10.花火が砕けてしまうなんて
事態が急変したのは、やっさんから親方の過去について聞いた夕方のことだった。
乾燥室の周りが騒がしく、その波はあっという間に工場全体に広がった。
怒声が響き、ヒステリックな応戦が始まる。
吸引器に引きずり込まれるように、職人たちは乾燥室へと駆け寄った。
円香も慌てて席を立つ。その勢いで椅子のキャスターが回転して変なところへ転がっていくが、気にしている場合ではない。
「何かあったんですか!?」
野太い男衆の中に、高い声が割って入る。
「何か? あぁ何かあったよ! どうすりゃいいんだ、これは!」
職人の一人が顔を真っ赤にして食って掛かった。
円香は人垣に体を滑り込ませ、押しつぶされながらも乾燥室の中へと入る。
目にしたものに、頭が白くなる。
「な、んで……」
喉が声の発し方を忘れてしまったかのように、言葉が言葉にならない。
「なんでじゃねぇ!」
職人は円香の足元に、手に持ったそれを叩きつけた。
亀裂の入った大玉が鈍い音を立てて砕け、飛び出た細かい粒子を蛍光灯に晒した。
夜空に咲くはずだった星――火薬の粒――が、埃と一緒に無機質に漂う。
目の前のことが現実とは思えない。もやのかかった向こう側で、職人が立て続けに何かを捲し立てている。円香の耳には何も入ってこない。足元で崩れた残骸から目を離せず、一ミリも動けずにいる。
どうして。乾燥だって、順調にいっていたはずなのに。
円香の背後で、惨状を見つめていた野次馬が、にわかに動き始めた気配がする。
一人分の足音が近づいてきて、円香の隣で腰を下ろした。
昇だ。
「これは……」
感情のない声音で呟く。円香は恐々と昇に視線を移すが、つむじが見えるだけだった。
くるりと首を回して円香を見上げる昇。その眼差しに、円香は鋭利なナイフで心臓を一突きされた心地がした。
昇は立ち上がりざまに指示を出した。
「他に失敗している玉がないか、各々確認してください。
使えるものだけ残して、リスト化して提出を」
ヒートアップしていた職人たちが、水を打ったように静まり返る。
「早く! 今できることをしてください」
しかし威厳のある声で檄を飛ばすと、職人たちは足早に動き出した。
親方は踵を返し、ぽんと円香の肩に手を置いた。
「円香さんは、先に会議室に行っててください」
口腔内はカラカラに乾ききっていた。ごくりと唾を飲み込み、
「……はい」
と弱々しく返事をするのが精いっぱいだった。
◇
パイプ椅子に座っていると、工場の振動が足元から生々しくせり上がってくる。それはみぞおちのあたりで滞留し、行き場のないまま、体を鉛のように重くさせた。
乾燥の失敗。
大玉が使えない。
他にもあるのか、たまたまなのか。
もしも全滅だったら……。
嫌な想像ばかりが、数珠つなぎに伸びていく。何かのきっかけで着火したら、そのまま爆発してしまいそうなほどに。
カチャリと硬質な音が、円香の鼓膜を叩いた。
空想が一瞬だけ止まるも、入ってきた昇があまりにも無表情で、今度は呼吸が浅くなっていく。
昇は手に持ったバインダーを机に置くと、パイプ椅子を引いて腰を下ろした。
椅子が床を擦る音、座る時の布ずれ、椅子の軋み。すべてが鮮明に円香を射貫く。
「大玉は、ほぼ全滅」
ひゅっと、擦れた息が漏れる。
「中玉、小玉はだいたい免れた」
なんと答えればいいか、脳の回路が繋がらない。
一年かけて作った演出が披露できない。理解できるのはそれだけだ。
昇は両肘を天板につくと、にじり寄るように身を乗り出した。円香はつられるように背中を丸め、前傾になる。
「乾燥室の操作盤がいじられていた」
ガタン――
思わず身を引いてしまった。
「な、な、なんで……」
血の気が引いて、うまく言葉を紡げない円香に、昇は険しい顔で目を逸らした。
「湿度と温度が上がっていた。知っている通り、大玉は何度もクラフト紙を貼っていく。どこかのタイミングでムラが生じて、バランスを崩してもおかしくない」
「でも、どうして。操作盤は触らないようにって、皆さんには伝えてたじゃないですか」
「わからないよ。誰かがたまたまぶつかったのかもしれないし、もしくは……」
まさか、そんなわけない。そう思いたいのに、暗くなっていくパソコン画面が思い出される。
「……故意……?」
沈黙が漂う。
会議室に伝わる振動が増したような気がした。
苦々しそうに、昇は告げた。
「今日は、花火会場の打ち合わせに行ってきたんだ」
「……はい」
「演出プランも伝えた。だけど、現状だと」
円香の体から力が抜けていく。頭も、肩も、背中も丸まってしまう。
「どうして、どうしてこんなことに……」
そう繰り返すばかりだ。
昇も腕を組んで、押し黙るように俯いた。
二人とも何も発せられないまま、無限とも思える時間だけが過ぎていく。
だが、昇は意を決したように天井を見上げた。
そして円香をまっすぐに見据え、ガバリと頭を下げた。
「申し訳ありません」
突然の敬語は、円香に越えられない一線を感じさせた。
「御社のご支援に応えられず、損害を出してしまいました。
ですが、このままでは満足な花火を上げられません。
出場を、辞退させてください」
「…………」




