第67話 過去の精算①
五十嵐の連絡先を、ちゃんと入手できるのか────その難題は、難題というには申し訳ないほどあっさりと入手できてしまい。
そして会う約束まで。聞きたいことがあるとだけ言ったら、すんなりと取り付けられた。
ただ、陸上部の練習が忙しいようで、時間や場所は彼女から指定されたけど。ここまでスムーズに進んだことが、不気味にすら思えてくる。
そのまま追加のやり取りもなく、約束の当日を迎え────今日ほど気が重い日はなかった。
「……ここであってるよな」
俺がいま座っているのは、スポーツセンターの入り口近くにあるベンチ。
なぜ自分がこんなところにいるんだと、心の底から嘆きたくなる。
運動とは程遠い生活を送ってる俺にとって、全くと言っていいほど縁のない場所だ。
まだ約束した時間じゃないけれど、自分の場違い感がどうにも不安にさせてくる。
スマホを開き、改めて送られてきた場所を地図で確認していると────
「お待たせ」
俺の目の前で立ち止まって、そう声をかけてくる一人の女の人が。
顔を上げれば、ジャージ姿の五十嵐来実が立っていた。
「ごめんね、部活終わりのままで」
「いや。こっちこそ、疲れてるとこ呼び出して悪い」
「とりあえず、移動しよっか」
俺が何の説明もしてないのと同じように、五十嵐からも説明は受けていない。
今日のことで分かっているのは、このスポーツセンターにある有料のトレーニングルームに行くということ。
五十嵐の声のトーンは低く、活発な雰囲気なんてまるで感じなくて。今までとは全く違う今日の印象に戸惑うばかり。
迷う様子もなく足を進める五十嵐に、今は俺もその背中を追いかける。
「……ここ、よく来るのか?」
「真夏と真冬は。室内のほうが嬉しい季節は使うかな」
とても会ったことがあるとは思えない会話のぎこちなさ。学校で初めて話す相手でも、ここまでひどくはならない。
星野がいなけりゃ、距離感がいまいち掴みにくくて困るな……。
無事に今日の目的を果たせるのか不安を感じていると、気づけば景色は変わっていた。
「……かなり本格的なところなんだな」
トレーニングルームと聞いていたから、もう少し初心者向けのところかと思ってたけど……。
ボディビルダーを目指す人が使いそうな本格的な器具まで置いてあって、一気に俺は身構えてしまう。
「着替えは? 更衣室ならあっちだけど」
「このままでいい。動ける格好で来たし」
「じゃあ、ストレッチだけしておきなよ。いくら軽い運動でも、いつ怪我するか分からないからね」
「あ、ああ……」
荷物だけロッカーに預けると、開けたスペースで体育の授業のときにやらされる軽い準備運動をする。
ジャージを脱いでトレーニングウェアになった五十嵐も、俺の向かいで軽く身体を伸ばしていて。
なんだか目のやり場に困ったから、トレーニングルーム全体を見回すことに。
最初は主張の強い本格的な器機に圧倒されたけれど。よく見れば、ダンベルやバランスボール。そして、ランニングマシンといった見慣れたものもある。
さらに観察を続ければ、幅広い年代の人がここを使っているのが見てとれた。
「もしかして、あのランニングマシンで走ろうとしてるか?」
「そうだけど」
「部活終わりなのにまだ走るんだな……」
「もう少し走りたかったから。夏だと外は暑いけど、ここなら熱中症の心配もないし」
星野の話から、陸上に熱心なことは分かっていたが……。正直、想像以上のストイックさだ。
「あれ、初心者がやっちゃいけないやつだろ……」
「誰だって最初は初心者なんだから。ペースを遅くすれば大丈夫だと思うけど」
「無理だと思えば俺はギブアップするから。お前は気にせず走っててくれ」
「でも、私の話を長く聞きたいなら頑張らないとなんじゃない?」
「はぁ……。ご丁寧に忠告どうも」
こういう受け答えを見ていても、やっぱり悪いやつには思えないんだよな。
仮面を被るのが上手いやつもいるだろうから、自分の感覚を過信するつもりはないけれど。
ストレッチを終え、先にランニングマシンに向かう五十嵐。
俺もそれに続いて、空いていた隣の台を使う。
操作については何も分からなかったので、全て五十嵐の見よう見まね。
いきなりハイスピードで動き出さないか不安だったものの、なんとか普通に歩くくらいの速さに設定できた。
「……警戒されてるか?」
マシンに乗っていきなり切り込むのはどうかと思ったが、回りくどいのはもういいだろう。
「どうしてそう思うの?」
「雰囲気が違いすぎる。誰だって気づくだろ」
俺が五十嵐と会ったのは今日で三回目。
前に会ったのは花火大会のときと、二階堂たちも含めたデートのときで。過去の二回と今日を比べると、別人かと思うくらいに五十嵐は静かだった。
今日は陸上女子というより、文学少女のようなイメージだろうか。
その違いを指摘すると、五十嵐は深くため息をついた。
「はぁ……。このこと、透也に言わないでよ」
「それは話による」
やっぱり、意図的に星野にも隠しているのか。
ただ、これを知れただけでも俺はやりやすくなった。
「前田くん。このあいだ会ったとき、私の学校のこと知りたがってたよね?」
「ああ、星野も詳しく聞いたことがないって言ってたからな」
「今の私がそうだよ」
「じゃあ、星野の前で見せてるのは……」
「あれは中学のときの私」
そのとき、なんとなく思ったことがある。
もしかしたら五十嵐も、仮面を被っているのかもしれないと。
「星野の好みを演じてるってことか?」
「ある意味では演じてるってことなのかな。でも、透也の好みを意識してるわけじゃないよ」
「だったら、何の意味があるんだよ。わざわざそんなことして……」
「……私、中学のときにトラウマがあってさ。それから人を信じれなくなって、明るく振る舞うのも苦手になったの」
「……悪い、踏み込みすぎた」
「別にいいよ。それを引き起こしたのは私自身だから」
「……俺が過去に会った五十嵐は、星野と出会ったときのままを演じたものってわけだな」
「そう。急にこんな暗くなったら、透也も心配するでしょ」
星野の好みというよりは、昔の自分を意識して……。
もちろん、こいつの話を全て信じるというわけじゃない。
それでもここまでの話で、友達の彼女が悪い隠し事をしていなくて安心した。というのがまず一つ。
そしてもう一つ────事前の五十嵐の情報とは一致しない話に、俺の頭は混乱しっぱなしだった。
「はぁ……。これで満足? もう一回聞くようだけど、本当に透也の頼みじゃないんだよね?」
「ああ、星野は全く関係ない」
「じゃあ、前田くんの興味? 悪いけど私は透也一筋だから」
「待て待て、それも違う。俺が友達の彼女に言い寄るわけないだろ」
「なら、私のことを知って何の得があるの?」
五十嵐には星野に知られたくないことがあるのだ。
それなら、こっちも安心して本題に入れる。
「お前と中学が一緒だったっていう友達がいるんだ」
俺が聞いた二つの話の間にはどんな真実があるのか。いい加減、明らかにさせてもらおう。
ただ真っ直ぐだけを見つめて、走ることに集中していた五十嵐の口がゆっくりと開かれる。
「その友達って────だれ?」
「氷川藍。お前がイジメてたって相手だよ」
「……っ」
その瞬間、五十嵐はランニングマシンの速度を落として走るのをやめた。




