第55話 ある夏の日の日常
夏休みは残り半月。
例年だと、だらけて過ごすのがいつもの俺だったんだけど……。今年は大きなイベントがいくつもあって、何もない日が久々にすら感じた。
その全てが氷川との思い出だからこそ、俺に与えてくれた影響力は大きいんだなと思う。
でも、夏休み中に氷川と会う予定はもうない。
そもそも、これまでが会いすぎなだけなんだけどな。
「さすがに起きるか……」
時刻は午前十一時を過ぎたところ。睡眠がしっかり取れたおかげで、ようやく一泊二日の旅行の疲れも取れてきた。
今日からはもっと家にこもって、普段は出来ないだらけた生活を送ろう。
ただ、休みもいいことばかりじゃなくて……。
机の上に無造作に置かれているノートや問題集が目に入ると、自然とため息が出てくる。
膨大な量の宿題さえなければ、夏休みは天国なんだけどなぁ。
少しずつ進めているものの、そろそろどこかでガッツリやる日を作らないと。このままのペースじゃ、最後の日まで残っていそうな気もする。
でも、起きていきなり勉強をするほど俺は優等生ではない。
とりあえず、エアコンのせいで喉が乾燥してるし何か飲むか。
「あら、遅かったわね。パンでも食べる? それともお昼まで待つ?」
「せっかくだからパン食べようかな」
「は~い。ちょっと待っててね」
リビングに行くと、母さんがキッチンで作業をしていて。
俺の言葉を聞くと、すぐにトースターでパンを焼きながら、コップにお茶を注いで持ってきてくれる。
座っていても出てくるのが当たり前のように思ってしまってるけど、氷川はこういうのも自分でやってるんだよな……。
三食のご飯だって自分で作らないと出てこないし、洗濯をしないと着る服だってなくなる。
いくら親に見られるからといっても、すごく綺麗な部屋だったし、掃除だって頻繁にやっているのだろう。
それでいて学年一位の成績をもつ努力家なのだ。
焼いてもらったパンにマーガリンを塗りながら、改めて氷川の凄さを思い知る。
「ねぇ、夏休みは楽しい?」
「……急になに?」
「気になっただけよ。藍ちゃんのおかげか、今年は活発に外にも出ているみたいだから」
楽しいか……。まあ、そう聞かれたら楽しい夏休みではあるな。
疲れは感じるけれど、日常とは違う体験が俺にとっては忘れられないものになっている。
高校で女子とまともに関わるとは思っていなかったし。こんな絵に描いたような青春なんて、想像も出来なかった。
────俺自身も、気づかぬうちに変わっていたりするのだろうか。
「うわっ、お兄だ……」
「兄をバイ菌みたいに扱うな」
「あたしは思ってないけど? もしかして、自分でそうだと思い込んじゃってる?」
「はぁ……」
「一緒に出かけても、二人の喧嘩は治らないわねぇ……」
「俺の接し方は変えてない。あかねの反抗期が原因だろ」
「お兄のせいでしょ。あたしに押し付けないで」
そう思ってるなら同じテーブルにつかなきゃいいのに。
対角に座るあかねに、俺は呆れ気味にため息をついた。
「それより、二人とも宿題はやってるのよね?」
「お前は美術の宿題はどうなんだ?」
「あたしは完璧! インスピレーションがどんどん浮かんできたし!」
「先生の筆が進んだのならそりゃなによりで」
あの一泊二日のレジャー施設旅行だって、元々は芸術家ぶったあかねのわがままから始まったことだ。
これでやってないとか言われてたら、少しキレてるところだった。
「人のことぐちぐち言ってくるけど、お兄は? これで美術の宿題は終わってないとかだったら恥ずかし~」
「そもそも選択授業で美術を選んでないから。絵を描く宿題なんてない」
「え~ズルっ!」
「ズルくはないだろ。代わりに書道の宿題があるぞ。正月でもないのに」
「って言っても、ただ字を書くだけでしょ?」
「お前は今、多数の芸術家を敵にまわしたな」
「いやいや、高校生の書道に芸術なんてないって」
まあ、俺も強くは言い返せないな。だって、書道って字を書くだけだと思っていたから。
書道を選んだのもそれが主な理由だ。
俺の高校は書道、美術、音楽の中から一つを強制的に選ばされる。
けど、音楽は楽器とかできないし、美術はそもそも絵を描くのが苦手。
となると、筆で字を書いていればいい書道は俺でも出来る気がした。
ただ、あかねに馬鹿にされたままはあれなので、授業で聞いたことを丸パクリで使わせてもらおう。
「高校の部活には書道部があるんだ。書道パフォーマンス甲子園なんて大会もあってだな……」
「でも、お兄は帰宅部じゃん」
こいつは本当にかわいくない……。
食い気味で返されたもんだから、俺もスイッチが入ってくる。
「じゃあ、お前は高校生になっても書道は選ぶなよ」
「選らばないよ~。あたしは音楽を選ぶから!」
「あっ、お前はその前に受験だったな。今から勉強してなくて高校受かるのか?」
「あ~聞きたくない!」
さすがに受験のことを出すのは卑怯だっただろうか。
でも、耳を塞いで抗っているあかねを見て少しだけ満足した。
「頑張れよ~。俺はだらけた夏休みを送らせてもらうけどな」
「あら、この間買ったお土産は渡さなくていいの?」
「あっ、しまった……」
母さんからの鋭い一言に、思わず俺も耳を塞ぎたくなった。
そういえば、あいつらにお土産買ってきたんだったっけ。氷川の両親に挨拶することばかり意識しすぎて、すっかり忘れていた。
あと一回は灼熱地獄の外に出ないといけないのか……。
俺はしぶしぶスマホを開くと、星野と二階堂のグループにメッセージを送る。
ただ、これが夏休みを最後まで忙しなくさせるきっかけになろうとは、このときは思いもしなかった。




