第70話 夏の果てに
和解という形で過去の話に区切りをつけた氷川。
氷川が大人な対応だったからこそ、そういう結論にもたどり着いたんだけど……。
俺のお節介が、穏便に済ますよう強制させてしまったのではないか。今ではそんな反省も少しある。
ただ、まだ解散はしていないのだから暗くなるのはあとだ。
そして今は、なぜか氷川も一緒にランニングマシンで走ることになっていた。
「……今はその格好で学校に行ってるんだよね?」
「そうだね。星野くんとかは、来実が知ってる私を氷川藍だと認識しないと思うよ」
「その……どうしてそんなイケメン女子に……?」
「私って身長が高いでしょ。可愛いのとか似合わないし。顔も父親似だしね」
このやり取りだって、三人横並びでそれぞれのペースで足を動かしながら行われている。
二人の仲はすぐに元通り────なんてことはない。
普通に見える会話でも、どこかぎこちなさが漂っていた。
「でも、花火大会のときは可愛かったよ?」
「あれはほら、前田くんが一緒だったし。氷川藍が男子と二人で花火大会────そんなところをクラスの人に見られたら、平穏な学校生活が崩れちゃう」
可愛いというのに動揺したのか、俺も初耳の言い訳が樋川から飛んでくる。
それならメガネ姿でも良かったんだから、あまり言い訳になってない気が……。まあ、そこは突っ込まないでおこう。
「その格好だと、すでに落ち着かない学校生活なんじゃ……」
「これ以上は増やしたくないってこと。来実は私のこの姿は嫌い?」
「正直、めっちゃ好き……! 最初にお水渡されたとき、誰だか分からなくてドキッてしたくらい」
五十嵐、さっきは星野にしか興味ないと言ってなかったか。
口を挟まずに聞いてるけど、やっぱり男とは毛色の違う会話になるもんだな。
「この格好、同性からはすごい人気なんだよね」
「男子からはそんな?」
「前田くん、どう?」
「半々かな。女子を奪われるって嘆いてるやつはいるし。俺はいいと思うけど」
イケメン女子、王子様だなんて好意的に呼んでいるのは主に女子だ。
男子でも呼んでるやつはいるけれど、冷やかしも含まれているだろう。
「前田くんは可愛い女の子より、カッコいい女の子が好きなのか」
「真に受けないでくれ……」
「藍、高校で良い相手に出会えたんだね」
────どっちの氷川が好きか。
いざ自分のなかで考えてみると、答えはすぐに出てこなかった。
どちらの姿でもドキドキすることはある。
ただ、それって────
「それより私の姿の件、星野くんに内緒にしてほしいんだけど……」
俺が悩んでいたところで、氷川が五十嵐にそう切り出したのが聞こえてきた。
そうだ。氷川が過去の件について触れたということは、隠していた正体を曝け出したわけで。事前の相談でも、五十嵐が応じてくれるかが不安な点だった。
けど、色々と探っていった中で、俺たちにとって都合の良い想定外の真実もあって。
「分かってる。私も自分の性格のことは内緒にしてほしいし。でも、過去のことに関しては藍に任せるよ。話してくれてもいい」
「そんな性格の悪いことはしないって」
「……それは、私に都合が良すぎるじゃん」
「じゃあ、一発ビンタしようか?」
「ど、どうぞ……」
「ふふっ、しないよ」
氷川も五十嵐もそれぞれの事情で演じていて、それを星野には知られたくない。
その共通の利益があるうちは安心していいだろう。
っていうか、氷川もランニングマシンは初めてなはずなのに、よくそんな余裕を持って会話できるな……。
「ふぅ……。今日はここら辺でやめとこうかな。明日も部活あるし」
「なら、私たちもここで終わろっか」
「ふぅ……やっとか。明日、絶対に筋肉痛なんだが……」
「お兄は引きこもりだって、あかねちゃんがよく言ってるもんね」
「あっ、妹ちゃんでしょ。この間、遊んだときに透也から聞いたよ」
あかねに対する解像度がお高いようで……。
明日、生まれたての小鹿のような俺を見て、そう言ってくる妹の姿を容易に想像できた。
残りほんのわずかな夏休みは、このパンパンに張った足を休めることに消えそうだ。
スポーツセンターを出ると、ちょうど太陽が顔を隠すところだった。
もうすぐ夜だというのに、まだまだ身体にまとわりつくような暑さが広がっていて。
運動していても、室内はやはり涼しかったのだと思わされる。
「じゃあ、ここで。また遊んでくれると嬉しいな」
「そうだね、また色々と話せたら」
「前田くんもありがと。あと、あんな警戒しちゃってごめんね?」
「気にしなくていいさ。こっちも騙して呼び出したわけだからな」
「あはは……。私が言えたことじゃないけれど……。藍のこと、よろしくお願いします」
そう言って丁寧に俺のほうへ頭を下げたあと、もう一度氷川に手を振り、薄暗い景色の向こうへと消えていった。
────残されたのは俺と氷川だけ。
メッセージでのやり取りはあったけれど、今日はこうして二人きりになるのは初めてだな。
「ありがとね。またキミに助けてもらっちゃった」
「氷川が向き合った結果だろ。俺は余計に首を突っ込んだだけだ」
「でも、話すのが苦手なのに頑張ってくれてたでしょ」
「お見通しか。まあ、疲れたのは事実だけど俺の自己責任だよ」
氷川はまだ、五十嵐が消えていった方向に目を向けたまま。
その横顔はずっと見ていたくなるほど綺麗で。
セットされた髪に、ナチュラルだけどクールさも意識させるメイク。今日に関してはイヤーカフなどのアクセサリーもつけているからか、一段とカッコよく見えた。
「っていうか、その姿の氷川もなんか久々だから落ち着かない」
「ふふっ。夏休みはよく会ってたけど、ずっと素の私だったもんね」
「良かったのか、その姿で」
「フェアじゃないと思ったから」
「……氷川ってお人好しだよな」
「キミには言われたくないよ」
それは言ってから自分でも思った。
今回の件で、お人好しなどと俺が口にできた立場じゃない。
「……本当はさっきの理由以外にも、この姿のほうが言いたいことを強く言える気がしたの。少しだけでも自分に自信を持てるかなって」
「そっか。氷川はその格好は気に入ってるのか?」
「う~ん、どうだろうね」
「そこは悩むとこなのかよ……」
「変身するまでが大変だからね。でも、これが今の私の仮面だし。その点で言うなら愛着は湧いてきたかも」
────人は誰だって仮面を被っている。
秘密を隠すために仮面を被ったり。強い自分を演出するためだったり。
氷川の場合は後者ってことなのだろう。
そして、五十嵐来実は前者だった。
「来実と話して良かったよ。ありがと、私の背中を押してくれて」
俺は今回、秘密を隠していた五十嵐の仮面を無理やり剥いでしまったわけで。
どんな事情であれ、良い行いだったとはとても言えたものじゃない。
ただ、氷川の清々しい表情を見れば、少しはその罪悪感も紛らわせることができた。
「何度も言うけど、この結果は氷川が向き合っただけ────」
「前田くんが味方でいてくれたから。私は立ち向かえたんだよ?」
「……俺が氷川の味方なのは当たり前だろ」
「ふふっ、そういうところキミは優しいよね」
「……それ、よく言うよな」
「そう?」
「自覚なかったのか……」
やっぱりその顔の良さで、面と向かってそんな台詞を言われると心臓に悪い。
さっきからずっと鼓動が早くて、氷川から目が離せなくなる。
そんな風にゆっくりと余韻に浸っていたわけだが、ここらで俺の体力も尽きかけてきた。
「悪い。今日はもう足が限界で、家まで送ってやれなさそうだ……」
「ふふっ、大丈夫だよ。夏休みが明けたら、また水曜日は一緒に帰ってもらうから」
「その約束、まだ有効だったんだな」
「卒業まで続くけど?」
「えっ、マジか」
いつかあの約束はうやむやになって、自然と終わるもんだと思っていた。
氷川の口から発せられた言葉に驚きこそあれど、嫌な気持ちは全くなくて。それどころか、むしろ嬉しくなってる自分がいる。
この濃密だった夏休みが、俺をそういう気持ちにさせたのかは分からないけれど。
間違いなく、俺自身も変わっていってると実感させられる。
こうして、今年の夏休みは幕を閉じた。




