び方を確認して。うまく着付けられなくても、それはそれで楽しい〝非日常〟。
主役は花火。作り手のことなんて、観客たちは想像だにしないだろう。
円香だって、このハレの日の裏側なんて知る由もなかった。だけど、一年かけて花火大会は〝日常〟になった。
どうして犯人が出場を阻止しようとしたのか、その胸中を思うと苦いものが込み上げてくる。
「だけど、絶対に花を咲かせるんだからね」
空が橙色に染まり、藍色に傾いていく。
パチ、パチ、と爆ぜるように電灯が灯った。
やがて眩しかった空は遠のき、電灯や屋台の明かりと逆転した。
もう少しで、業者ごとに打ち上げ場所への移動が開始する。
花火置き場と移動経路には明かりが灯っているが、光源から一歩はみ出ると、あっという間に職人の姿はシルエットになってしまう。
佐伯煙火店の移動開始までは、あと三十分。
――いよいよだ。
地べたに座っていた円香は、意を決したように立ち上がった。
長時間、微動だにしなかったせいで、足は痺れている。
片足ずつ振りながら、そろりそろりと佐伯煙火店の花火置き場へ近づいていく。すぐ側の暗闇へと身を潜めた。
右手にはスマートフォン、左手には高輝度の懐中電灯を握りしめて。
犯人が動き出すとしたら、暗くなったこのタイミングだ。
予想は外れていてほしい。
相反する気持ちがない交ぜになり、全身に心臓が増殖したようにバクバクする。
そんな円香の視界が、電灯から外れるように歩いてくる人影を捉えた。
末端まで脈動していた血液が、急に冷たくなる。
瞬きも忘れて人影に食い入っていると、その人物は手に筒状の何かを持っているのが見て取れた。
「あぁ、ダメ……」
円香の右手が、スマートフォンの上を高速で撫でた。
人影は一瞬だけ電灯に照らされ、滑るように佐伯煙火店の花火置き場に入っていく。
足に枷がはめられたように重い。
でも、見届けなければ。そして止めなければ。
首を、背中を、暑さとは関係ない汗が伝う。
会場内の音楽で掻き消されるというのに、相手に悟られないよう、一歩ごとの足音を忍ばせる。
人影の後ろに立つと、その人は手に持った筒の蓋を開けようとしていた。
「そこまでです!」
円香は左手に持った懐中電灯のスイッチを入れた。
振り向く相手の両目を目がけてライトを放つ。
うっ、と小さなうめき声と共に、その人物は両目を腕で覆った。
手に持っていた筒が砂利に落下する。視界の端で確認する。蓋は開いていない。
「どうしてですか」
円香は喉の奥が熱く、痛くなるのを感じながら繰り返す。
「どうしてですか、親方!」
鋭い叫び声が、二人のあいだを切り裂く。
円香の足元には、筒――水の入ったペットボトルが転がってきた。
昇から視線を外さないよう、慎重にそれを拾い上げる。
「最後まで妨害をするなら、花火自体をダメにするだろうと思って張ってました。
でも、こんな想像、当たってほしくなかった!」
吐き捨てる円香。瞬きする度に、眼鏡の内側に水滴がついてしまう。
昇は立ち呆けたまま、動かない。
円香も言葉を紡げずにいた。
遠くに会場のざわめきは流れ続けている。だけど二人を囲む空間だけが、時間が止まったようだ。
膠着状態を断ち切ったのは、昇のほうだった。獣が獲物目がけて飛び出すかのよう、獰猛に地面を蹴る。
彼のやろうとしていることに気付いて、円香も飛び出した。
「止めてください!」
力任せに配線を切ろうとしている。
ひと回り大きい昇の腕にしがみつき、必死に押し留める。でも、振り払われるのも時間の問題だ。
「なんで、どうしてそこまで……!」
「君なんかにはわからないよ!」
ようやく返ってきた昇の言葉には、強い拒否が滲んでいた。
胸の中で絶望が爆ぜる。呼吸を忘れてしまう。一秒、二秒……だけど、それも束の間。今度は一気に頭に血が上る。
「えぇ、わかりませんよ! これだけ時間をかけて築き上げたもの、今回の花火大会だけじゃない。長年続けてきた伝統を粉々にするなんて、私にはわかりません!」
「だから、嫌なんだ!」
昇が乱暴に腕を薙ぐと、円香は勢いに負けて尻もちをついた。ペットボトルが砂利の上を転がる。
一瞬、昇が怯んだように見えた。
「大丈夫です」
痛みはある。だけど、すぐに手を付いて立ち上がる。
「親方が、本当は人を傷つけたいわけじゃないのは、わかってます」
昇は虚を突かれたように硬直すると、しだいに興奮も収まっていくようだった。
「ましてや死者なんて。怪我人は出ましたけど、あり得ないくらい軽傷でした。
だから爆発も、工室に誰もいないシミュレーションの時間を選んだんですよね」
火をつける仕掛けが単純なものだとわかってしまうと、今度はなぜあの時間を選んだのかが気になった。誰かに邪魔されないためか。アリバイ作りか。
違う。
〝工室から全員が離れている時間〟だったからだ。
「誰かを殺したいわけじゃない。だから、誰よりも早く避難誘導をしてくれたんですよね」
昇が一瞬身じろいだ。
「わかってますよ、皆さんのことを大切に思ってるって。
……だから、だからわからないんです。出場を妨害した理由が」
説得するような円香の言葉に、昇の口がわなわなと震え始める。
「……この仕事に――」
蚊の鳴くような声で話し始めた、その時だった。
「大丈夫かい、円香ちゃん!」
やっさんが飛び込んできた。
その姿を認めると、昇はまたカッと顔を赤らめて、地面に転がったペットボトルに手を伸ばした。




