第二十七話 絶望の扉の先と、干物魔王の生態
グランピング施設での休息を終えた僕たちは、いよいよ魔王城の深部へと足を踏み入れた。
最上階へと続く長く暗い回廊には、無数の魔物が徘徊していた。
だが、今の僕たちの敵ではなかった。
結衣の刀が一閃するたびに魔物が両断され、豪の光の剣が闇を切り裂く。
霞がクナイで死角から急所を穿ち、ショコラが獣の俊敏さで敵を翻弄する。
後方からは沙織の光魔法と由美の氷魔法が炸裂し、セラフィナがエルフの絶大な魔力で敵を一網打尽にしていく。
さらに僕のパーティーには、元魔王軍四天王であるサキュバス姉妹のカルミアとリリス、ダークエルフのクロエ、そして竜人族のイグニシアまでが加わっている。
もはや進軍を止めるものは何もなく、僕たちは圧倒的な力で回廊を制圧した。
「ここか……。」
回廊を抜けた先、ついに僕たちはその場所に辿り着いた。
目の前に聳え立っていたのは、天井まで届くほどの巨大な観音開きの扉だった。
黒鉄で作られたその重厚な扉には、邪悪な竜のレリーフが刻まれている。
見ているだけで精神を削り取るような威圧感を放っていた。
扉の隙間からは、肌を刺すような冷気と共に、圧倒的な魔力の波動が漏れ出している。
間違いなく、この奥に諸悪の根源である魔王が待ち受けているのだ。
「ひぃッ……。」
「あ、足が……動かねえ……。」
背後で情けない声がした。
振り返ると、精悍に成長したはずの勇者豪が、顔面を蒼白にしてその場にへたり込んでいた。
彼の生存本能が、扉の向こうにいる存在のヤバさを感じ取って警鐘を鳴らしたのだろう。
「……情けないわね。」
「それでも勇者なの。」
沙織が冷ややかな視線で豪を見下ろす。
彼女は戦闘で乱れたローブを直し、僕の隣に凛と立った。
「海斗くん、行けますか。」
「ああ、ここまで来て引き返す選択肢はないよ。」
僕は仲間たちを見渡した。
過酷な旅を共に乗り越え、僕の【万物配送】と現代物資によって強い絆で結ばれた最高のヒロインたち。
全員の瞳には、僕への絶対的な信頼と、愛する者を守る決意が宿っていた。
「全員でかかれば絶対に勝てる。」
「はいッ、ご主人様のためなら命だって賭けるにゃ。」
「うむ、エルフの誇りに懸けて海斗に指一本触れさせぬ。」
「……計算上、勝率は百パーセントよ。」
みんなの力強い言葉に頷き、僕は重厚な扉に手をかけた。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……ッ。
地響きのような音を立てて、巨大な扉がゆっくりと開き始めた。
中から吹き荒れる魔力の突風に、僕たちは腕で顔を覆いながらも一歩も引かずに踏み込んだ。
人類の敵であり、世界を恐怖に陥れる最強の魔王。
その姿を視界に捉えるため、僕は目を凝らした。
「……ん?」
扉を抜け、広大な玉座の間に足を踏み入れた瞬間、僕は妙な違和感を覚えた。
確かに部屋の造りは豪華絢爛で禍々しい。
深紅の絨毯が敷かれ、壁には不気味な燭台が並んでいる。
空気は重く、呼吸するのも苦しいほどのプレッシャーがあった。
だが、何かが決定的におかしい。
「……臭うぞ。」
「これは瘴気ではないな。」
セラフィナが鼻をヒクつかせて顔をしかめた。
彼女が感じ取ったのは、魔族特有の腐敗臭や血の臭いではない。
もっと生活感のある、ひどく饐えた臭いだった。
具体的に言えば、締め切った部屋で数日間放置された食べ残しと、アルコールが混ざったような臭いだ。
「……おい、あそこを見ろ。」
僕が指差した先。
部屋の最奥、数段高くなった場所に巨大な黒曜石の玉座があった。
そこに魔王がいるはずだ。
僕たちは息を殺して警戒しながら近づいていった。
玉座には確かに誰かがいた。
しかしそれは、予想していたような巨漢の怪物でも、漆黒の鎧を着た騎士でもなかった。
「……んあ?」
「人間……?」
「……あー、まぶし。」
「ドア、閉めてよぉ……。」
玉座の上でだらしなく寝転がっていたのは、一人の小柄な少女だった。
銀色の髪は足首まで届くほど長いが、櫛を通していないのかあちこちで絡まり、寝癖で鳥の巣のようになっている。
瞳は血のように鮮やかな深紅。
肌は日光を何年も浴びていないような、病的なまでの白さだった。
身に纏っているのは、フリルとレースがふんだんに使われた高級なゴスロリドレスだ。
素材だけで言えば、沙織やセラフィナにも引けを取らない絶世の美少女だった。
だが、その実態はあまりにもひどかった。
「……むにゃ。」
「……あー、もう世界とかどうでもいいのじゃ。」
「眠い、帰れ。」
彼女は玉座の肘掛けに頭を乗せ、行儀悪く片膝を立てていた。
スカートが捲れ上がり、白い太ももが見えているが、本人は気にする様子もない。
ドレスの胸元には何かのソースのシミが点々とついており、フリルにはお菓子の食べカスが挟まっている。
その手には串刺しにされたトカゲの干物が握られており、彼女はそれを気怠そうに齧っていた。
「……なんじゃ、まだおるのか。」
「余は今、忙しいのじゃ……。」
彼女はもう片方の手で、ボロボロのチェス盤のようなボードゲームの駒を動かした。
一人遊びだ。
そして、足元に置いてある甕から直接、泥水のような紫色の液体をラッパ飲みした。
「ぷはぁっ……。」
「うぅ、マズい。」
「……魔界の酒は泥水じゃな……。」
ゲプッ。
盛大なゲップが、静まり返った玉座の間に響き渡った。
「…………。」
僕たちは完全に言葉を失っていた。
あまりのギャップに、戦意は完全に空回りしている。
一体なんだ、この生き物は。
僕は【万物配送】の解析機能を使って、目の前の存在をスキャンした。
【鑑定結果:魔王ヘルヴィ】
【状態:極度の退屈、栄養失調、運動不足、入浴拒否】
【脅威度:測定不能(やる気ゼロのため)】
「……おい、豪。」
「お前の言ってた恐怖の魔王ってこれか。」
「あ、あわわ……ち、違う。」
「俺が聞いた伝説じゃ、もっとこう……世界の半分を闇に包むような……。」
豪も完全に混乱している。
だが、目の前の現実は覆らない。
そこにいるのは世界を滅ぼす魔王ではなく、ただの自堕落な引きこもりだった。
沙織が恐る恐る声をかけた。
「あ、あの……失礼ですが、貴女様が魔王ヘルヴィ様、でしょうか。」
「んー?」
「そうじゃけど。」
「……なんじゃお主ら、勇者一行か。」
「めんどくさいのぅ。」
ヘルヴィはトカゲの尻尾をガリガリと齧りながら、面倒くさそうに寝返りを打った。
その拍子に、背中の小さな黒い翼とお尻から伸びるハート型の尻尾がパタパタと動く。
動きだけ見れば小動物のように愛らしい。
だが、発言内容は終わっていた。
「戦う気なら勝手にやってくれ。」
「……余は寝ていたいんじゃ。」
「部下が勝手に人間界侵攻とか騒いでおるが、余は許可しとらん。」
「……というか部屋から出るのがダルい。」
「……は?」
「世界征服?」
「なんじゃそれ、美味しいのか。」
「……余はただ、この部屋でダラダラと過ごしたいだけなのじゃがな。」
ヘルヴィは大きな欠伸をして、ボリボリとお尻を掻いた。
その仕草から滲み出るのは、圧倒的なだらしなさだ。
美少女の皮を被った干物女がそこにいた。
由美が眼鏡の位置を直し、呆れたように呟いた。
「……分析完了。」
「敵性反応ほぼゼロ。」
「……この魔王、ただの干物女ね。」
「うむ……見ておれぬ。」
「あんなに美しい顔をしておるのに、髪も肌も手入れされておらぬとは……エルフとして許せぬ。」
美容意識の高いセラフィナが、ワナワナと震えている。
ショコラは鼻をつまんでいた。
「臭いにゃ……。」
「お風呂に入ってない獣の臭いがするにゃ。」
イグニシアやクロエたち四天王も、自分たちのボスの惨状に頭を抱えていた。
僕は彼女たちを制し、一歩前に出た。
僕はヘルヴィをじっくりと観察していた。
パサパサのトカゲの干物。
固そうな岩の玉座。
泥水のように不味そうな酒。
そして孤独な一人チェス。
彼女を取り巻く環境は、あまりにも生活の質が低すぎる。
魔王という最強の地位にありながら、この世界には彼女の欲望を満たす娯楽も、美食も、快適な寝具もないのだ。
だからこそ彼女は腐りきっている。
退屈と不満で心が乾ききっているのだ。
(なるほど……これは討伐する必要はないな。)
僕の口元がニヤリと緩んだ。
剣も魔法もいらない。
彼女に必要なのは、圧倒的な文明の力だ。
僕は貯まりに貯まった【EP】を確認した。
「……おい、魔王さん。」
僕が声をかけると、ヘルヴィは面倒くさそうに片目だけを開けた。
「なんじゃ、男。」
「……命乞いなら聞かんぞ。」
「うるさいから消えよ。」
「命乞いじゃないよ。」
「……商談だ。」
「商談……?」
「あんた、そんな不味そうなトカゲと泥水みたいな酒で満足してるのか。」
僕の言葉に、ヘルヴィの眉がピクリと動いた。
「……無礼な。」
「魔界ではこれが最高級の珍味じゃ。」
「……まあ正直飽きたし、パサパサしてて喉に詰まるが。」
「だろうな。」
「……もっと美味いもの、食いたくないか。」
「美味いもの……?」
ヘルヴィが上半身を起こした。
だらしない姿勢のせいでドレスの肩紐がずり落ち、華奢な鎖骨が露わになる。
無防備すぎる。
だが、その赤い瞳にはわずかながら興味の光が宿り始めていた。
「……人間風情が、余の舌を満足させられるとでも。」
「ああ、保証するよ。」
「……あんたが今まで食べたどんなものより、刺激的で脳みそが溶けるような魔法の食べ物をな。」
僕はポケットに手を入れ、虚空に展開したインベントリからそのアイテムを取り出した。
現代日本が生んだ最強のジャンクフード。
これを見せれば、この干物魔王はどうなるか。
想像するだけで笑いが込み上げてくる。
「……見せてみよ。」
「もし期待外れなら、その首を即座に跳ね飛ばしてやる。」
ヘルヴィがふんぞり返り、尊大に言い放つ。
僕は微笑み、黄金色に輝くパッケージを取り出した。
「後悔するなよ。」
「……これが異界の神食、ポテトチップスだ。」




