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「悲鳴?」
のんびりした声に驚く。
先程の地震の直後で、しかもたかみの様な存在にぶつかられて、こんなにも落ち着いていられるものかと。
感心なのか疑いなのか自分でも分からない気持ちで、頭を上げずに男をぬすみ見る。
羽織を着て草履を履いたその男は、何処かの茶店の手代と見られる。年の頃は二十代半ばだろうか。
線が細く背の高い男は、髪が長く色の白い顔の半分を隠していた。
その所為で表情はよく見えないが、口元は微かに笑みを浮かべているように見える。
ひとまず、たかみの様な存在がぶつかった事に対する表立った怒りはなさそうだ。
この様子なら落ちた団子の事も、数発の折檻程度で許してもらえるかも知れない。
「はい、先刻の揺れが止まったあと、女の⋯人、の悲鳴が聞こえたもんで。倒れでもしたんじゃないかと心配で、⋯その⋯」
しまった、下手を打った。
そこへつけ込む盗人だろうと、言いがかりをつけられてもおかしくない。
たかみは思わず舌打ちが出そうになるのを、寸手のところでで堪える。
「そうですか、先程の揺れで⋯。あなたは何ともありませんでしたか?」
驚いた。
今のたかみは、この数ヶ月の暮らしの所為で、どこからどう見ても無宿人そのもの。
汚れも匂いも桁違いの筈である。
庶民も余裕のない暮らしをしている世の中だが、比にもならない生活を送っている。
持ち前のたくましさで何とか凌いでいるが、どこぞの手代からすれば見るのも近寄るのも不快な存在と言えよう。
そんなたかみに怒鳴るどころか優しい言葉を掛けるだなんて、どんな聖人君子か世間知らずか。
更に驚いたことには、男も膝をつき、たかみの身体を起こそうと手を伸ばしてきた。
顔を上げるのも身体を起こすのも憚られたが、手を借りる訳にもいかず自力で立ち上がる。
寂しそうに笑った男の髪が風になびいたその瞬間、男の顔がはっきりと見えた。
髪で隠されていた美しい顔の半分には、大きな痣が広がっていた。
「⋯それなら先程、向こうに走っていく女性を見かけました。きっとその方でしょう」
男は、たかみが出てきた裏口を背にして、右手側の一本道を指差した。
男が示す方を見るが、既に影も形もない。
思わず男の顔に見惚れてしまったことを悟られないよう、女が走って行ったと言う方に顔を向けたまま俯き、たかみは男と顔を合わせない様に努める。
「本当か⋯ですか!?じゃあ、無事だったんだ⋯ですね」
「ええ、多分」
走ってましたからねえ、と優しく笑う男の言葉に、たかみもホッと息を吐く。
「そっ⋯ですか⋯⋯」
「失礼ですが、神社の方ですか?これ、供え物に⋯」
いつの間に居所を掴まれていたのか。
ギクッとしたのも束の間。
思いがけない申し出にたじろぐ。
「えっ、この団子を!?」
「⋯⋯ああ、落とした団子はちゃんと避けましたので、ご安心ください」
ふわりと笑う男に、たかみを捕まえようと言う魂胆はない様に感じられた。
それより⋯
(落とした団子こそ供えりゃあ良いのに。もったいねえ⋯)
そんな気前の良い事をするなら、直接この男が供えた方が良いのではないか。
何に良いかはよく分からないが。
ましてや神とやらがいないらしい、この神社だ。
しかし、それはそれ、これはこれ。
何か神頼みしたい事があるなら、代理人を立てるより本人が出向くべきだろう。
「て言うか、自分で供えた方が⋯⋯⋯、って、もういねえし」
たかみはしばらく男が立っていた場所を頭を掻きながら困り顔で眺めていたが、まあ自分の様な存在の近くにいるのも嫌だったんだろうと、自分を打つことなく去っていった男の代理人を、かしこみかしこみ引き受けることにした。
「ただいま帰ったぞー」
たかみが拝殿に入ると獅子と狛犬がクンクンと鼻を鳴らす。
団子の匂いに気付いた様子だ。
こういう所、動物っぽいなとたかみはほくそ笑む。
この2匹の奇妙な生き物は本当に奇妙だ。奇妙な所しかない。
動いたり喋ったりする件については、もう、そういうものだとして受け止めている。
問題は、動物っぽいのにフワフワモフモフしていない、と言う事だ。
固い。とにかく固いのだ。
柔らかければ、もう少しかわいげも出たのではないかと、たかみは大いに不満を抱いている。
固いが、つるつるすべすべと滑らかな手触りは、きっと良い素材なのだろうと思った。
どんな素材で、どう出来ているのかは分からないが。
固くて手触りは滑らかだが、重くて仕方がないと言う程でもない。
たかみは2匹の神使の正体を、神社の入り口にある像が動いてるのだろうと考えている。
信じられないような奇妙な現象だが、この2匹の存在自体が奇妙なので、そんな事もあり得るのだろうと、無理矢理納得した結果だ。
それはさて置いて。
像にしては軽い。
動物にしては重いが、像だと思うと軽すぎる。
いくら廃れた神社の像でも、まさかハリボテと言うことはないだろう。
文字通り身を削ってやりくりしてきたのだとしても、元が像である身を削った所でたかが知れている。
いや、つるすべ滑らか素材なら、簡単な修繕費くらいには、なったのかも知れない。
もしくは、その材料か。
⋯⋯⋯実は健気な奴らだったんだな、とたかみが2匹の不遜な態度の神使への認識を改めた所で、獅子と狛犬が恐る恐ると言った様子で距離を詰めてくる。
匂いの元が随分と気になっている様だ。
昔、魚の骨を時々与えてた野良猫を彷彿とさせるその様子に、たかみは笑いと懐かしさが込み上げてくる。
「⋯おい、小娘。何を持っている?」
「うはは、目ざといなー!なんか幽霊みたいな兄ちゃんが供え物にって⋯⋯」
ふわふわ笑ってパッと消えちまったんだけどな、とたかみが笑って答えると、狛犬が怒り狂った顔で怒鳴る。
「やめろ!そんなモノ⋯⋯この社に持ち込むな!!!」
「おいおい、そんな言い方⋯⋯」
団子が嫌いなのか?と聞くたかみに
「どうか、あれの言う通りに⋯!」
と、獅子が慌てた様子で頭に乗ってくる。
え、何だよ。マジで団子が嫌いなのか?とたかみは言葉を失う。
そして思い巡らせる。そう言えばこの2匹の神使が食事してるのを見たことがないな、と。
⋯⋯もしかして、食べられないのか?
目の前でいい匂いだけさせて、食べられない辛さはよく分かるたかみだ。身にしみて、しみ過ぎている程だ。
そう言えばにぎり飯も拝殿の外に置いたままだったと思い出す。
悪い事をしちまったなと、たかみは素直に団子を背に隠す。
そして話題を変えようと
「いや、つか、お前⋯頭に乗ってくんなって」
と持ち上げるが、構わず獅子は続ける。
「それから、⋯⋯その団子を持ってきた殿方の事、しばらく様子を見て我に報告願えぬじゃろうか」
怒ったような寂しそうな狛犬の背中。
全てを話せない事に申し訳なさを感じているのか、妙にしおらしい獅子。
どうしたもんか、と言うたかみの逡巡は一瞬で消える。
「うーん⋯⋯、とりあえず、さ!この団子!!食っちまっていい?」
ぐるるるるるる
たかみの腹の音が盛大に鳴った。




