第五話 温かい朝食と冒険者ギルドでの下剋上
昨晩の結衣との約束を果たすため、僕は誰よりも早く目を覚ました。
まだ薄暗い部屋の中で【万物配送】のウィンドウを呼び出す。
必要なのは戦うための武器ではなく、仲間たちの胃袋と心を満たすための強力な兵站だ。
僕は【EP】を消費して現代の調理器具と食材を次々と取り寄せていく。
カセットコンロと専用のガスボンベ。
ご飯を炊くためのメスティンと無洗米。
そしてお湯を注ぐだけで本格的な味が楽しめるフリーズドライの豚汁だ。
火を起こす手間も水洗いする手間も省ける現代のキャンプ用品は、異世界において最強のチートアイテムと言える。
カチッという小気味よい音と共に、カセットコンロに青い炎が灯る。
メスティンの底が温まり、やがてグツグツという音と共に米が炊け上がる甘い香りが部屋に充満し始めた。
異世界の粗末な黒パンの匂いとは比べ物にならない、日本人のDNAに刻まれた郷愁を誘う香りだ。
お湯を注ぐだけで完成するフリーズドライの豚汁も、合わせ味噌と根菜の深い香りを漂わせている。
これだけで、この世界においては王侯貴族すら味わえない究極の美食が完成するのだ。
コンコンと控えめなノックの音が響き、僕の部屋の扉が開いた。
「海斗くん、おはよう……って、すごくいい匂いがする!」
結衣が目を丸くして部屋に入ってきた。
彼女の後ろには沙織と由美さん、そして霞の姿もある。
どうやら全員がこの暴力的なまでに食欲をそそる匂いに釣られて集まってきたようだ。
「おはよう、みんな。」
「約束通り、今日の朝食は僕が用意したよ。」
僕はメスティンの蓋を開けた。
立ち上る湯気と共に、ふっくらと炊き上がったツヤツヤの白米が姿を現す。
紙皿に取り分けた豚汁と一緒に、まずは結衣の前に差し出した。
「さあ、冷めないうちに食べて。」
結衣は震える手でスプーンを受け取り、豚汁を一口すする。
その瞬間、彼女の目から大粒の涙がボロボロとこぼれ落ちた。
「あ、ああ……美味しい……っ。」
「お味噌の味がする……お肉と野菜の旨味が全部溶け込んでるよ……。」
結衣は泣きじゃくりながら、白米を口に運んだ。
咀嚼するたびに彼女の表情が至福に染まっていく。
異世界の硬い干し肉と塩水のようなスープで痛めつけられた胃袋に、現代の温かい家庭の味が染み渡っていくのだ。
「海斗くん、私……もう君がいないと生きていけないわ。」
「私の胃袋は完全に君のものよ。」
結衣が涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら、僕に抱きついてきた。
剣聖としての凛々しい姿はどこへやら、今の彼女は完全に僕の食事の虜になった一人の女の子だ。
沙織や由美さんたちも、夢中で白米と豚汁を口に運んでいる。
「信じられませんわ……こんなに美味しいものがこの世にあるなんて。」
「……栄養価も味も完璧で、異世界の食事は申し訳ないけど・・・。」
女性陣が朝食に舌鼓を打つ中、僕のシステムには絶え間なく【EP】が加算され続けていた。
結衣からの感謝は凄まじく、消費したポイントの何十倍ものリターンを生み出している。
食のチートはやはり絶大だ。
大満足の朝食を終えた僕たちは、冒険者ギルドへと向かった。
豪と一郎は相変わらず不機嫌そうに先頭を歩いている。
彼らは宿の粗末な朝食を食べたせいで顔色が悪く、疲労が全く抜けていないようだった。
冒険者ギルドは石造りの重厚な建物で、中には荒くれ者の冒険者たちが溢れていた。
カウンターの奥には、鋭い眼光を持つギルドマスターらしき初老の男が座っている。
「おい、俺は勇者だぞ!」
「さっさと一番ランクの高い依頼を持ってこい!」
豪が受付の職員に向かって横柄な態度で叫ぶ。
しかし、周囲の冒険者たちやギルドマスターは彼を冷ややかな目で見つめるだけだった。
身なりこそ立派な鎧を着ているが、実績のない新人を特別扱いするほど甘い世界ではないのだ。
豪が職員と揉めている隙に、僕はギルドマスターの元へと近づいた。
「すみません、冒険者登録のついでに、少し商談をさせてもらえませんか。」
僕が声をかけると、ギルドマスターは怪訝な顔で僕を見下ろした。
「商談だと?」
「見慣れない顔だが、ひよっこがギルドに何を売ろうっていうんだ。」
僕はポケットから、昨晩のうちに取り寄せておいたアイテムを取り出した。
百円均一で買えるような、ごく普通のプラスチック製ライターと、スライド式のカッターナイフだ。
「これを見てください。」
僕はカチッとライターのボタンを押し、安定した火を灯して見せた。
さらにカッターナイフの刃を出し、受付にあった硬い羊皮紙の切れ端をスッと滑らかに切断してみせる。
その瞬間、ギルドマスターの目の色が変わった。
「な、なんだそれは……!」
「魔石も使わずに一瞬で火を出し、ドワーフの業物以上に鋭い刃を隠し持つアーティファクトだと……!」
異世界において、火を起こすのは魔石か火打ち石が必要であり、切れ味の良い刃物は高価な特注品しかない。
現代日本では百円で買える日用品が、この世界では国宝級の超絶技巧で作られたマジックアイテムに見えるのだ。
ギルドマスターは震える手でライターとカッターナイフを受け取り、食い入るように見つめている。
「これを、君が持ってきたというのか?」
「いくらだ、金ならいくらでも出すからギルドに卸してくれ!」
ギルドマスターの態度は一変し、僕を特別応接室へと案内しようとする。
その騒ぎに気づいた豪が、目を見開いてこちらに駆け寄ってきた。
「お、おい海斗!」
「お前みたいな荷物持ちが、ギルドマスターと何話してんだよ!」
豪が口を挟もうとするが、ギルドマスターは鋭い声で彼を制止した。
「やかましいぞ若造。」
「私は今、この偉大な商人殿と重要な取引をしているところだ。」
「邪魔をするなら勇者だろうが叩き出すぞ。」
豪はギルドマスターの気迫に圧倒され、言葉を失って立ち尽くした。
周囲の冒険者たちも、僕に向かって畏敬の念を込めた視線を送ってくる。
勇者である豪は完全に蚊帳の外に置かれ、ただの無力な若造に成り下がっていた。
僕は呆然とする豪を一瞥し、ギルドマスターと共に重厚な扉をくぐる。
ただの荷物持ちだった僕が、この世界の経済と流通を支配する商人として成り上がるための、記念すべき第一歩だった。
だが、僕の提供する物資がこの街にどれほどの激動をもたらすか、この時の僕はまだ完全に理解してはいなかったのだ。




